頼りない囮(3)
「俺たちは宿に残っているからな。夜までには帰って来るんだぞ」
時刻は正午前だろうか、こちらを見張っているであろう敵に見えるよう、宿の前で隻眼の騎士とお別れをする。
「きゃん!」
私は鳴いてしっぽを振った。街の人たちの目もあるので、ここからはお喋り厳禁なのだ。
「い……、わん!」
『行ってきます』と言いそうになりながら、何とか犬っぽい鳴き声を出してごまかす。
隻眼の騎士がまた心配そうな顔をしている。
大丈夫、大丈夫だって!
「い……、わふっ!」
『行こう、クガルグ』という言葉をのみ込んでクガルグを誘い、歩き出す。
危ない危ない。
敵が動きやすいよう、隻眼の騎士たちのいるこの宿からなるべく離れたところに向かうつもりだ。
クガルグが首から下げている財布には新たにお小遣いを入れてもらったので、誘拐されるまでそれで買い物でもしていよう。
これから私たちは重要な任務をこなすのだと思うと、クガルグと二人で変にテンションが上がってしまった。
走る必要はないのに、わふわふと息を切らせながら街の中心部へ向かう。
「まぁ、おかしい!」
「ははは、何だありゃ」
「どこかの衣装屋の宣伝か? それとも金持ちの道楽か?」
ミツバチクガルグと羊の私は、すぐに通行人たちの注目の的になった。
皆笑顔で見守ってくれるけど、「可愛い」という声より「面白い」という声の方が多いのは不満だ。
でもここが日本だったとしても動物がこんな格好をしていたら笑って写真を取られまくるだろうから、犬や猫に服を着せるという文化のないここでは、私たちの姿が珍妙に映るのは仕方がない。
人通りの多いところに出ると、私たちはわいわいと街の人たちに囲まれた。
「しっぽはちゃんと出るようになってるのね」
「見て、お財布も持たされてるわ」
通行人の人たちにひとしきり撫でられてから再び前に進む。
ゴーダの街と似た雰囲気の大通りには、ずらりと店や屋台が並んでいた。けれど、この街にはぽつぽつと高級店らしい店構えの建物もあるので、間違ってもこんなふざけた格好で入らないようにしなければならない。
そんな高級店を通り過ぎたところで、私はきょろきょろと辺りを見回した。
(どこから監視されてるんだろう?)
敵はどこに隠れているのか気になったのだ。
「にやあ」
と、クガルグがひどい棒読みで猫の鳴きマネをし、私を呼んだ。
自然にしていなければバレるって言っているみたい。
「わん!」
私も犬になりきり、分かったと頷いた。
普段は「きゃん」か「きゅん」が多いので、「わん」なんて鳴いた事ないんだけど。
「わんわん(なにか欲しいものある?)」
「にゃあ(べつにない)」
「わんわんわん(せっかくおこづかいもらったから、なにか買おうよ)」
「にゃにゃにゃ(なんでもいい。ミルが欲しいやつをおれも欲しい)」
何故か会話が通じるというミラクル。にゃあだけなのにクガルグの言っている事が分かった。
しかしクガルグは何でもいいとなると、私の好きに買えるという事だ。
そうすると選択肢は一つしかない。
もちろん食べ物だ。でもレガンで果物には飽きたから他の食べ物にしよう。
周りの人の視線をひたすらに集めながら、適当に店や屋台を見て回る。
すると、さっそく美味しそうなものを売っている店を見つけた。
ケーキ屋さんだ。
「わん!(あそこ入ろう!)」
木と硝子の扉を両手で押し開ける。クガルグも頭で押して手伝ってくれた。
「いらしゃ――……ええっ!?」
ショーケースの奥にいたお姉さんが、私たちを見て驚愕の声を上げる。気持ちは分かる。
店には他に二人、恋人同士らしきお客さんもいたけれど、やっぱり同じように驚いて目を丸くしている。男の人の方なんて目玉が零れ落ちそうだ。
……支団長さん、もうちょっと地味な服を用意してくれたらよかったのに。
「びっくりした! 可愛いわね」
「面白い」ではなく「可愛い」というセリフを聞いて満足し、私はショーケースに近づいた。
ショーケースというか、硝子の無いだたの棚だけど。
「お腹空いてるの?」
