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北の砦にて 新しい季節 ~転生して、もふもふ子ギツネな雪の精霊になりました~  作者: 三国司
第一部・はじめてのおるすばん

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隻眼の騎士

 ガタガタと窓の開く音がして、私はぴくっと耳を立てた。だがまだ眠くて、まぶたが開かない。

 寝ぼけた頭で「この世界の窓は、前世の私が住んでた世界のようにスムーズには開かないのね」なんて考える。窓枠は木だったかな?


 ガタッ、ガタタッ


 ちょっと油塗った方がいいんじゃないの。

 うるさいなぁ、と片目を開ける。

 私が寝ている小屋と向かい合っている宿舎の窓には人影があった。彼は開いた窓からじっとこちらを見つめている。

 ──じっと、こちらを。



「……!?」


 私は一気に覚醒した。バッと立ち上がって相手を見つめ返す。びっくりして背中の毛が逆立っているのが分かる。

 窓の向こうにいたのは、あの隻眼の騎士だった。……まさかそこ、あなたのお部屋で?


 部屋にはランプの灯りがついていたのだが、それが窓から漏れて、私の姿を照らし出していた。

 オーマイガー。

 誰だ、日が沈むと暗くなって私の姿も見えなくなるとか言ったやつは。余裕で見えてるじゃないか。


 隻眼の騎士は部屋に帰って寛いでいたところだったのだろうか、上着を脱いで薄着になっていた。うむ、やはり良い筋肉だ。

 小屋の中にいる私と部屋の中にいる彼は、相手の出方をうかがいながら微動だにせず見つめ合っていた。

 なんだか空気が張りつめている。緊張して肉球から汗が出てきた。


 とその時、突然隻眼の騎士が窓枠に足をかけ、トンと軽やかに地面へ降り立った。

 右目だけで私を射抜くと、ブーツを履いた足で静かに雪を踏みしめて、小屋の前までやって来る。

 

 私は逃げ道となる入り口を塞がれて大いに慌て、相手との近すぎる距離にも動揺した。隻眼の騎士と私との間は、もう1メートルもない。

 彼は背後の窓から灯りを受けていたのだが、逆光で顔が暗くなっていて、それもすごく恐ろしかった。言っちゃ悪いけど、この人元々顔が恐いのだ。


 しばしの沈黙の後、すっとこちらに伸ばされてきた彼の手に、私は心の中で「ぎゃあ!」と悲鳴を上げた。その手から逃れようと反射的に床を蹴り、後ろへ跳ぶ。

 しかしここは狭い小屋の中。私は跳ぶと同時に、後ろに立て掛けてあったシャベルに派手にぶつかったのだ。リアルに“どんがらがっしゃん!”っていう音が出た。


 そしてその大きな音に私はさらにびっくりしてパニックになった。シャベルがガラガラと崩れてきて、何が何だか分からなくなる。どっちが上でどっちが下だ。じたばたと暴れて、自分のしっぽを踏んでまた転けた。


「おい」


 再度伸ばされてきた手のひら。それは私の顔と同じくらい大きく、小さな傷痕や剣ダコがあった。きっとこの人はすごく強いんだろう。

 対して、今の私は非力だ。母上は吹雪を起こしたり敵を凍らせたりできるけど、私にはまだそんなこと無理。

 もし隻眼の騎士が私を殺そうとしていたらどうしよう。この手は私の首を絞めようとしているのでは?


