水と炎の父親二人
鬱陶しい、と迷惑そうに言うと、父上は鳥以外の全員を中に入れて大きな水の結界を張った。
これも半球のドーム状だが、隻眼の騎士を包んでいるものとは違って、中は水で満たされていない。薄い水の膜でできている。
鳥の攻撃は、斬撃であろうと竜巻であろうとこの膜にぶつかれば水を揺らすだけ。衝撃を吸収されてしまうみたいだ。
攻撃を防いでくれていた支団長さんやキックスも息をつき、父上の存在を気にしながら、隻眼の騎士の様子を見守る。
「ミル、その方がお前のお父上か……?」
支団長さんが父上を遠慮ぎみに見て小声で言った。
団長さん以外には父上の話もよくしていたので予想がついたのだろう。
「そう、私の父上!」
私が答えると、支団長さんや団長さんたちは居住まいを正して父上に挨拶をしようとした。
母上と違って、父上は人間の世界に興味もないし介入もしない。味方にもならないが敵にもならない。住処の湖を汚されたらちょっとムッとするくらいだ。
だから別に挨拶されなくても気にしないと思うのだが、と、私がそんな事を考えていると、
「ミルフィー!」
一足遅れてクガルグが戻ってきた。
そして大きな炎と共にヒルグパパも現れる。
クガルグと同じく肌は浅黒く、筋肉質な上半身を飾っているのは刺青と金の装飾品だけ。
背は一般的な人間の成人男性より高くて、私の父上と同じくらい。どちらかというと濃い顔立ちの男らしい美形だけど、相変わらず暑苦しい空気もまとっている。
「何だ、ここは。水の膜が……ん? お、お前はッ! 水のッ!」
ヒルグパパは自分たちを囲んでいる水の結界に眉をひそめ、続いて父上を視界に入れるとこれでもかと目を見開いた。
「ウォートラストッ! 何故お前がここにいるのだ!」
ヒルグパパが声を張り上げる。
声量が大き過ぎて耳がびりびりした。水の結界も内側から揺れる。
雪の精霊にとって炎の精霊が脅威なように、炎の精霊にとっての天敵は水の精霊なのかもしれない。
クガルグは私と一緒に何度か父上と会っているけど、うっかり体に触れないようにいつも緊張していたもんな。
「ヒルグか……」
「おい、この水の膜は何だ!? 早く消してくれ! 気が滅入りそうだ!」
「風が、鬱陶しくてな……」
「風だと?」
ヒルグパパは訝しげに上を見上げた。
闇の中、鳥はまだそこにいる。何度攻撃を吸収されてもしつこく私たちを狙っているのだ。
「ハイリリスの妖精か? 何をやっているんだ、あいつは」
「ハイデリンだろう……」
「いや、ハイリリスだ、この気は」
ヒルグパパは風の精霊と面識があるらしく、父上の言葉を否定した。
「俺の息子と……ミルフィリアを狙っているのか?」
鳥は結界に阻まれても私とクガルグばかりを見ていたのだ。
不愉快そうにヒルグパパの眉間に深い皺が寄る。
「一体何のつもりなんだ!? 幼い子どもを攻撃するなどッ!」
一気に怒りが沸騰したのか、怒声を上げた。
「おれたちも分からない」
「でも、きらわれてるみたい」
クガルグと私は順番にそう言った。
そうしている間も鳥は水の結界を壊そうとぶつかってきて、私のしっぽは内股へ隠れてしまう。
「理由には……興味がない……」
鳥を見上げた父上の声は凪いだ湖のように静かだったけど、いつもより少し低くて、不穏な音を含んでいた。
「私にはただ……」
水の結界に波が立ったかと思うと、一際大きなものが鳥に襲いかかった。波は暴れる鳥を閉じ込めると、結界から分離して球状になる。
そして父上が結界を消せば、その丸い水の檻はゆっくりとこちらへ下りてきた。
鳥は中で煩く鳴いているようだが、外へはほとんど音が漏れていない。
「我が子が攻撃されたという……事実だけが見えている……」
目の前で浮いている水の檻に父上が片手を差し入れれば、その途端に水の形は崩れて地面に落ち、染みこんでいった。
しかし鳥は父上に掴まれていて自由にはなれず、ただただ暴れて怒り狂っている。
父上が手に力を込めると、鳥は形を保っている事ができなくなって六つの光の玉に分裂した。
その内の一つは父上に握り込まれたままだが、他の五つは散らばって逃げようとする。
しかしそれを許さなかったのはヒルグパパだ。
片手を構えて軽く振ると、細長い炎が勢いよく放たれ、まるで生きているかのように妖精を追った。
ばらばらに逃げる五つの光を順番にのみ込み、あっという間に蒸発させる。
最後に残った一つ、手の中で暴れている黄緑色の光を冷たい目で見下ろしながら、父上は言った。
「ハイデリン……このまま終わらせる事はできないぞ……」
握り潰された光の玉は、緩やかな風になって空気に溶ける。
「ハイデリンではなくハイリリスだと言っているだろう!」