「きゅん……」
そこまで空いてるわけじゃないけど、獣だからと店から追い出されないようにひもじい感じで鳴いてみる。
腐りやすいからか、ケーキ棚には日本のケーキ屋さんのように生クリームを使ったものは並んでなくてちょっと残念だ。
生クリーム好きなのに。
けれど代わりにパウンドケーキなんかが置いてあって、そちらも美味しそうだった。
ドライフルーツの入ったもの、木の実の乗っているもの、それに人参やほうれん草のような野菜を混ぜて焼いてあるものもある。
でも、基本のプレーンなやつもいいなぁ。バターの甘い香りにそそられる。
(よし、これにしよう)
私が買うものを決めたちょうどいいタイミングで、ウサギリュックの隙間からくるくると丸められた紙が落ちてきた。
たぶん中から母上の妖精が押し出してくれたのだろう。
私はその紙を鼻と前足でなんとか広げると、口に咥えてお店のお姉さんに見せた。
『これを二つください』
私はまだ文字は読めないけど、この紙を用意してくれた支団長さんはそう書いてくれたらしい。
私たちは喋っちゃいけないから、これを見せて店の人に購入の意思を伝えるのだ。
「くぅん……」
鼻先をプレーンなパウンドケーキに寄せつつ、紙を咥えたままちらちらとお姉さんを見上げる。
「あはは! すごい! 賢いのね。それを二つね!」
お姉さんは笑って、カットしたパウンドケーキを二切れ包んでくれた。
どうやら通じたみたい。
次は紙を床において、クガルグの財布を咥えてみせる。
「あ、お金もちゃんと持ってたんだ。財布までかけさせて、あなたたちの飼い主ってほんと変わった人なのね」
うん、私たちに色々と買い過ぎるんだよね。お金に余裕があるのがいけないのかもしれない。
早く恋人を作ってそっちにお金をかけるよう言っておこう。
「じゃあ二切れ分、これだけ貰うからね」
お姉さんは硬貨をいくつか取り出すと、ぱちんと財布のがま口を閉じた。
「商品は持てる? そのリュックに入れてあげようか?」
お姉さんがリュックを開けようとしたので、その前に慌ててパウンドケーキの入った包みを口で受け取った。
中にいる光の玉と水色のヘビを見られたらまずいと思ったのだ。
パウンドケーキは袋に入っているわけじゃないのでちょっと咥えにくいし、中身を潰してしまいそうだけど、キツネの私にはこれ以外持ちようがないのでしょうがない。
「わふん(ありがとう)」
とお姉さんにしっぽを振って店を出た。
扉はクガルグが頑張って押さえていてくれている。
「また来てね、羊さんとミツバチさん」
お姉さんの声に見送られて通りに戻る。
このパウンドケーキをすぐに食べたいけど――口に咥えているから、常に鼻に美味しそうな匂いが届くのだ――もう少し人通りの少ない場所に行ってからの方がいいだろう。ここでは邪魔になる。
そう思って、私は今出てきたケーキ屋さんの建物の脇から、裏手へと進んだ。
ちょっとジメッとしているけど、ここでいいや。
パウンドケーキを地面に置いて、私のよだれで濡れてしまった包みを開ける。
「わん」
そっちはクガルグのね。と、一切れ差し出すが、クガルグはケーキに興味がなさそうだった。
私が幸せな顔をしてもしゃもしゃと食べ始めたのを見て、やっと一口かじる。
焼きたてなのか、温かくてしっとりしていて美味しいのに、クガルグはほとんど残して食べるのをやめてしまう。
人間の食べ物の中でも、やっぱりジャーキーとかのお肉系の方が好きみたいだ。
「にゃあ(もういらない)」
「わん(じゃあ私がたべる)」
自分の分を早々に平らげ、クガルグの分も二口で胃に収めた。
美味しかったと自分の口の周りをペロペロ舐めながら、地面に落ちているパウンドケーキの食べこぼしを見つめて葛藤する。
これを舐めたら元人間としての品位を疑われるだろうか。
でも結構大きめの欠片が落ちているのだ。
私がじっと見つめていたその地面に、ふと後ろから影が落ちた。
こんな建物の裏に誰が来たのかと振り向くと、そこに立っていたのはさっきのケーキ屋さんにいたカップルだった。