 捕まったらお終いだ。

 そう考えたとき、私には無いと思っていた闘争本能がふつふつと沸き上がってきた。

 捕まるもんか。

 やられる前に、こっちから攻撃してやるんだ。


 気づけば私は牙をむき出しにして、隻眼の騎士の手に噛みついていた。低い唸り声が自分の喉から漏れている。


 反撃されるかと思ったけど、彼は動かず、表情すら崩すことなく私に噛みつかれていた。

 何の反応もしない相手に私もだんだんと冷静になる。唸るのをやめて慌てて口を離した。血の味が、僅かに舌に広がる。

 ゆっくり立ち上がった騎士にビクッと体をすくめたけど、彼は、


「悪いな。怖がらせた」


 と言って、小屋から離れただけだった。

 逃げ道が出来たので私は素早く外に出て、彼からある程度の距離をとった。いつでも逃げられるように4本の足にしっかりと力を入れながら騎士の方を見つめる。


 心臓はバクバクと早鐘を打っているけど、気持ちは少しずつ落ち着いてきた。

 どうしよう、彼の手を噛んでしまった。自分にこんな野性的な部分があるなんて思わなかった。


 私が噛みついたのは彼の右手の指だったようで、わずかだが血が出ている。

 私の犬歯は小さく細い。おまけに噛む力も大したことはないから、見る限りでは、隻眼の騎士の怪我も軽いもののようだった。

 だけど、自分が誰かを傷つけたという事実がショックだ。しっぽと耳がしゅんと垂れ下がってしまう。

 痛くはないか、と聞こうとして、きゅんきゅんと鼻を鳴らした。


「何だ? 急にしおらしくなって」


 さっきまで唸っていた私の態度の変化に、隻眼の騎士はゆるく笑って言った。噛まれた指の状態を気にすることもなく、私の方へ歩いて来る。


「きゃん!」


 あわわ、こっち来ないでよ! と、私はまた逃げる。そして騎士との間に安心できるだけの距離が開くと、止まって振り返った。

 隻眼の騎士が顔をしかめてさらに近づいてくると、その分だけ私も逃げる。それを何回か繰り返し、つかず離れずの距離を保つ。

 

「何なんだ……」


 隻眼の騎士が呟く。

 私だって自分で何なんだと思うよ。噛みついたことは申し訳ないと思うし、謝りたい。だけど近づいてこられるのはやっぱりまだ怖くて緊張する。

 

 冷静な人間の私と、臆病なキツネの私が、心の中でせめぎ合っている感じ。

 人間の私は、この隻眼の騎士のことを悪い人ではないと判断している。顔は恐いけど、こちらに悪意は向けてきていない。保護しようとしてくれているのかも、と。

 だけどキツネの私は「そんな簡単に信頼できない」と警戒を続けている。絶対に大丈夫だと安心できるまで、距離を取って様子を見るのだと。


 私がそんな事を考えながら相手の動向を窺っていると、騎士はくるりと踵を返して、自分の部屋の方へと戻っていってしまった。

 私はその場に腰をおろして、彼の後ろ姿を見送る。もう私に興味をなくしたのだろうか。安心したような寂しいような。


 彼は窓から部屋に戻ると、それからしばらく外へ顔を出すことはなかった。私が噛みついたところを手当しているのかもしれない。

 精霊だから変な病気は持ってないと思うんだけど、向こうはこっちを野生動物だと思っているだろうし、念入りに消毒しているのかな。

 言葉を話せたら「ごめんね」って謝れるのに。


 15分ほど経っても何の動きもないので、そろそろと彼の部屋へ近づいていく。窓は開けっ放しのままだ。

 木の影に隠れて様子を窺っていると、隻眼の騎士は何やら手にお皿を持って、再び窓辺に姿を現した。


「?」


 お皿の中身が気になって首を伸ばす。

 と、食欲をそそるような肉の香りが漂ってきた。お皿の上には、小さな肉団子がいくつか載っていた。ソースのかかったミートボールみたい。

 

 ぐるぐるとお腹が鳴り始める。精霊の私には食欲なんて無いはずなのだが、人間の私はその料理が美味しいであろうことを知っていた。味の想像をしてしまうと、急にお腹が減り始めたのだ。

 母上はたまにお酒を飲んだりしていたし、人間の食べ物を食べても特に問題はないよね?

 私は料理の匂いに誘われて、ふらふらと窓の方へ近づいていった。


 ああ、美味しそう。

 すごくいい匂いだ。

 私は隻眼の騎士が持っているミートボールを見て、じゅるりと唾をのんだ。


 母上は「精霊に食事は必要ない」と言っていたけれど、『おやつ』だと、たまにネズミを穫ってきてくれることもあった。

 しかし私には人間の思考が残っている。でろん、と白目をむいているネズミを見て、「わぁ、美味しそう!」と思うわけがない。いつも「いらない」と首を振って、母上に譲っていた。


 私たちは山の上に住んでいたから、母上が持ってきてくれる『おやつ』はいつも瀕死の野生動物。だから私は、自分には食欲というものがないと勘違いしていたのかもしれない。この世界に生まれてから今日まで、人間の食べるような料理を見た事がなかったもんな。


