見送りの裏側
「行ったな」
真っ白い子ギツネを見送ると、グレイルは苦笑しながら呟いた。
すがりついてくるミルに素っ気ない態度を取るのはなかなか辛かった。
「ミルには悪いけど、すげー面白かったっすね」
「可愛かったわ」
キックスとティーナものんびりと笑いながら言う。
「ミルを見失わないうちに俺たちも出発しましょうよ。支団長はまだですかね」
「――お前たちの支団長ならここだぞ」
キックスの言葉に応えたのは、建物の陰から現れた大柄な男だった。
年齢は五◯代半ばくらいで、太い眉をした凛々しい顔立ちをしており、短く刈り上げられた髪は砂色だ。
また、髪と同じ色の短い顎鬚と歳相応の皺もあるが、隆々とした筋肉をまとっているため老いた印象はない。
騎士団をまとめる総帥らしい、貫禄を感じる容姿だった。
「団長、そこにいらしたのですか。それに支団長も」
グレイルが振り返って言う。
この砦の支団長であるクロムウェルは、団長であるガウスに肩を組まれてズルズルと物陰から引きずり出されていた。
細身のクロムウェルと熊のように大柄なガウスでは腕力の差は歴然としている。
しかしそれを抜きにしても、今のクロムウェルには抵抗する力は無いようだった。きっとウサギリュック装備のミルを見ていたのだろう、目をつぶってその姿を反芻しているらしく、ガウスに引きずられるままなのである。
グレイルもキックスもティーナも、そんなクロムウェルの様子を見て見ぬふりをした。
「さっきの小さいのが雪の精霊の子どもか。陛下たちから聞いていたが、可愛らしいものだな」
ガウスはそう言って豪快に笑う。ミルがこの場にいたなら、熊が吠えているみたいだと怯えたに違いない。
「それで、団長たちの話は終わりましたか。結論は昨晩と変わりなく?」
グレイルが訊くと、ガウスは太い首を軽く縦に振った。
「ああ、クロムウェルはここでの任務の続行を望んでいるし、俺もこいつにはここの環境と人間関係が合っているように思う。あの子ギツネのおかげか、王都にいる時より……生き生きしているしな。だが殿下の意向もあるし、それにサーレルも簡単には引かないだろう。全く、面倒な男だ」
本音を吐露しつつ、ガウスは一枚の紙を広げて見せた。
「グレイルにはすでに伝えたが、これは殿下からの書状だ。殿下はクロムウェルと直接話をしたいと考えておられる。したがって、クロムウェルには俺と共に一度王都へ戻ってもらう」
ガウスは王家の印が押されている書状をしまって、クロムウェルの肩を力強く叩いた。
「王都に戻ったら、殿下だけでなくサーレルともしっかり話し合うんだぞ。俺が出なくてもいいように、奴と二人で話をまとめてこい」
「団長はサーレル隊長と顔を合わせたくないだけでしょう」
クロムウェルが呆れて言う。
ガウスはサーレルの事が苦手なのだ。
クロムウェルの事も部下として可愛がっているので、いざとなったら味方をしてくれるだろうが、その“いざ”が来るまではサーレルとやり合うのが面倒くさいらしい。
「あいつとはどうも馬が合わん」
ガウスは、サーレルの事をミルに話した時のキックスと同じように苦い顔をした。
叩き上げで団長にまでなった肉体派のガウスは、大らかで細かい事は気にしない器の大きな人物だ。
しかしその長所は、サーレルにはガサツという短所だと捉えられている。頭が良いものの細かく執念深いサーレルとでは性格が間逆なので、両者がぶつかるのは仕方がない事なのかもしれない。
サーレルは団長であるガウスに表立って喧嘩を売るような事はしないが、ガウスの大雑把な計画にネチネチと突っこむというのが、本団の会議での恒例となっている。
「相変わらずですね」
子どもっぽく眉をしかめるガウスに、グレイルが笑った。
グレイルはサーレルとはほとんど接点がないので、その人となりはよく分からない。
ただ、昔何度か顔を合わせた時には、まるでグレイルなんて視界に入っていないかのような素っ気ない態度を取られた事はある。
グレイルもガウスと同じく叩き上げの人間であるし、見た目からして粗暴だと嫌悪感でも持たれたのかもしれない。
ガウスはグレイルを見て言った。
「サーレルの印象が変わるような出来事でもない限り、一生馬が合わないままだろう」
どこか子どもっぽい口調で言って顔をしかめると、キックスも密かに同意して、分かりますというように何度も首を縦に振った。
「それであの子ギツネだが、スノウレアからの手紙を届けるために王都へ向かうという事でいいんだな?」
