はじめてのおつかい、開始!
私はこれからは、母上にも隻眼の騎士たちにも頼らずに一人で立派に生きるんだ。
時々自分でも忘れそうになるけど、前世では人間だったんだからしっかりしてる方だと思うし、十分やっていけるもんね!
後から隻眼の騎士たちが寂しいって言ってきたって知らないし、もう二度とお腹も撫でさせてあげない!
齢三歳で自立してみせる!
頭の中でそんなふうに勇みながら、私はひと気のない街道をずんずんと歩いていた。
妖精は私を導くように少し前を飛んでいるが、少し遅れたりすると止まって待っていてくれる。
後ろを振り向くと、北の砦も、そこから少し離れたところに広がるのんびりとした町並みもまだ視界から消えてはいなかった。
結構歩いたつもりだったけど、まだまだ地元を抜け出せていないようだ。
隣町も小さな集落らしいので、そこへと続くこの街道を行き来する人は見当たらない。
もっと大きな街や王都に近づけば賑やかになるんだろうけど、今のところ周りにはジャガイモ畑が広がっているだけ。
お天気はいいけど、静かで寂しい……。
道の脇でしぶとく生き残っていた小さな雪の塊を見つけ、腹いせにぐちゃぐちゃにしてみたけど気分は晴れない。
妖精が『寄り道しないで』と言うようにくるくる回るので、仕方なく前に進む。
「なにか、おしゃべりしてよー」
一人旅はつまらないと思って妖精に話しかけるが、困ったように点滅するだけだ。
「あ、みて! あそこ!」
私が鼻先を向けたのは、前方左側に広がっていた草原である。
あそこには何度か行った事があるので分かる。あれは砦の軍馬たちの放牧場だ。
かなり広い敷地の中で、馬たちは草を食んだり、楽しそうに走ったりしている。
今はアイラックスやリーダーはいないが、私は他の馬ともすっかり顔馴染みになっていて仲良しなのだ。
つかの間、一人の寂しさを忘れて「わーい!」と放牧場に向かって駆けた。妖精が『そっちじゃないよ』と街道に誘導しようとするが、私は無視を決め込む。
時間は十分あるんだから、ちょっとだけ待って。
馬用の柵は私には高すぎるので、楽々と下をくぐり抜けて馬たちと合流した。
きゅんきゅん鳴いて挨拶すると、馬たちも鼻を寄せて返事をしてくれる。遠くにいた馬たちも『何だ何だ』と近寄ってきた。
その後三◯分ほど、私は彼らと思う存分遊んで過ごした。草原の上で一緒にごろんごろんと地面に体を擦りつけたり、駆けっこをして大差で負けたり。
アイラックスは足の短い私に気を遣って駆けっこでも負けてくれるんだけど、今日はいないので全敗だった。
スタートダッシュは私の方が素早いが、あっという間に追い抜かれてしまうのだ。しかも私は必死でしゃかしゃか動いているのに、あっちは本気じゃない。悠々と美しく走っている。
尾を振りながら楽しそうに駆ける皆を見て、ああ、このまま何気ない顔をしてここに居座り続けたい、と思った。
馬たちが砦に戻る時に、しれっと一緒について帰りたいと。
一瞬、おつかいに行ったふりをして厩舎に隠れてしばらく過ごすという案を思いついたが、母上に託された手紙はきっと大事なものなのだろうし、やっぱり王都には行かなきゃならないだろう。
私は小さく息を吐いて、馬たちに別れを告げた。
「そろそろ行くね」
誰か一頭くらいついて来てくれないかなと思ったが、くれなかった。
悲しい……。
放牧場を出ようとしたら、妖精が柵の上で大福みたいになって座っていた。途中から私を連れ戻すのを諦めて待ってくれていたらしい。
「おまたせ」
やっと来たかというようにポンとまん丸になると、妖精は再び私の先導を始めたのだった。
ウサギリュックを揺らしつつ、固い地面を肉球で踏みしめて歩く。
しばらく大人しく進んでいたが、目の前をちらちらと飛ぶ妖精についに我慢ができなくなって、ついぱくりと咥えてしまった。
