支団長さんの事情(1)
うつらうつらしていると、「終わったぞ」と隻眼の騎士に声を掛けられた。
仕事が終わったという事は、お昼の休憩に入るという事で、つまり一日一度の私のごはんの時間でもある。
この砦で生活をしていた頃は朝と夜に貰っていたのだが、今はお昼に遊びに来ているので、そのタイミングでごはんを出してくれるのだ。
ぱっちり目を開けて、隻眼の騎士の膝から床へ飛び降りる。
すぐに食堂に行きたいのに、隻眼の騎士が机の上の書類を整理したりしてなかなか部屋を出ようとしてくれないので、その足元を忙しなく行ったり来たりしながら待つ。
早く早く!
隻眼の騎士は、こういう状態の私に一人で歩かせると、急ぐあまり開ききってない扉に突っ込んだり、廊下の角で誰かと衝突したりすると分かっているらしく、部屋を出る前にむんずと掴まれ抱き上げられた。
ティーナさんなら何とかなるが隻眼の騎士の腕からは逃れられないと学習しているので、私も自分で走っていくのは諦めて大人しくする。
ごはんが楽しみ過ぎる気持ちを自分の鼻を何度も舐めてごまかした。
しかしお腹が空いているのに、真っ直ぐ食堂には行けないらしい。
私たちが執務室を出ようとしたところで、キックスがノックもせずに勢いよく室内へ飛び込んできたからだ。
金色の髪を僅かに乱れさせ、隻眼の騎士の顔を見た途端にこう叫ぶ。
「副長! 支団長が騎士団を辞めるって本当っすか……!」
その唐突な言葉の内容を、私は一瞬理解ができなかった。
けれど、冗談を言っているとは思えないキックスの真剣な声が遅れて頭に染み込むと、私も隻眼の騎士を見上げて口を開く。
「やめる? しだんちょうさんが!?」
隻眼の騎士がとがめるような視線を向けると、キックスはやっとこの場に私もいた事に気づいたようだった。
一度「あっ」と声をこぼしたが、すぐに開き直る。
「でも、ミルだって気になるよな? 支団長がいなくなったら嫌だろ?」
「やだ」
大きく口を開けて答える。
「どうしてそんなことになってるの?」
支団長さんが辞めてしまうだなんて。
やりがいを持って仕事をしているように見えたけど、本当は違ったのかな。支団長となると責任もストレスもあって大変だったのかもしれない。
待てよ? それに気づいてあげられず、私はなんて事をしてしまっていたのだろう。
支団長さんの貴重な休憩時間に執務室に押しかけて、ひたすら私のためにボールを投げさせたりしていた。
だって支団長さんが一番投げ方が上手いのだ。隻眼の騎士は飛ばし過ぎるし。
ボール遊びって私は面白いけど、ボールを投げ続けるだけの人間はたぶん面白くないと思う。
休憩時間を潰し、私に付き合って延々と単純な動作を繰り返すのは辛かったに違いない。ストレスだったかも。
どうしよう、私ってば……と反省していると、隻眼の騎士はため息をついてキックスにこう言った。
「誰がそんな“でまかせ”を流しているんだ?」
「でまかせ? うそってこと?」
私は首をひねって隻眼の騎士を見た。キックスも軽く戸惑っているようだ。
「けど、支団長と副長がそんな話をしてるのを聞いたって、ジルドが……」
話の出どころが自分だと知って、隻眼の騎士は顔をしかめた。だが、こう断言する。
「支団長が騎士団を辞める事はない。ジルドの聞き間違いだ」
なーんだ、聞き間違いか! と私は胸を撫で下ろしたのだが、
「本当っすか?」
キックスは疑わしげに念を押した。
隻眼の騎士は片眉を上げる。
「本当だ」
「でもジルドも支団長が辞めるだとか辞めないだとかいう話を確かに聞いたって――あ、分かった!」
キックスはそこでポンと手を打った。
「騎士団は辞めないけど、この砦の支団長を辞めるって事ですか?」
