頼りない囮(1)
翌朝目覚めると、私とティーナさんとハイリリス、そして母上の妖精は、質素な二段ベッドの下の段で一緒に眠っていた。
ティーナさんは横向きで可愛らしく、妖精は隅の方で餅状に、私とハイリリスは警戒心を捨てて四肢を投げ出し、へそ天で。
……私はともかく、鳥のハイリリスが仰向けで翼広げて寝てるって、おかしくない?
「ティーナさん、あさだよ」
ミルクティー色の髪を下ろして寝ているティーナさんの頬に、濡れた鼻を押しつけて起こす。
「ん、冷たい……」
寝起きのいいティーナさんはすぐにまぶたを開けてくれた。
「ミルちゃん……そうだ一緒に寝てたんだったね。おはよう」
私たちの声を聞いてハイリリスも目を覚ました。
「うーん、よく寝たわ。ベッドっていいわね。……ねぇ、ちょっと、起きるの手伝ってくれない?」
ハイリリスはティーナさんに助けてもらいながら、仰向きの状態から起き上がった。
そして部屋に置いてあった椅子の背もたれに移動すると、羽を持ち上げ、くちばしで器用に毛づくろいを始める。
ティーナさんも下からお湯をもらってきて顔や体を拭いたりしている中、女子力のない私は寝癖を直す事もせずにベッドで妖精とだらっとしていた。
ネックレスはつけたままだが、ショールは昨日適当に脱いだので、ベッドの端でくしゃくしゃに丸まっている。
二度寝しようかなぁと思いながらティーナさんが身支度を整えるのを待っていると、急にどたばたと隣の部屋が騒がしくなった。
「あ、逃げた!」
壁が薄いのか、寝起きらしいキックスの声が聞こえてくる。
と、ほぼ同時に、クガルグが移動術を使ってこちらの部屋に移ってきた。
憔悴したような、自分の身に起こった事が信じられないというような顔をしている。
「おはよークガルグ。どうしたの?」
「ミルフィー! ……起きたら、あの金色の人間がいっしょにねてたんだ。ミルフィーがいなくて、あの金色がおれを抱いてて……」
どうやら昨晩はキックスと同じベッドで寝たようだ。
しかしそれにそんなにショックを受けなくても。
朝起きたら男が隣で寝てたっていうのは、クガルグからしたら衝撃だったのかな。昨日は荷物の中で寝落ちしてしまっていたからね。
わなわなと震えているクガルグが可哀想になってきたので、私からはめったにしない毛づくろいをしてあげた。
元気出して。
全員の身支度が整ってから、隻眼の騎士たちもこちらの二人部屋に集まって今日の旅程を立てた。
本当ならこの街で少しゆっくりしてから午後には王都に着く、という計画を立てる事もできたけど、私たちを狙っている敵がいるのでそうのんびりともしていられない。
頼めば宿でも朝食を出してくれるようだけど、隻眼の騎士たちは一応用心して自分たちが持ってきた食料を口にしながら、床に広げられた地図を眺めていた。
この先にある森で襲撃された時にどう迎え討つか、支団長さんを中心に話し合っている。
私はベッドの上でティーナさんにショールを着せてもらいながら、ずっと元気なくしっぽを垂らしていた。
やっぱり、隻眼の騎士たちが怪我を負わされるんじゃないかと心配だ。
黒尽くめの男たちもそこそこ強いみたいだし、今日はさらに人数が増えているのだから。
なのに皆はハイリリスや父上のヘビの力にあまり頼る気はないらしく、自分たちと一緒に戦うよりも私とクガルグの側から離れないでくれと頼んでいる。
それに敵を無事に捕まえられて尋問したとしても、相手は素直に口を割るかな。
彼らに指示を出している黒幕――たぶんサーレル隊長さん――まで追いつめられるだろうか。
「ね、私おもったんだけど……」
私はベッドの上で立ち上がり、反対されるのを覚悟で口を開いた。
「こういう作戦はどう? 私がわざとゆうかいされるの。そしたらみんなが戦わなくても、“くろまく”が誰かわかるよ」
二秒置いて、キックスの「バッカじゃねぇの」という声をかわきりに、「何を考えているんだ」「駄目だ」「危険よ」「大人しくしていてくれ」と残りの四人が続いた。
けれど私は皆の視線に負けずに声を張る。
大きい声を出せば何とかなる気がする。
「でもね! きっといい作戦だとおもう!」
「ミル」
隻眼の騎士が怖い顔をしたが、それくらいじゃ、ビ、ビビったりしないもんね……っ!
