はじめてのお買いもの
『ミル、また泥遊びをしたな? 風呂に入って綺麗にするぞ』
『おふろやだ! わ、なにするの!? お湯かけないでー!』
隻眼の騎士は怖い顔をして私をひっくり返すと、何故かお腹にだけ集中的にお風呂のお湯を浴びせてきた。
一体、何!? 何でお腹にだけかけるの!?
「うぅー、やめて……、ん……夢?」
ぱちっと目を開けて現実に戻ると同時にホッとした。
仰向けで寝ていた私の目に映る景色は、砦の浴場ではなく、背の高い木々に囲まれた狭い曇り空だった。
そしてあんな夢を見たのは、私のお腹の上に頭を乗せて眠っているクガルグが原因だったようだ。
クガルグの体温でお腹が熱くなっている。
体をよじり、クガルグの頭を両手で押して何とかそこから脱出すると、ぺしぺしとキツネパンチをお見舞いしてやや乱暴にクガルグを起こした。
私のお腹を枕にするなんてひどい。
「クガルグ、おきて! 朝だよ!」
「んん……」
のっそりと起き上がったクガルグが寝ぼけ眼で毛並みを整えている間に、意外とお寝坊さんな妖精も舐めて起こしてから、私は一度人型になった。
キツネの姿だと一人ではウサギリュックを背負えないからだ。
「あれ? でも私、きのうリュックをせおったまま寝たような……」
上手く降ろせなくて、もう面倒だしこのままでいいやと思ったはず。
「なんかわかんないけど、まぁいっか」
しかしウサギリュックを持ち上げると、昨日よりあきらかに重くなっていた。お昼ごはんやジャーキーを食べ終えた後、入っているのは毒キノコぬいぐるみと母上の手紙だけだったのに。
頭に疑問符をいっぱい浮かべながら、一応中身を確認する。
すると、リュックの中で一番場所を取っていた恐怖の毒キノコぬいぐるみがなくなっていたのだ。
「ぬいぐるみがない! ラッキー! じゃない、どこいったんだろう?」
「……やっぱりあいつは生きてたんだ」
毛づくろいを終えたクガルグが真剣な顔をして言う。
「生きてたって? かってに動いて、出ていったってこと?」
そう尋ねれば、クガルグは無言で頷く。
いやいや、まさか。
……でも、あの呪われていそうな不気味なぬいぐるみなら、動いても不思議じゃない。
「こわい。でもどこかに行ってくれたならよかった」
ちょっとだけ泣きそうになりながら再度リュックを調べると、ふわりと香ばしい匂いが漂ってきた。
「え? なんでこんなにジャーキーがあるの? きのうぜんぶ食べちゃったのに。それにこれは……」
リュックには見慣れないものが二つあった。一つは赤と白の布。広げてみないと分からないけど、服のようだ。
そしてもう一つは、小さいけれどずっしりと重い巾着だ。中を覗くと、日本の十円玉みたいな鈍い色の硬貨がたくさん詰まっていた。
これはこの世界のお金に違いなさそうだけど、どうしてリュックの中に入ってるんだろう。
(ぬいぐるみが消えていて、代わりに入っていたのは服にお金に、食べ物……。ハッ! これはまさか!)
私は大きく目を見開いた。
これは、あのぬいぐるみの恩返しなのだ。
正直、恩を返されるような事は何一つとしてやってないけど、でもそう考えた方が素敵じゃないか。
私はこの説をクガルグに話し、あのぬいぐるみは本当はいいやつだったんだと力説したけれど、賛同は得られなかった。
「だって、なんで恩返しされるんだ?」
「わかんない」
「それに、なんでぬいぐるみはいなくなったんだ?」
「わかんない」
最終的には「わかんないけど、ぬいぐるみが消えてお金とかが入ってたんだから、ぬいぐるみがやったってことでいいとおもう」と押し通した。
少し重くなったウサギリュックを背負い直して、またキツネの姿に戻る。今日は王都に着けるだろうか。
「クガルグどこみてるの? そろそろしゅっぱつしよう!」
「いや、ずっとついてくるつもりなのかと思って。……まぁいいや、行こう」
あさっての方向を見ていたクガルグに声を掛け、私たちは林を抜け出し街道に戻ったのだった。
時計がないから正確な時間は分からないけど、十時くらいに一度休憩を取ってジャーキーを食べ、それから私たちはまたひたすら歩き続けた。
時々クガルグと追いかけっこをしたり、道端の花を摘んだりもしたけれど、昨日の教訓を活かして今日はなるべく道草で時間を潰さないように努力した。
おつかいをしている間は隻眼の騎士たち砦の皆にも会えないし、母上にも会えない。その事を改めて考えると寂しく思ったので、さっさとこのおつかいを終わらせるべく、私は真面目に前に進む事にしたのである。
そしてその頑張りの成果か、昼過ぎには今まで見た事もないような賑やかで大きな街に着いた。
これまで素通りしてきたいくつかの町と比べて人も多い。
私とクガルグはその街の入口から少し離れた土手の影に隠れつつ、興奮気味に目を輝かせた。
「すごい! 人がたくさんいるよ!」
「ここが“おうと”なのか?」
「きっとそうだよ! お城はここからじゃみえないけど、でも中に入ればみえるかも!」
「ふーん、やったな。あんがい近かった。らくしょうだったな」
喜びを隠し切れない私と、あくまで余裕の態度を崩さないクガルグだったが、そこへ妖精がぽこぽこと何度もぶつかってくる。
「いたいいたい。なに? ……あっちに進めって? おうとはここでしょ? え、違う?」
予想してたより随分早く着いたなぁとは思っていたけれど、妖精のジェスチャーを見てガクッと膝を折りそうになった。
妖精が私たちを導こうとするのはこの街ではなく、街道の先だ。
「えー……。今日はとってもがんばったからもう歩きたくないー。ほんと、すごくがんばったから」
少し斜めになった緑の土手に、伏せをするようにへたり込む。集中力が切れてしまったしお腹も空いた。
(そうだ!)
またジャーキーを食べようかなと考えたところで、目の前の街で買い物する事を思いつく。
王都ほどではないのだろうけど、これだけの規模の街だ。食べ物を売っているお店もたくさんあるはず。
ジャーキーもいいけど、寝ている間に何故かお金も手に入れたし、せっかくだから他の食べ物も食べてみたいな。
(でもキツネの姿のままじゃ喋れない。人型になって……あ、駄目だ。耳としっぽを見られたら人間じゃないことがバレちゃう)
それに服装だって着物とアラビアンで変わってる。この国の人たちの中では目立ってしょうがないだろう。
(そうだ、服といえば!)
私は土手の影に隠れたまま人型になると、急いでウサギリュックを開けた。
午前中に道端で摘んだ花がバラバラのぐちゃぐちゃになってしまっていたので、まずはそれを捨てる。リュックに入れるんじゃなかった。
改めてリュックに手を突っ込むと、お金やジャーキーと一緒に入れられていた服を取り出した。
ちょうど赤色と白色の二枚ある。
クガルグや妖精が興味深げに観察する中、その服を広げてみた。
外套にも見えるけど、フードがついているので雨合羽のようなものなんだと思う。ただ日本のものと違ってツルツルテカテカはしていない。
丈は足首くらいまであるので、これを着てフードを被れば、耳もしっぽも隠せる。
雨は降っていないけど空は曇っているし、子どもが合羽を着ていても周りの人はそれほど違和感は覚えないだろう。
ただ、一つだけ気になる点があった。
「なんだ、これ」
クガルグが赤い方の合羽を見て言う。私は白い方の合羽を持って軽く眉を寄せた。
どちらの合羽のフードにも動物の顔が刺繍されていて、なおかつ偽物の耳がついていたのだ。
白い方には私によく似た三角の耳。赤い方にはクガルグに似た丸い耳。
幼児用の合羽と思えば可愛いデザインだけど、私たちは自前の耳を隠そうとフードを被るのに、そこにまた耳がついてるとはこれいかに。
私はちらりと地面に置いたウサギリュックを見た。そしてまた合羽を見る。
この可愛さを追求したデザイン……似ている。
そして無駄にお金をかけて上等そうな布を使っているところも、縫製が丁寧なところも。
(まさかこの合羽も支団長さんチョイス?)
不気味なぬいぐるみがあればそれは十中八九ティーナさん製であるように、小洒落た可愛いデザインの服や小物は支団長さんが買ってきている可能性が高い。
でも支団長さんはここにはいないし、昨夜リュックにこの合羽を忍ばせるなんて無理だ。
私は不思議に思いながら、白い合羽に腕を通した。
クガルグにも人型になってもらって赤い合羽を着るように言う。
「おれ、こんなの着たくない」
「え、どうして?」
「もっとかっこいいのがいい」
「うーん……じゃあわかった。私ひとりでなにかごはんを買ってくるから、クガルグはここで待ってて」
「いやだ! おれもいっしょに行く」
どっちなの。
「これ着てくれないと、いっしょには行けないよ」
赤い合羽を差し出すと、クガルグは今度は大人しくそれを受け取ってくれた。
「じゃあ着る」
「ぼうしも、ちゃんとかぶるんだよ。しっぽはすそから出さないようにね」
私のしっぽはクガルグより短いもののボリュームがある。普通に合羽を着ただけではお尻だけやけに盛り上がってしまうのだが、ウサギリュックを背負った上から合羽を着ればいい感じにごまかせた。
頭の方も精一杯耳を寝かしてみたが、触ってみるとちょっと膨らんでいる。
だけどきっと見た人は偽耳の方に気を取られて、まさかその下にも耳があるなんて思わないだろう。
街には寄らず先に進みたそうにしている妖精を引っ掴んで、フードの中で髪に紛れさせる。
リュックの中から取り出していた巾着を開け、クガルグと山分けするため、だいたい半分くらいの硬貨を豪快にむんずと掴んで合羽のポケットに入れた。
「はい、こっちはクガルグのね」
そう言って巾着をクガルグのポケットに突っ込む。
「じゃあ行くよ! はじめてのお買いもの!」
私はクガルグの手を引いて、『ゴーダ』という看板を掲げた街に入っていったのだった。