 しかし、いざこうやって料理を目の前にすると、それを口にしたくてたまらなくなる。むくむくと食欲がわいて、半開きの口からつぅっと長いヨダレが垂れる。


 私は隻眼の騎士に怯えていたことも忘れ、しっぽを振ってそちらへ駆けよった。

 しかし窓のある位置は私の身長よりも高く、料理に口が届かない。ああ、くそう。もうちょっとなのに。前足を宿舎の壁につけ、後ろ足で立ち上がりながら切なく鳴く。


 隻眼の騎士はそんな私の様子を見て一旦部屋の奥に向かうと、どこからか木箱を3つ運んできた。何をするつもりかと、私は数歩後ろへ下がる。


 彼は窓から上半身を乗り出すと、その木箱を外へと落とした。3つを使って、窓の下に2段の階段を作る。

 そして窓に近い2段目の方に、肉団子の載ったお皿を置いてくれたのだ。


 私は喜び勇んで1段目の木箱にとび乗った。だが、すぐ目の前の料理に口を付けようと思ったところで、待てよ、と頭上を見上げる。

 そこには窓があり、間近で隻眼の騎士がこちらを見下ろしていた。

 彼の右目は髪と同じような灰色で、本人はそういうつもりじゃないんだろうけど威圧感があった。三白眼だからか、睨まれている気分になるのだ。


 至近距離で目が合い、私は身をすくめた。鼻をくすぐる料理の匂いに後ろ髪を引かれつつも、木箱を降りて彼から離れる。

 ごはんは食べたい。けど、隻眼の騎士に近づくのは怖い。

 私は料理の置かれた木箱の周りを、そわそわと歩き回った。なまじ鼻が良いもので、ジューシーなお肉の匂いとか香ばしいソースの匂いとかを完璧に嗅ぎ取ってしまうのだ。


 ごはんに近づいては騎士の眼力にビビって離れ、ごはんに近づいては騎士の眼力にビビって離れ。

 そんな事を繰り返していると、彼は苦笑してこう言った。


「分かった。俺は消えるからゆっくり食え」


 そのまま本当に部屋の奥へと消えてしまったので、私は1分ほど様子を見た後、素早く木箱にとび乗った。前世ぶりの食事に感激しながら、ガツガツと食いつく。うまー。

 一口大の肉団子5つはあっという間になくなってしまったが、小さい私の胃袋は十分満たされた。

 ソースの残った皿をピッカピカに舐め上げてから、その皿を踏まないように木箱の2段目に乗り、後ろ足で立ち上がって窓の中を覗き込む。

 

 質素で飾り気のない部屋の中、隻眼の騎士はベッドに座って剣を磨いていた。私が噛んでしまった手の傷の状態が気になったので、注意深く観察してみる。

 一度手を洗ったようで、見えたのは2つの赤い点──私の犬歯の痕だ──だけだった。小さな傷とはいえ、絆創膏くらいは貼っておいた方がいいんじゃないのかと、こっちが心配になる。

 私は小声で鳴いて、騎士に食事が終わったことを知らせた。

 

「全部食べたか?」


 隻眼の騎士が剣を置いて腰を上げる。そして私が木箱から地面に降りると同時に、窓から腕が伸びてきた。


「随分綺麗に舐めたな」


 汚れ一つないお皿を手に取って言った。


「今晩はどこで寝るんだ?」


 彼の口調は穏やかで優しかった。その低い声が耳に心地いい。私のこと心配してくれてるのかな。

 私は騎士の質問に答えるように、シャベルが散乱する小屋の中に入っていった。考えたけど、やっぱり他にいい場所がないし。


「明日、そのシャベルを退かしておいてやろう」


 シャベルとシャベルの隙間に体を落ち着かせた私を見て、彼は笑った。

 

「じゃあな」


 窓が閉められ、静かな夜が戻ってきた。だけど耳を澄ませていると、部屋の中から扉を開閉する音や、床が軋むような足音が漏れ聞こえてくる。

 接近されすぎると怖いのに、隻眼の騎士がすぐ近くにいるんだと思うと、今はなぜか安心できた。

 宿舎からは他の騎士が生活している気配もしてきて、母上がいない寂しさを紛らわせてくれる。山の上のねぐらでは動物の気配すらなく、自分が世界で独りぼっちみたいな感じがしてすごく孤独だったから。


 前世の記憶の残る私は、完全な野生動物とも孤高な精霊とも違う。

 やっぱり人の近くにいるとホッとするのだ。

 私は倒れたシャベルの柄にあごを乗せて体を休め、深い夢の中へと入っていた。


 

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