「ええ、昨日スノウレアは詳しくは話しませんでしたが、ミルの話を聞くとそのようですね。手紙の内容までは分かりませんが……」
グレイルはそう答えて、昨日の事を思い返した。
人型のスノウレアが砦にひっそりと現れたのは、お昼に遊びに来たミルが帰った後だった。
そこで彼女が頼んできたのは、王都に行かせるミルの護衛だ。
『ミルフィリア一人では心配でな。あんなに愛らしい子が道を歩いておれば攫われてしまうじゃろう? そこでそなたらにミルフィリアの後をつけてほしいのじゃ。わらわの代わりに守っておくれ』
美しい雪の精霊は、グレイルたちの都合など全く訊く事なく、唐突にそんな要求を出してきた。
しかし精霊の自分勝手さには慣れてきたグレイルだったので、すぐに「分かった。何とか都合をつける」と了承した。
『都合など、適当につければよい。わらわはここに来る前、わざわざ人間の王のところまで飛んで許可をもらってきてやったのじゃから』
『許可?』
『騎士であるそなたらが、砦の仕事よりもミルフィリアの事を優先させてもいいという許可じゃ。そなたらは一々上の者に許可を取らねば自由に動けぬのであろう? わらわはそれくらい知っておるのだ。そなたの他に腕の立つものを数人連れて行ってもいいと王は言っておったぞ』
スノウレアがここまで積極的に動いている事に、グレイルは軽い驚きを覚えた。
『一体何を計画しているんだ? 王都というのもミルにとっては遠過ぎる。途中、人の多い街を通らざるを得ない時もあるし、見知らぬ人間の目にミルを晒す事は貴女が一番嫌がる事だろう』
グレイルが尋ねると、スノウレアは袖で口元を軽く覆って無表情に地面を見つめた。
『近くへ使いにやっても、すぐに帰ってきてしまうからな』
『……どういう事だ?』
『そなたら人間には関係のない事。ミルフィリアは明日の朝に出発させるつもりじゃからな、頼んだぞ。わらわはそなたの事は一応信用しておるのじゃ』
そしてスノウレアは最後にこう言い残して山へと戻っていった。
『ああ、そうじゃ。そなたら、明日からしばらくは山に登ってくるでないぞ。麓の祭壇へも来ぬ方がよい。これを守れぬなら命の保証はできぬ。町の人間たちにもそう伝えるのじゃ。しばらく貢物もいらぬとな』
スノウレアが何を考えているのかは分からないが、本人が詳しく話す気がないならそれ以上は聞けなかった。無理に食い下がって機嫌を損ねれば、季節外れの吹雪にさらされかねないからだ。
スノウレアは滅多な事ではグレイルたちに攻撃なんてしてこないだろうが、それでも人とは違う感覚を持つ精霊と話す時は、王族と会話をする時以上に気を遣わなければならない。
「で、王都へ行くのはグレイルとそこの二人か?」
回想していたグレイルに、ガウスが声を掛ける。
「ええ、キックスとティーナです。支団長と団長も王都へ行かれるという事ですので、五人で行動しましょう」
グレイルがちらりとクロムウェルを見ると、深く頷かれた。彼もミルが気になるのだ。
どうせ王都に行くなら熊のようなガウスと二人より、可愛い子ギツネと一緒の方が楽しいに決まっている。
「という事は、俺らは支団長のお供兼、ミルの護衛っすね。でも支団長も副長も不在になるなんて、砦は誰に任せるんですか?」
キックスが頭の後ろで手を組んで言うと、ガウスが答えた。
「ビスタとオルフェスを連れて来ているから心配はいらん。お前のような若い奴でも名前くらいは聞いた事があるだろう。ビスタは俺より歳が上だが、過去に支団長経験もある有能な老騎士だ。オルフェスも経験・実力共に十分。この砦を任せられる人物たちだ」
「そっすか。ならよかったです! ここの騎士たちは支団長や副長がいないと何しでかすか分かんないっすからね」
「それキックスが言う? 何しでかすか分からない筆頭なのに」
ティーナがつっこんだところで、クロムウェルがアイラックスの手綱を取った。
「準備は整っているんだな? ならば早く出立するぞ」
必要以上に人目を引かないようにクロムウェルが紺色の騎士服の上から地味な色のマントを巻きつけると、グレイル、キックス、ティーナも同じようなマントを羽織った。
ガウスもすでに王都へ戻る支度は済ませてあるようだ。
「ミルを見失わないうちに追いつかないといけませんね」
グレイルが颯爽と馬に跨りながら言う。
こうして北の砦の四人は、団長のガウスと一緒に砦を発ったのだった。