ちょっぴり怖い雰囲気の父上にも、ヒルグパパは臆する事なく物申す。
父上はほんの僅かに首を傾げた。
「先程から……お前は何を言っているのだ……。風の精霊は……ハイデリンだろう」
「ああ、ハイデリンの事は知っているとも! しかし風の精霊は彼女だけではない! さっきの妖精を送り込んできたのはハイリリスだっ! 言っただろう、気で分かると!」
「ハイリリス、とは……?」
水と炎という相容れない二人だからか、会話が噛み合っていない気がする。
私は水に包まれたまま治療中の隻眼の騎士の心配をしつつ、父上とヒルグパパを交互に見つめた。クガルグも同じように、喋っている父親たちの方へ順番に視線を向ける。
「ウォートラスト、まさかお前ハイリリスを知らないのか?」
「聞かない名だ……」
その答えにヒルグパパは呆れて大げさに天を仰いだ。ほとんど動かない父上と違ってリアクションが大きい。
「分かったぞ、ウォートラスト! 風の精霊に関するお前の情報はハイデリンの時代から止まっているんだな! ハイリリスとはハイデリンの子の、子だ!」
ヒルグパパは“孫”という表現は使わなかった。
それはたぶん、人間と精霊では家族というものの考え方に差があるせいだろう。
人間のおじいちゃんやおばあちゃんは一般的に自分の孫を可愛がるけれど、精霊が深く関わるのは自分の子どもだけ。
精霊が家族と言われて思い浮かべるのは、親なら子ども一人だけだし、子どもなら親一人だけなのだ。
それが孫となると一緒に暮らす事もないし、関わる事もほとんどない。
だから『子どもが産んだ子ども』という認識はあるけど、『“自分の”孫』という考えはあまりなくなるに違いない。
「ハイデリンの、子の子まで生まれていたのか……」
父上はそれほど驚いていない様子で言った。
「第一、情に厚いハイデリンがこんな卑怯な事をするとは思えない。子どもを襲うなどッ!」
自分の発言の途中で、再びヒルグパパは怒りに火がついたようだった。
「確かにハイデリンは……子どもが好きだった……ような気がするな」
父上は平坦な声で続けた。
「ならば我々が報復すべきは……そのハイリリスの方か」
「俺の後を追ってくればいい。俺はハイリリスを知っているから、先に彼女の元へ飛ぼう」
「父上……」
二人のやり取りを聞きながら、ハイリリスというらしい風の精霊を倒すつもりなのかと心配になった。
父上たちが傷つけられる事を恐れているんじゃない。本気を出しているところは見た事ないけど、この二人は絶対に強いもん。
私が心配しているのはハイリリスの方だ。
襲われておきながら同情するなんて変だけど、あの鳥の様子もおかしかったし、怒れるこの二人に報復をされるだなんて、私なら恐ろしくてガタガタ震えながら号泣してしまう。
父上はこちらを見下ろすと、「残していくのは……逆に危険かもしれないな」と言って私を片手で抱え上げた。
ヒルグパパもクガルグを連れて行くつもりのようだ。
何故私たちを襲ったのか、そしてサーレル隊長さんの事を知っているのか、聞きたい事はたくさんあるからハイリリスの元へ行くのは構わないけど、隻眼の騎士の事も心配だ。それに他の皆の事も。
ハイリリスが作った妖精はあの鳥だけとは限らないし、人間の刺客も闇に乗じてまた襲ってくるかもしれない。
「父上、みんなを置いていくのはしんぱいだよ……」
私がここに残ったからといって、足手まといになるだけだけど。
「ミル、俺たちの事はいいから、そのハイリリスって風の精霊と話をつけてきてくれよ」
キックスの言葉に、隻眼の騎士を囲んでいる支団長さんたちも頷く。
「でも、またおそわれたら……」
「ならば……こうしよう」
父上はそう呟くと、私を抱えているのとは反対の手のひらを上に向けた。
その中心から、ほとんど間を置かずに水色の光の玉が一つずつ出てくる。父上の妖精だ。
私の妖精と違って大きいし、随分落ち着いていて羨ましい。
全部で一◯はいるだろうか。その妖精たちが横一列に並ぶと、淡い水色の鱗を持つヘビに姿を変えた。
体長は一メートル以上あって、細いけれど結構大きい。
「その者たちを守れ……」
父上の命令に従順に従って、ヘビ型の妖精はするすると皆の元へ近寄っていった。
ヘビが苦手らしいティーナさんが若干後ずさったけど、妖精はそれを気にすることなく、隻眼の騎士を包む水のドームの上に登り、そこでとぐろを巻いて落ち着いた。
「行くぞ……」
父上を囲むように、白い霧が渦を巻く。
先に移動したのか、ヒルグパパとクガルグの姿はすでに消えていた。
父上の体も霧に変わっていき、私もそれに巻き込まれる形で消えていく。
「すぐにもどってくるからね!」
最後に皆にそう言い残して、私はハイリリスの元へと飛んでいった。




