子どもは天敵
ハッと気づいた時には朝だった。
母上の元へ行こうと勢い込んで出発したのはよかったが、今世の私はまだ幼い。体が気持ちについていかず、てくてくと数百メートル進んだところで疲れて眠ってしまったのだ。
子供というのは遊んでいても次の瞬間には電池が切れたように眠ってしまう事があるが、まさにあんな感じ。精神的には成人なはずの私がそんな状態になるなんて、ちょっと恥ずかしいけれども。
ぶるぶると体を振って、寝ている間に背中に積もっていた雪を振り落とす。結構ずっしり乗ってた。
そして今日こそは一気に下山するぞと、気持ちを新たにする。
とはいえ、私の歩幅はおそろしく短いのだ。
わふわふと息を切らせて走ってみるものの、進んだ距離は微々たるもの。泣いていいですか。
景色はずっと変わらず真っ白だし、こんなんじゃ王都へ行くどころか、この山からも抜け出せない。もっと必死に走らなくては。
わふわふ、わふわふ
わふわふ、わふわふ
必死だよ、一生懸命なんだよ、私は。
ただこの外見のせいで、何をしても呑気な効果音がついてしまうだけで。
わふわふ、わふわふ……
***
この世界に生まれて1年。自分の足の短さを、これほどまでに痛感したことがあっただろうか。
15日。
山を下り、その裾野に広がる森を抜けるのに、合計15日もかかった。
……もう留守番期間の半分過ぎてる。
今、私は森を出て、人間の住む町へと続く小道を歩いていた。意気揚々と住処を出発した時より、テンションはだいぶ下がっている。
救いなのは、走りっぱなしだったのに全く筋肉痛にはなってないことだ。疲労は毎日溜まっていったけど、一晩寝るとリセットされていた。
今も、今日走った分の疲れがあるだけ。精霊だからこその回復力なのだろうか。
母上の話によると、私たちの住んでいる山はこの国の一番北の端にあるが、王都はもっと国の中心部にあると言っていた。冬でも雪が少なく、比較的暖かい地域にあると。
しかし私の周りにはまだまだ雪原が広がっている。15日かかってここまでしか来れないんじゃ、王都までなんて無理なんじゃないかな。
諦めの境地に達しつつも前に進んで歩いていくと、やがて分かれ道に出た。
右には人間の住む町が広がっている。山を下りて人里までやってきたのは初めての事だったので、私は興味深くその町を眺めた。
雰囲気は古い時代のヨーロッパという感じで、西洋風の味のある家々が並んでいる。町は大きく人口も多そうだが、ここら辺は寒さも厳しく雪もよく降るからか、ひっそりと静かな印象だ。みんな暖かい家の中に籠っているのだろう。
一通り町を観察すると、今度は左を振り返った。
そちらには巨大な施設が建っているのだが、その色気も飾り気もない外観からして、基地や要塞、砦といった軍事施設だろうと予想できた。
この国にも軍隊とかあるのかな。それともファンタジーぽく騎士団とかだろうか。
分かれ道に立ち、さてどっちへ行こうかと迷っていた時だった。
町の方から幼い子供が2人、私の姿を見つけて走ってきたのだ。
「わんわ!」
誰がわんわだ、失礼な。
「わんわ、わんわ」
男の子と女の子が楽しそうに私の元に駆けよって来たかと思うと、次の瞬間、むぎゅうぅ、となんの遠慮もなく抱きつかれた。
うぐぉぉ……お願いします、ちょっとだけ力の加減をして下さい。口から出てはいけない物が色々出てしまいます。
「わんわー!」
分かったよ、わんわは分かったよ。
子供たちは西洋人風の顔立ちで天使のように可愛いんだけど、力は結構強い。ぐいぐいと毛を引っ張られ、しっぽを引っ張られて、思わず「きゅんきゅん」と情けない声を上げてしまった。
子供にも負ける私。
しかしこの子たちにも悪気があるわけじゃないから、噛みついて抵抗することもできない。
イタタタタ、と顔を歪めながら、どうやってこの修羅場──私にとっては余裕で修羅場だ──を抜け出そうかと考えていると、タイミングよく救世主が現れた。
「アルト、ミーナ、どこにいるのー?」
この子たちの母親らしき女性の声が町の方から聞こえてきた。子供たちは一瞬そちらに気をとられて、手の力を抜く。
そしてそのチャンスを逃すものかと、私はすぐに駆け出した。子供たちとは反対の方へ向かって。
白い弾丸のように、雪の上を疾走する。
……すいません、嘘つきました。実際はわたわたと転がるように逃げ出しただけです。
近くの茂みに身を隠してから後ろを振り返ると、「わんわ、いっちゃった」と指をくわえてこちらを見ている子供たちのところへ、ちょうど母親がやって来たところだった。
「お家に帰るわよ」
2人は母親に手を引かれて、温かな家へと帰っていく。
あー、いいなぁ。私も母上が恋しい。
今の甘ったれな私が前世では成人間近だったなんて誰が思うだろうか。やっぱり精神が体の年齢に引きずられている気がする。
元の私はもうちょっとしっかりしていたはず。……はず。
さてと。私はそろそろと茂みから出て、考えた。
町の方にはまだあの子供たちがいるから、今はあんまり行きたくないなぁ。笑顔で全力疾走してくる子供には、これからも気をつけないといけない。無邪気で可愛くておそろしい生き物だ、子供というのは。
町へ行くという選択肢が消えたので、私は左へ進路を変えて歩き出した。
いかつい要塞の前まで来て、中に入れそうな出入り口を探す。ここはたぶん、この国に仕える軍だか騎士団だかの支部だと思う。きっと王都への道順を知っている人もたくさんいるはず。
問題は、「きゅんきゅん」としか鳴けない私がどうやって人に道を尋ねるかという事なんだけど。
まぁ何事も挑戦。
とりあえず中に入ってみようというわけで、要塞を囲んでいる鉄柵の隙間に私は体を滑り込ませた。




