危機!?
もしかして私今、誘拐されようとしている?
このおじさんは小さい子どもが好きなタイプの危ない人だった? それともどこかへ売るつもりなのか、私たちの正体と利用価値を知っているのか。
体からさっと血の気が引いていく。
「クガルグ……!」
一緒に逃げようとしたが、クガルグはじっとおじさんを見ているだけで特に危険を感じている様子はない。
この状況なら私を守ってくれそうなものだけど、おじさんが悪い人だって気づいていないのかも。
「クガルグ!」
「捕まえたぞ」
おじさんは私を抱き上げると、低く喉を鳴らして笑った。
「……!」
懸命に暴れるものの、太い腕からは逃れられそうにない。
「クガルグ、たすけてっ! ころされるー!」
私の絶叫に、クガルグはこてんと首を傾げて冷静に返した。
「ころされる? でもそいつ、あいつらの仲間だろ?」
「え?」
言っている意味が分からなくて今度は私が首を傾げていると、
「満足ですか、団長。あまり怖がらせては可哀想ですよ」
クガルグの背後から静かに現れたのは、なんと支団長さんだった。
さらさらの黒髪を片側だけ耳にかけ、呆れたような顔をしておじさんを見る。
「しだんちょうさん……? しだんちょうさんだ!!」
不審なおじさんに抱きかかえられている事も忘れて、合羽の下でわさわさとしっぽを揺らす。
えー!? なんでこんなところにいるの!? すごい偶然! 嬉しい!
そっくりさんじゃないかと支団長さんに向かって首を伸ばし、人型なのに匂いを嗅ごうとした。
「ミル、知らない人間についていっては駄目だろう。その人は俺たちの知り合いだからいいものの、世の中には悪い人間もたくさんいるんだぞ」
支団長さんに言われて、ハッと後ろを向いた。
この熊みたいなおじさんは、誘拐犯じゃなくて支団長さんの知り合いだったの?
「騎士団の団長だ」
私の頭の中を読んだかのように、支団長さんが教えてくれた。
この人が騎士団をまとめている人なのか! 北の砦に来たばかりの頃、支団長さんの顔を知らなかった時に勝手に予想していた支団長さん像に似ている。
「まさかここまで簡単についてくるとは思わなかった。私はガウスだ、よろしくな!」
団長さんはガハハと笑うと、その大きな手で私の頭をガシガシと力強く撫でた。
フードが脱げて摩擦でハゲそうだし、あと首が折れそう。隻眼の騎士より力が強い。
腕の力が緩んだ隙に、私は慌てて地面に下りた。目がぐるぐる回っている。
支団長さんはそんな私とクガルグの前で膝をついて言う。
「思った通り、二人ともよく似合っているな」
それってこの合羽の事だろうか。
思った通りって……やっぱりこれは支団長さんチョイスで、昨晩のうちにリュックに入れたのも支団長さんって事?
「しだんちょうさんたち、いったいいつから――」
疑問をぶつけようとしたところで言葉が途切れた。
支団長さんの後ろから、隻眼の騎士とティーナさんが細い路地を駆け足で近づいてきたからだ。
あ、あと、キックスもいる。
隻眼の騎士を見た瞬間、自分の瞳が大きく開いて輝いたのが分かった。
「せきがんのきし!」
「ミル」
たたっと駈け出して、勢いよく隻眼の騎士の脚にくっつく。
「なんで? なんでここにいるの?」
しっぽが高速で揺れて合羽がめくれ上がった。私を抱き上げた隻眼の騎士の顔をぺたぺたと触ってみたが、幻ではない。
わー、嬉しい! こんなところで会えるなんて! 感動の再会!
人型ではなくキツネの姿だったら、隻眼の騎士の顔面を舐め回してよだれまみれにしているくらいに興奮しちゃう。
転生して三年、どうも「舐める」という行為に抵抗がなくなってきているのだ。
と、隻眼の騎士の肩越しに、路地の向こうを警戒ぎみに監視しているティーナさんとキックスの姿が目に映った。
それと同時に支団長さんが隻眼の騎士にこう尋ねる。
「逃げたか」
「はい、申し訳ありません。まかれました」
真面目な口調の二人と、いつものようにふざけないキックスに不安を覚えた。
「なにかあったの?」
隻眼の騎士は少し迷ってから話してくれた。
「ミルたちを陰から見ている怪しい男たちがいたんだ。ミルたちの事は団長と支団長に任せて追ってみたんだが、逃げられてしまった」
「私たちをみてた? でも、目立つかっこうしてたから、それでかも」
脱げたフードを手で引っ張って言う。
こんな耳付きの合羽を着た子どもが歩いてるんだもん。普通の通行人も注目するというものだ。
けれど隻眼の騎士は首を横に振った。
「他の人間とは少し目つきが違った。子どもを狙った誘拐でも思いついたのか、あるいはミルたちが精霊である事に気づいたのか……」
後半は独り言のように低い声で呟いた。
「とにかく、二人旅はここまでだ。これからは俺たちと一緒に王都に向かうぞ」
「えぇ!? やったぁ!」
バンザーイと両手を上げてから気づく。
「……ん? でも、せきがんのきしたち、ほかに仕事があるんじゃないの?」
ここで出会ったのは偶然なのに、隻眼の騎士たちは自分たちの仕事を置いておいて私たちと王都に行って大丈夫なのだろうかと思ったのだ。
私の疑問に答えたのはティーナさんだった。
「ふふ、私たちの目的地も王都なのよ。支団長の用事があるの。それにミルちゃんのお母さんからも、ミルちゃんと一緒に行ってほしいって頼まれてるから」
「母上から……?」
きょとんと目を瞬く。いつの間に母上はそんな事を隻眼の騎士たちに頼んでいたのだろう。
(あれ? でもちょっと待って。最初から皆も王都へ行くつもりだったんなら、私が砦に行った時になんでその話をしてくれなかったの?)
最初から一緒に出発してくれれば、私は余計な寂しさを感じずに済んだのでは……?
不信の念がこもった私の表情に気づき、キックスが軽い調子で言う。
「後ろからこっそりついていったら面白いかなーと思ってさ。まぁ実際かなり面白かったよ。でもミルはもうちょっと周囲に目を配った方がいいぞ。誰に後をつけられてるか分からねぇんだから。それにその耳と目をもっと働かせろよな」
「まって……みんな……いつから後ろにいたの?」
「ミルが馬と遊んでる時から」
それ、だいぶ最初の方じゃん!
そうならそうと言ってよ! 皆が見てるって知っていれば、私だって馬と遊ばず真面目に前に進んだのに!
私は拗ねて唇を尖らせた。
黙って尾行するなんてひどいよ! どうせキックス発案なんだろうけど!
あ、そういえば出発の時に『自立する』という決意もしたのに、再会して普通にしっぽを振って喜んでしまった。
私の馬鹿。
単純な女だと思われては堪らないので、しばらくは怒ってますオーラを全開にしておこう。
つんと尊大に顎を上げたまま黙っていると、
「拗ねるな。悪かった」
隻眼の騎士は眉を下げて、私の髪を撫でた。
そんな事してご機嫌を取ろうたって許さない。撫でられるのは好きだけど今は怒って……あの、もうちょっと耳の近くを……そうそう、そこが気持ちいい。うーん、最高。
よろしい、許そう。
続いてぎろりとキックスに視線をやると「ごめんって」と謝られる。
支団長さんも苦笑しつつ「すまないな」と言ったから許してあげよう。
権力者であり強そうでもある団長さんを責めるのは怖いので不問にして、ティーナさんはリュックにぬいぐるみを入れた件もあるので重罪である。
彼女の方に目を向ければ「ごめんね」と可愛く言われた。
仕方ないなぁ、もう。
許すから、王都まで一緒に行こうね! 絶対だよ! 私から離れないでね!
私は機嫌を直して、隻眼の騎士の頬におでこをすり寄せた。
後ろから私たちを見ていたからこそ怪しい男たちの存在にも気づいたのかもしれないし、それで私は危険な目に遭わずに済んだんだから。
「じゃあやっぱりリュックのなかみが変わってたのは、みんなが入れかえてくれたんだね。……あの、ごめんなさい、もらったおかね、ほとんど使っちゃった……」
申し訳なくなってもじもじしながら言ったが、隻眼の騎士たちは気にしていないようだった。
「あれはミルとクガルグの小遣いだからな。使ってくれていいんだ。レガンは少し買い過ぎだと思うが……皆で食べればいい」
「うん!」
よかった。五人も大人がいれば、レガンによる私の胃袋の破裂は免れそう。
「ねぇ、これはしだんちょうさんが入れたんでしょ?」
私がそう言って自分の合羽を指差すと、キックスも続いた。
「そうそう、俺らもびっくりしましたよ。こんな物まで持ってきてるなんて。しかもクガルグの分までしっかり用意してるし」
「必要になるだろうと見越して持ってきていたんだ」
支団長さんがしっかり者のふりをして言うが、本当かな。必要にならなくても着させるつもりで持ってきていたんじゃないかな。
支団長さんの荷物の中には、まだ私たち用の衣装や小物が詰められているんじゃないかと不安になる。
「さあ、そろそろ出発した方がいいんじゃないか? あの男たちがこの街を拠点にしている小悪党なら、街を出れば追ってこないだろう」
団長さんが促すと、隻眼の騎士はそれに同意した後、私とクガルグに向かって尋ねた。
「そうですね。……馬に乗るが、ミルたちはその姿のままでいいのか?」
人型の方が馬には乗りやすいかもしれないけど、走ってるうちにフードが脱げる可能性もある。それを擦れ違う人に目撃されたりしたら驚かれるだろうし、キツネの姿でいた方が精霊であるとバレる可能性は低いかも。
隻眼の騎士に地面に下ろしてもらってから、私はキツネの姿に戻った。それを見たクガルグも黒豹に姿を変える。
そして妖精がフードから抜け出すと同時に、私はサイズの合わなくなった合羽にバサッと全身を覆われた。
「あれ? 出口はどこ?」
一人であわあわしていると、同じく前が見えずにじたばたしていたクガルグと頭をぶつけ、
「いたいっ!」
「いっ……!」
「待て待て」
「じっとして」
隻眼の騎士とティーナさんがそれぞれの合羽を脱がしてくれた。
ショールとウサギリュックはつけたまま、ぶるるっと体を振って乱れた毛並みを適当に整える。クガルグにもらったネックレスは改めてつけ直した。
私たちがそんな事をやっている間、支団長さんは大通りの方に怪しい男たちがいないか確認していたみたい。
「大丈夫そうだな。街の入口近くにアイラックスたちを預けているんだ。そこまで戻るぞ」
支団長さんが振り返って私にそう言うと、隻眼の騎士は私と私にくっついた妖精、そしてクガルグを一緒に抱え上げ、自分のマントの下に隠した。
後ろではキックスが袋の穴に注意しながらレガンを持ってくれたようだ。買っていたところは見ていたんだろうけど、改めて中身を見て「多っ!」と驚いている声が聞こえる。
隻眼の騎士たちは歩き始めたが、私は街を出るまでは大人しくしていた方がいいだろうとマントの下で息を潜めた。
周囲の光景は見えなかったが、隻眼の騎士たちは何事もなく自分たちの馬を引き取り、ゴーダの街を出たみたいだった。
街道に戻り、全員が馬に跨ったタイミングで私とクガルグもマントから出る。
そして馬から落っこちないように片手でまとめて支えられつつ、隻眼の騎士の前に乗せられた。
支団長さんは動物パラダイスとなった隻眼の騎士の腕の中を羨ましそうに見ながら隊の先頭に進むと、
「いくぞ。後ろに注意しろ」
号令を出して出発した。
支団長さんと、アイラックスの鼻先に鎮座する妖精が一番前で――母上から先導の任務を言い渡されているからか、妖精は集団の先頭にいたいという性質があるようだ――二番目は私たちと隻眼の騎士、隣には団長さん。
そして殿はキックスとティーナさんだった。
しばらくはそれほどスピードを出す事なく走っていたけれど、ゴーダから遠ざかり、街道を行き来する人影が途絶えたところで状況は一変した。
きっかけはキックスの合図だ。
「来ました!」
手綱を握ったまま、皆が一斉に振り返る。
私も馬の背から転げ落ちないようにしつつ、隻眼の騎士の体から顔だけ出して背後を確認した。
「……!」
五人ほどはいるだろうか。黒尽くめの集団が馬に乗って、全速力で私たちを追いかけてきている。
彼らはそれぞれ布を巻いたりマントを被ったりして、顔のほとんどを隠していた。
先頭を走っている男の鋭い目が私を射抜いたような気がして、心臓がどくんと鳴る。
怖くなって、慌てて隻眼の騎士の体に隠れた。
「少し走るぞ」
隻眼の騎士が私とクガルグを腕でしっかり包んでそう言った。
「うん」
私はクガルグとぴったりくっつき、隻眼の騎士の体に抱きついた。
隻眼の騎士たちはぐんぐんとスピードを上げるが、後ろの怪しい集団も負けずについてきているようだ。
「ただの小悪党ではなかったようだな」
そう呟いた団長さんは、こんな状況でもさすがに取り乱したりなんてしていない。その落ち着いた態度に私も少し安心する。
追いかけてくるあの人たちの目的は分からないけど、隻眼の騎士たちは強いし大丈夫……だよね?




