副長、餌付けする(1)
※視点変わります
北の砦を任されている王国騎士団の第9支団。
その副支団長──上から2番目の地位にいるグレイルには、最近楽しみな事ができた。
部下たちから尊敬されつつもビビられている彼だが、今はその鋭い眼光を緩ませて、ある生き物を見つめている。
4日ほど前から宿舎の隣の小屋に住み着いている、白い子ギツネだ。
調べたわけではないので確証はないが、たぶんメスだろうとグレイルは思っていた。愛らしく臆病で、なんとなく『女の子』という感じがするのだ。
いつもはグレイルより早く目覚めている彼女だが、今日は寝坊しているらしい。古い小屋の中で毛布に上手く包まってすやすやと寝息を立てている。
独り立ちするにはまだ小さすぎると思うのだが、近くに母ギツネの姿はない。親と逸れたか育児放棄されて、ここへひとりで迷い込んできたのだろうとグレイルは考えていた。まだ自力では餌も穫れないようで、狩りをしている姿も見たことがない。
眠っている子ギツネを横目に窓から離れる。着替えをし、身支度を整えると、グレイルは敷地内にある食堂へと向かった。砦で働く騎士たち専用の食堂だ。
まだ時間が早いからか、中に入ると人気はまばらだった。あと30分もすれば一気に増えるのだが。
「副長、おはようございます」
「ああ、おはよう」
自分と同じく早起きな部下たちと挨拶を交わしながら、グレイルは朝食をトレーに取っていった。ひとりで席に座って黙々と食べると、食器を返すついでに料理長に声をかける。昔からここで働いている、恰幅の良い中年の男だ。
「朝の分、もらえるか?」
「おお、副長さん。ちゃんと別に取り分けておいたよ」
彼はグレイルから話を聞いて、子ギツネの存在を知っていた。そしていつも食事を用意してくれているのだ。
騎士たち用の食事を薄味にしておくだけのものだから、別段大変なことではない。今日の子ギツネの朝食は、カブとキャベツ、ベーコンの入ったスープにパンを浸したものだ。朝のメニューはスープ系が多い。
キツネは肉を好んで食べると思っていたのだが、あの子ギツネはそうでもないらしい。野菜やパン、果物も美味しそうに食べる。
逆に生肉は苦手のようで、肉団子や加熱した肉は喜んで食べるのに、一度血の滴る新鮮な鹿肉を与えた時は、何だか嫌そうな顔をしてじりじりと後ずさって行ってしまった。
ここへ来るまでは母乳で育っていて、生肉を食べ物だと思っていないのだろうか?
「カブは初めて出すな。気に入ってくれるといいんだが」
料理の入った皿を差し出しながら、料理長が言った。騎士たちは何でもガツガツと食べるが、子ギツネの食事は気を遣う。グリーンピースはお気に召さなかったようで、昨日出した時はきれいに残されていた。
「クセも無いし大丈夫だろう。いつも悪いな」
グレイルが言うと、
「いいさ。完食してもらえると、こっちも嬉しいんだ」
と、料理長は笑った。まだ実際に対面したことはないというのに、孫を持った祖父のような浮かれようだ。今日は子ギツネのためにジャーキーを作るらしい。
張り切る料理長に苦笑しつつ、グレイルは子ギツネの分の朝食を持って宿舎の自室へと戻った。
部屋のドアを開けると、窓に子ギツネが張りついていた。グレイルが食堂に行っている間に目を覚ましたのだろう。
木箱の上に乗って首を伸ばしているのだが、グレイルの方からは窓にかけられた前足の先と大きな耳、顔の上半分が見えるだけだ。
お腹が減っているのだろうか、小さく鼻を鳴らしながら部屋の中を覗こうとしている姿は愛らしく、なかなかの破壊力があった。
あまり表情の変わらないグレイルも、思わず笑ってしまう。
「さぁ、メシだぞ」
グレイルが近づいて窓を開けると、子ギツネはさっと木箱から降りて距離を取った。だいぶ慣れたと思ったが、まだ接近すると恐いらしい。木箱の2段目にスープの入ったお皿を置いても、周りをうろうろして近寄ってこない。
しかしグレイルが窓を閉めると、そろりと木箱に乗って食事を始めた。
初めの頃はグレイルが視線を向けているだけで緊張していたのだが、今は窓を挟めば、彼が近くで見ていても大丈夫になったようだ。
ときおり顔を上げてグレイルの様子を確認しながら、はぐはぐと口を動かしている。
「また夜にな」
グレイルは閉まったままの窓を指でとんとんと叩き、子ギツネに声をかけた。彼女の動きはいちいち面白く、いつまで見ていても飽きないのだが、生憎と鍛錬の時間だ。
宿舎の部屋を出て、外の訓練場へと向かう。
副支団長であるグレイルの仕事は、書類とにらめっこのデスクワークが多い。訓練でも部下を監督する立場なので、疲れきるまで体を動かすという事もなくなっていた。
なので彼は仕事が始まる前、毎朝一人で体を鍛えているのだ。筋力トレーニング、走り込み、剣の素振りといった基礎メニュー(しかし他の騎士が同じメニューをこなせば一日動けなくなるであろう運動量)を完遂してから仕事に臨む。
そんなグレイルのことを、影で部下たちが畏怖の念を込めて『鉄人』と呼んでいることを、彼は知らない。