「おねがい! 私やれるよ! くろまくをつかまえようよ!」
再び駄目だと却下しようとした隻眼の騎士を遮って、何か考えている様子の団長さんが軽く片手を上げた。
「いや……待てよ。首謀者を明らかにするという点では有効な作戦かもしれん」
「ですが危険が……」
「ミルにとってあまり危険はないはずだ。相手はこの子が精霊だという事を分かっているからな、雑には扱わないだろう。それにあまり長く監禁するような事もしないはずだ。親に出てこられては困るから」
団長さんはそこで一拍置いて続けた。
「サーレルが首謀者だったとして、私が奴の立場に立って考えれば、攫った精霊の子を傷つけたり何日も監禁したりはしない。攫った後は、親が出てくる前に子を無事に戻す。そしてその時には、偶然自分が発見して助けたかのように装うだろう。そうすればクロムウェルの信用を落とした上で自分の評価を上げられるからな」
「サーレル隊長ならそこまで考えそうっすね」
キックスが相槌を打つ。
「だから精霊の子が攫われれば、すぐにサーレルとは顔を合わせる事になるだろう。ハイリリスもそのような事を聞いているらしいしな。それにサーレル以外の全く違う目的を持った者――そうだな、たとえば精霊の力を手に入れたいと企んでいる馬鹿者が首謀者だったとしても、やはり姿を現すだろう。精霊と接触せん事には何も始まらんからな」
団長さんは私の作戦を自分の中で精査し直しているようだった。
部屋に一つしかない椅子に座ったまましばらく黙って顎ひげを触り、やがて口を開いた。
「我々は首謀者が誰なのか、その目的が何なのかを知らねばならない。それを明らかにしなければまた同じような事が繰り返される。ただの駒である男たちを捕まえただけでは不十分なのだ」
支団長さんや隻眼の騎士は、団長さんがこれから続ける発言を予想しているのか、表情は乗り気でない。
「だがミルに囮になってもらえば、首謀者が出てくる可能性が高い。首謀者がミルと接触し、証拠を得た時点で捕まえられれば一番いい。……お前たちはこの子に情を持ち過ぎていて、こんな作戦は誰も提案しないだろうから私が言うが、『わざと精霊の子を攫わせ、我々はそれを尾行し、しかるべきところで捕らえる』というのが、そつのないやり方だという気がするが」
と言いつつ、団長さんは心底心配そうな目をして私を見た。
騎士団の団長として悪を捕らえるために毅然とした対応を取らなければいけないのだろうが、色々と葛藤もあるようである。
本当は囮なんてさせたくないと思ってくれているのだろう。
「しかし我々が尾行に失敗してミルを見失ってしまったら?」
「弱気だな、クロムウェル。北の砦に行く前のお前に戻ったようだ。できます、と言ってみせろ」
団長さんに言われて支団長さんが口をつぐんだところで、ハイリリスが空気を読まない明るい声で言った。
「尾行なら私に任せてよ! 空から追えば見失わないわ。ミルをわざと誘拐させるって作戦、いいじゃない!」
ハイリリスはわくわくしてやる気のようだ。
だけどやる気なら私だって負けない。それにクガルグも。
「そうだよ、ハイリリスにも協力してもらえばだいじょうぶだよ」
「おれもミルと一緒にさらわれる!」
一緒にピクニックに行くくらいの軽さで言う。
隻眼の騎士はずっと顔をしかめている。
「ミル、クガルグ、危ないんだぞ。もし痛い事をされたらどうするんだ」
「そのときは、にげる」
「そう簡単に逃げられない。きっと拘束されるだろう」
「にげられるよ。だって“いどうじゅつ”を使えばいいんだもん」
檻に入れられても縄で縛られても関係ない。危ない時には移動術を使ってその場から消えてしまえばいいのだから。
「せきがんのきしのところにも、すぐに戻ってこれるよ」
母上のところでも、父上のところでもいいけど。
「まぁ……確かに、それはそうか」
納得したように呟いたのはキックスだ。
「キックス……」
不安げな様子のティーナさんが、諌めるように言った。
キックスは続ける。
「だってそうだろ。ミルやクガルグはいつでもすぐに逃げられるんだ。それにさ、団長も言ったけど、俺は敵の黒幕を逃したくないんだよ。ミルやクガルグを攫おうとしているような奴だぞ。それに支団長の事も貶めようとしているかもしれない奴だ。相手がサーレル隊長でもそうでなくても、絶対に証拠を掴んで捕まえたい。……そのためにミルたちを囮にするのは、確かに気が引けるけどさ。危険がないなら試してみてもいいんじゃないかって思う」
「そうだよ! 私もくろまくをにがしたくない。だってにがしちゃったら、また狙われるかもしれないし」
今ならハイリリスも父上のヘビもいるし、覚悟もできてる。
無防備な時に襲われるより、ずっとマシだと思うのだ。
「ミルたちに囮をしてもらうという作戦に賛成の者は?」
団長さんの言葉に、私は元気よく手を上げた。
「ハーイ! おとり、する!」
「ミルフィーがするなら、おれもする!」
「私も作戦には賛成よ」
クガルグとハイリリスも賛成して、キックスと団長さんも静かに挙手をする。
「反対です」
「私も……」
隻眼の騎士は断固として、ティーナさんはおずおずと言った。
残るは支団長さんだ。
支団長さんはこの集団の指揮官だから――一番偉いのは団長さんだけど、団長さんはあくまで北の砦のメンバーについてきているだけ。昔、団長さんの下にいた隻眼の騎士はともかく、キックス、ティーナさん、私やクガルグの性格や能力をより知っているのは支団長さんなので、支団長さんが指揮をした方がいいのだろう――結局のところ、誰が何を言っても、最終的には支団長さんの決定で全てが決まる。
黙ったままの支団長さんに、皆が視線を注いだ。
深く息を吐いてから、支団長さんは指揮官らしい冷厳な態度で言う。
「……ミルとクガルグには囮役をしてもらう。ただし護衛代わりに水の妖精も連れて行く事、ハイリリスは二人から決して目を離さない事、二人は少しでも危険を感じたらすぐに逃げてくる事、これを守ってもらう」
支団長さんは私とクガルグを見て続けた。
「特に最後の条件は絶対だ。必ず守ると誓えないならこの作戦は実行しない。いいか、危険を感じたらすぐに、だぞ。少しでも傷つけられてからでは遅いんだ」
「わかった。ちかうちかう」
うんうん、と私は何度も頷いた。
支団長さんはいまいち不安そうな、『本当に分かっているんだろうな』といった顔をして言った。
「では……細かい作戦を立てるぞ」