私はハッと目を見開いた。キックスはこういう勘は鋭いのだ。私が食堂で盗み食いした事とか、隻眼の騎士の上着の上で寝て皺くちゃのよだれまみれにした事とか、本人が隠そうとしている事ほどよく気づくから、きっとこの予想も当たっているに違いない。
「しだんちょうさん、ここからいなくなっちゃうの?」
隻眼の騎士は私を見下ろして困った顔をした。少し逡巡してから説明を始める。
「王都の本団に戻る話が出ているというだけで、何も正式には決まっていない。本人はここでの任務継続を望んでいるし、いなくなったりはしないさ」
安心しろというように頭を撫でられる。
隻眼の騎士はあまり詳しい話をしたくないようだったが、キックスはさらに追及した。
「ジルドが言ってました。お二人の話の中で、王都のサーレル隊長の名前が出てたって。あの人が関係してるんですか?」
「その話は支団長の執務室でしていたはずなんだが。ジルドは扉に耳をつけて立ち聞きをしていたらしいな」
隻眼の騎士の右目が鋭く光ったのを見て、キックスは慌ててジルドさんを庇った。
「仕方ないっすよ。そんな話が漏れ聞こえてきたら俺だって扉に張りつきますって。支団長を敬愛しているが故じゃないっすか」
ジルドさんは、キックスとよく一緒に喋っている若い騎士だ。二人とも新人の頃は王都にいて、同じ隊に所属していたらしい。
「お前は、王都ではサーレル第一隊隊長の下にいたんだったか」
隻眼の騎士がキックスに尋ねると、
「騎士団に入ったばかりの頃に。でもジルドと一緒にちょっと反抗的な態度を取っただけで二人してすぐにこっちに飛ばされましたから、相手は俺の事なんて覚えてないっすよ。俺は嫌な上官としてしっかり記憶してますけど」
キックスは苦々しい顔をして答えた。
「サーレル隊長の名前が出てきたのは、あの人がこの砦への配属を希望しているとか、そういう事ですか? 昔ならあの人がこんな辺境の地に来るなんてあり得ない話ですけど、今の第九支団ならサーレル隊長も興味を示すでしょうし……」
キックスはそこでちらっと私を見てから続けた。
「あ、そうか! 支団長が王都に戻る代わりにサーレル隊長がここに来るっていう話が出てるんすね」
独り言のようなキックスの言葉を、隻眼の騎士は複雑な顔をして聞いていた。何故こういう時だけよく頭が回るんだ、と言いたげである。
どうやらキックスは正解を導き出してしまったらしい。
一方、私は自分の記憶を一生懸命掘り返していた。前に王都の本団の事を教えてもらった事があるのだ。
『泥遊びをするとお風呂に入れられる』とか『食堂の厨房の棚にはジャーキーのストックがある』とかいう大事な知識を横にどけながら、騎士団の知識を引っ張り出す。
王都にある本団にもこの第九支団と同じようにたくさんの隊があるみたいだが、規模が違うので隊を構成する人数も多いらしい。
王都の隊一つで、第九支団一つ分くらいの人数にはなるのだ。階級も王都で隊長なら地方では支団長クラスになるとか。
キックスたちの言っているサーレル第一隊隊長というのは、本団にいる隊長たちの一人なのだろう。そこそこ偉い人だ。
そして彼はこの北の砦の支団長になりたがっているらしい。
辺境の地にあり環境の厳しい北の砦へ配属されるという事は、左遷されるという事に近い意味を持つはずだが、そのサーレル隊長さんは何故ここへ来たがっているのだろう。
支団長さんやティーナさんみたいに向上心の強い人なのかな。でも、それにしてはキックスに嫌われ過ぎている。
「ほんと目ざといっつーか、野心家っていうか。相変わらずなんですね、あの人」
隻眼の騎士はキックスの辛辣な言葉に同意も反論もせずに言う。
「とにかく、今の時点でお前たちに伝えられる事はない。まだ何も決まっていないんだからな。くれぐれも他言するんじゃないぞ。ジルドにもそう言っておけ」
それから隻眼の騎士とキックスとで食堂へ向かったけれど、支団長さんの事が気になって、あまりごはんの味は分からなかった。




