黒幕(2)
「隊長、もっと自分の体に寄りかからせるようにして、お尻も支えてあげた方がよいかと」
そうアドバイスしたのはワンスさんだ。自分だってできてなかったけど、客観的に見ると悪いところが分かるのかもしれない。
サーレル隊長はそっとお尻を支えつつ、私を胸元に抱き寄せた。
「服に毛がつかないか?」
「それくらいは我慢していただかないと仕方がありません。精霊と仲良くなるためです」
しばらくの間、サーレル隊長さんは私の事をじっと見下ろしていた。気になって上を向くと「ひっ」と悲鳴をあげられるもんだから――たぶん口や牙が顔に近いのが怖いんだろう。咬みついたりしないのに――私は微動だにせず、壁のシミを眺めている事にした。
「大人しいな……」
サーレル隊長さんが感動したように言う。
「うるさく吠えないし、暴れない。あとは毛さえ抜けなければ完璧なのだが」
少し残念そうに呟いてから、今度は「フフフ」と唇の端を持ち上げて笑った。
「しかしこの精霊を手懐ければ、騎士団内でも……いや、このアリドラ国の中でも、私の地位は堅実なものとなる。誰も私を馬鹿にはできない」
そしてさらに声を大きくして興奮ぎみに続ける。
「兄上との力関係も逆転するだろう。公爵が何だというのだ。世界中に山ほどいるではないか。だが、精霊と繋がりを持つ人間はほとんどいない。今までとは反対に、兄上は私にへりくだらざるを得なくなるのだ!」
サーレル隊長の眼鏡に映った蝋燭の灯りが、妖しくゆらゆらと揺れていた。
「ああ、そうだ。精霊を連れて父上の墓参りもしなければならないな。『体の弱い出来損ない』だ、『病気がちの失敗作』だ、丸々と肥え太った兄上と比べてあなたが散々侮辱してきた子どもは、今や精霊とも繋がりを持つ国の重要人物になったのですよと報告して差し上げねば!」
サーレル隊長さんは大きな声で「ハハハ!」と笑ったが、目の奥は寂しそうだ。
サーレル隊長さんは今も細くて強そうには見えないけど、支団長さんが言っていたように、小さい頃はもっと病弱だったのかな?
それでお父さんは健康なお兄さんの方を贔屓していたのだろうか。
もしそうなら、その点に関してはサーレル隊長さんを可哀想だと思う。
高い地位を手に入れたい、権力を手に入れたい、と野心を燃やすのは、周りの人たちに自分を認めさせたいからだろうと予想はしていたが、その中でも特に家族に認めてもらいたいのかもしれない。
体の弱い自分の事を馬鹿にしてきた父や兄を見返したい。
自分は出来損ないじゃないって知らしめたい。
その想いがサーレル隊長さんを野心家にさせているのだ。
ワンスさんたち五人も同情的な目で自分たちの上官を見つつ、どこかひねくれた笑みを浮かべて言った。
「サーレル隊長が評価されれば、俺も俺の兄を見返す事ができます」
「私も、昔いじめてきた奴らを馬鹿にしてやるんです」
その会話を聞いていて、彼らがサーレル隊長に従っている気持ちが分かった気がした。
五人ともきっと、何かしらサーレル隊長さんと共通する部分を持っているんだろう。
体格や戦いの才能に恵まれていないとか、そのせいで周囲の人間に蔑まれてきたとか、はたまた家族との確執があるとか。
皆それぞれサーレル隊長さんの事を自分と重ねて見ていて、だから手を貸したくなるのかも。
そしてサーレル隊長さんも、この五人の事は信頼しているように思えた。
「お前たち、改めてよくやった。優秀な部下を持てて私も鼻が高い。今回の事は私だけの手柄ではない。お前たちの事も評価してもらえるよう、働きかけよう」
「いいえ、隊長。我々は隊長の指示に従ったまでで、それがこういう成果に繋がったのです。それに我々は自分たちの昇級などは望んでいません。隊長の野望が叶えば、それでいいのです」
「お前たち……」
感激して声を震わせるサーレル隊長さんに、ワンスさんが言う。
「我々は、隊長からよくしていただいたご恩を返したいだけです」
五人がサーレル隊長さんと自分を似ていると思ったように、サーレル隊長さんも彼らと自分の共通点に気づいていて、それで特別に目をかけてきたのだろう。
自分と同じ苦しみを経験してきた人間には、普通は優しくしたくなるものだ。
「ワンス、ニルド、サイ、ヨルグ、ゴードン。お前たちは私の宝だ」
サーレル隊長さんは眼鏡の位置を直しながら、少し気恥ずかしそうに言った。
この六人の間には、思っていたよりしっかりした絆があるらしい。
でも、だからといって悪い事はしちゃ駄目だよ。
そう伝える代わりに、目の前にある骨ばった手を舐めた。
慣れない人には私の舌は冷たく感じるようで、サーレル隊長さんは驚いたように片手を引っ込める。
「な、舐められたぞ……。誰かハンカチを取ってくれ。右のポケットだ。あと消毒液も」
ヨルグさんが急いでサーレル隊長のポケットからハンカチを取り出し、香水瓶みたいなものに入った液体を吹きかけてからサーレル隊長さんの手をごしごしと拭いた。
私の唾液が、汚物かもしくは病原菌みたいな扱いをされている……。
そういえば潔癖症なんだっけ。
だけど何だか傷ついたので、腹いせにもっともっと手を舐めてやった。
「ああああ!」
顔を青くして固まるサーレル隊長さんを、他の五人が懸命に励ます。
「隊長! そのまま受け入れて下さい!」
「精霊の子に気に入られているんですよ!」
「振り払ってはいけません!」
サーレル隊長さんは顔を引きつらせながら答えた。
「だが、しかし……! 精霊の子は可愛くなくもないのだが、唾液は汚いだろう!」
「きたなくないもん!」
私は思わずそう言葉を発してしまっていた。
「だって、きょうはその辺にころがってる石ころとか口に入れてないし、くさった枝とかもくわえてないし、だれかの靴をかじったりもしてないし。あ、でも、ちょっとビスケットくさいかもしれないけど……」
「しゃ、喋れたのか!?」
サーレル隊長さんが驚きの声を上げた。
他の五人はゴーダの街で喋っている私たちを見ていたかもしれないけど、獣の姿でも言葉を話せるとは思っていなかったようである。
油断させるために、ただの動物のように話せない振りを続けようと思ったのに私ってば。
バレちゃしょうがないので、私はいつも通り舌っ足らずな口調で答えた。
「うん、しゃべれるよ。言葉もわかる」
王様たちとも話をした事はあるのに、『甘いものが好き』という食いしん坊情報が流れている一方、『言葉を理解して話せる』という賢い私の情報が流れていないのはどうしてなのか納得いかない。
サーレル隊長さんは一瞬固まった後であきらかな作り笑顔を浮かべて私を褒め称えた。
「これは何と、幼いながら聡慧な! さすがは尊き精霊の御子だ。よくよく拝見すればかんばせも凛として、高邁な御心の内が表れているようではないか! 艶々とした純白の毛皮は東方の真珠にも負けぬ美しさ! 私の服に張りついてくる事さえ光栄の極み! 唾液を塗りたくられても、それが稀有なる精霊から与えられたものだと思えば、私のような凡愚な人間としてはただただ喜びの――」
「むずかしい言葉はわかんない」
九割方、何を言っているのか理解できなかった。けど唾液を塗りたくられたがっているのと、服に毛をつけて欲しがっているは分かった。
サーレル隊長さんは冷静な顔になって黙ると、隣にいるワンスさんに小声で尋ねる。
「おい、この精霊の子は知能はどれくらいなんだ?」
「はっきりとは分かりませんが……人間に姿を変えていた時は二、三歳ほどでした。これまでの行動から考えても、幼児の域を出ないかと」
全部聞こえてるんですけど!
「なら、そこまで気にする事はなかったな」
サーレル隊長はそう言って、私が舐めた手を再びワンスさんに拭かせている。
ちょっと。
「さて、そろそろ城に向かうか。こんな汚い場所には長居したくないのでな。……フフフ、城に戻れば、私は誘拐された精霊の子を救った英雄だ」
サーレル隊長の笑みは思いきり歪んでいたけれど、心底嬉しそうでもあった。野望の実現が近いからだろう。
けれど、私はサーレル隊長さんにお城に行ってもらっては困るのだ。サーレル隊長さんたちが先に、「クロムウェルたちが守りきれなかった精霊の子を無事に見つけたぞ!」と帰還すれば、その後に支団長さんたちが「これはサーレル隊長の陰謀で……」と訴えても言い訳に聞こえてしまうんじゃないかと心配だから。
幼い私の証言が果たしてどこまで信頼されるかも分からないし。
(皆、まだかな……)
扉を開けようとする大人しそうな人――ニルドさんを、内心焦りながら見つめた時だった。
ニルドさんが内側に扉を引くと、そこに私が到着を待っていた人物がいた。
腰の剣に軽く手を添えた支団長さんが立っていたのだ。