ボールみたいな形をしてるし、ちょうど咥えやすい大きさだし、動きは魅力的だしで自制できなかったのだ。舌にひんやりと冷たい温度を感じる。
と、妖精が怒ったようにブーンと細かく振動し出したので、口を開けて逃がしてあげた。
はいはい、ごめんごめん。
言葉も話せない光の玉とそんなやり取りをしていると、ふと炎の気を感じて私は顔を上げた。
何もない空中に、ポッと小さな火が灯る。
私はこの光景をもうすっかり見慣れてしまったので、一歩後退して彼の到着を待った。
火は渦を巻くように大きくなり、私の体ほどになったところで黒く変化する。そしてそれはあっという間に小さな豹に姿を変えて、軽やかに地面に降り立った。
ネコ科とイヌ科の違いなのか、私より体も柔らかいし動きもしなやかなんだよねぇ。
「おはよ、クガルグ」
目つきの悪い黒豹は、私を見ると長いしっぽをぴんと立ててこちらに向かってきた。
頭を下げ、私のふわふわの胸にズンと頭突きをしてくる。
「うっ……」
結構衝撃があるので毎回尻もちをついてしまうけど、頭突きは親愛の表現らしいので我慢した。
クガルグはそのまま私にすりんと頭を擦りつけると、満足して元の位置に戻っていく。
「ミルフィリア。ん?……ここ、どこだ?」
嬉しそうに私の名前を呼んだ後で、クガルグはやっと周囲に視線を向けた。スノウレア山とも砦の中とも違う景色に目を瞬かせ、妖精にも気がついて訝しげな顔をする。
「クガルグ、まってたよ!」
私もしっぽを上げて歓迎した。彼の登場をこんなに心待ちにしたのは初めてかもしれない。
私は確信している。
クガルグなら! クガルグならきっと王都までついて来てくれるはずだと!
「待ってた? おれを?」
クガルグの赤い瞳が輝く。
私は彼にも王都へおつかいに行く事を説明し、一緒に来てくれるよう頼んだ。
「一人じゃさびしいから、いっしょに行こうよ! “たびは道づれ”ってやつ!」
日本のことわざには首を傾げられたが、クガルグは私のお願いに「わかった。行く」と二つ返事で頷いてくれた。
さすがクガルグ!
「やったぁ! うれしい!」
これで心細さは解消された。
私がとびきりの笑顔で喜びを表現すると、クガルグは照れてそっぽを向く。
「でも、そのしっぽの火は、かくさなくっちゃだめかも」
クガルグの細く長いしっぽの先には、常に赤い炎が灯っている。これを何も知らない人間が見たら驚くだろう。
私は頭を巡らせてどうやって炎を隠そうか思案していたのに、当のクガルグはあっさりとこう返してきた。
「わかった。じゃあ消す」
「消すって、どうやって?」
首を傾げる私を見ながら、クガルグはしっぽを大きく右に振った。
するとなんと、先で赤く燃えていた炎が消えてしまったのである。
「え!? 消せるの? 消していいの?」
動揺しながら訊いた。しっぽの炎が消える時はクガルグが死ぬ時だけだと、勝手にそんな事を思っていたからだ。
しかしクガルグのしっぽの炎は、別に命の灯火的なものではなかったらしい。クガルグは左に大きくしっぽを振って炎を復活させた後、また右に振って再び消し、なんでもない事のように言った。
「別に消したってだいじょうぶだ」
そうだったのか。びっくりした。
なら、旅の間は目立たないように消しておいてもらおう。
「じゃあ、そのままでおねがい」
「わかった」
「よし、それじゃ、しゅっぱつー! おうとまでガンバロー! ……おー!」
ノリの悪いクガルグが掛け声に応えてくれなかったので、自分で返す。
クガルグもまだ子どもなので『何かあったら私が守らなきゃ』という気持ちもあり、母上や隻眼の騎士たちといる時ほど気を抜く事はできない。
が、私の足取りはさっきまでより随分と軽くなった。妖精以外にも旅の相棒がいるっていいな。
ちょっと楽しくなってきたかもしれない。




