番外編「保護者がいっぱい・その1」
ミルが人化しますので、苦手な人はご注意ください。
生まれて2年、私はついに人間に変化できるようになった。
「母上、みてー!」
ねぐらにしている洞窟の中、大きな白いキツネの姿で休んでいた母上に、私は人化した自分の姿を披露した。
人間になってもちょうど2歳児くらいの大きさで、白銀の髪は腰辺りまでと長い。服は母上が人化した時に身につけているものとよく似た白い着物。ただ丈が短くて膝上までしかなく、裸足の足にはわらじを履いていて、何だか雪ん子っぽい。西洋の雪の精霊と言うより、日本の雪の妖怪だ。雪蓑とか被ればさらに完璧。
「おや、ミルフィリア」
母上は顔をこちらに向けると、軽く目を見開いた。
「そなた、もう人型になれるようになったのじゃな。なんと愛らしい姿じゃ!」
母上も人の姿になると、感動したように私の体をぎゅっと抱きしめてくる。柔らかい。胸が柔らかい。
しかし体を離して改めて私の姿を眺めた母上は、くすりと妖艶な笑みを漏らしてこう言った。
「けれど、未だ完璧ではないようじゃな。耳と尾が出ておるぞ」
「え?」
ハッと自分のお尻を確認すると、ファサっとした白いしっぽが揺れていた。短い手を頭の上に伸ばすと、毛に包まれたキツネの耳の感触が……。
「うわ、ほんとうだ」
慌てて目をつぶって集中するも、どうにも難しくてそれらを引っ込める事が出来ない。
「さいあくだ!」
私は自分のキツネ耳を両手で押さえてしゃがみ込んだ。恥ずかしい!
やだよ、こんな中途半端な姿。しかも耳としっぽだけキツネとか、何か狙ってるみたいじゃんか。すごい、あざといじゃんか。
「ふふ、何も悪い事などないぞ。可愛らしいではないか」
母上は“ケモ耳”という日本語は知らないし、そういう萌えジャンルがある事ももちろん知らないが、私の今の姿に何かのツボをぐいぐい押されたらしく、満面の笑みでぎゅうぎゅう抱きしめられた。世界が変わっても、人の心をキュンとさせるものは変わらないのか。
洞窟の中には鏡が無いので、私は自分の姿を客観的には見られないんだよなぁ。
しばらく母上に撫でくり回された後、ふと、ある事を考えついた。
「ねぇ、母上。母上も人のすがたのままで、お耳としっぽ出せる?」
「妾が?」
わくわくしながら目の前の美女を見上げる。
「はて、わざわざ耳と尾を出すなど、やった事が無いからの」
「やってみてー! おねがい!」
母上に縋り付いてしっぽを振る。きっと今、私の瞳はキラキラと輝いているはずだ。
「ふむ」
母上は静かにまぶたを閉じ、ほんの一瞬集中した後、見事キツネ耳としっぽを生やしてみせた。その衝撃的な姿ったら!
「は、母上……!」
私は思わず言葉を失った。
幼児というのは皆可愛いもので、それに可愛いキツネ耳をつけたって、『可愛さ』が倍になるだけだ。幼い私がケモ娘になったとて、振れ幅は少ない。
しかし豊満な肉体を持った大人の女性で、一見冷たそうに見える氷の美女がキツネ耳としっぽを装備したらどうなるか。
『美しさ』+『冷たさ』+『妖艶な色気』に、さらに『可愛さ』がプラスされるのである。
その破壊力たるや! 想像してみてよ! ぶりっ子にネコ耳つけたって何の感動もないんだよ! けど、普段はクールなあの子がネコ耳をつけたとしたらどうよ!
……私、究極生物を誕生させてしまったかもしれない。
「ははうえ、すごい……すごい……」
興奮と感動で震え始めた私を見て、母上が若干引き始めた。
「ど、どうしたのじゃ、ミルフィリア」
母上には分かんないかなぁ、この衝撃。
しかし自分でも自分の興奮具合が気持ち悪いと思うので、目の前のキツネ耳の美女から目を逸らし、心を落ち着かせた。母親を見て興奮する幼児なんて嫌だもんな。
「ごめんね、なんでもないの。おそろいで嬉しかっただけー」
自分の頭に生えた耳を触りつつ、へへ、と無邪気に笑ってごまかす。
「そうか、そうじゃな、お揃いじゃ」
母上も嬉しそうに笑って、私の耳にキスを落とした。あー、辛い。母上が可愛くて辛い。もうずっとその姿でいてほしい。写メ撮って永久保存したい。本人は自分がどんなに萌えな姿してるのか分かってないところがいい。
「母上、今日はずっとそのすがたでいてー!」
甘えるように言うと、母上は「よいぞ」と快く頷いてくれた。
やったぁ! 今日一日、キツネ耳の美女と一緒〜!
***
母上の萌えな姿を堪能した次の日、私は自分の人化した姿を見てもらおうと砦に向かった。いつものように昼の休憩時間を狙い、隻眼の騎士目指して飛んでいく。移動は一瞬で済んだ。
目を開けるとそこは砦の訓練場で、訓練を終えた皆が剣を持ってぞろぞろと建物の中に戻っていく最中だった。隊をまたいだ合同訓練でもしていたのか、結構な人数だ。
私の目の前には隻眼の騎士が立っていて、しかしこちらに背を向けているのでまだ私には気づいていない。
そして隻眼の騎士の隣で彼と話をしているのは、我が心の友、支団長さんだ。今の訓練で部下たちの剣の実力や、性格、相性なんかを見ていたらしく、「次の隊編成をどうするか」という話を二人でしているみたい。よく分からないけど。
数秒待ったが、一向にこちらに気づく気配がないので、私は隻眼の騎士の外套の裾をくいくいと引っ張った。すぐに振り向いた隻眼の騎士は、視線を落として私を見つけ、一瞬怪訝な顔をした。
「子ども? 一体どこから入って……」
不思議そうに言ってから、中途半端に言葉を止める。素早く私を観察する隻眼の騎士の視線が、髪の色や服装、そして頭に生えた耳やしっぽに移っていくのが分かった。どうやら私の正体に気づいたみたい。
「……ミルか?」
僅かに眉を上げただけで表情こそ変わらないものの、声には若干の驚きが含まれていた。
いたずらが成功したような気分になって、何だか嬉しい。にっこりと笑って言う。
「そうだよ!」
隻眼の騎士は私の正面にしゃがみ込み、優しいお父さんのようなほほ笑みを浮かべた。
「そうか、そういえばスノウレアも人の姿をしていたな」
「でも、母上が人にへんかできるようになったのは3さいの時だって。私はまだ2さいだよ」
前世で人間だったからか、私は人化出来るようになるのが早かったようだ。ま、精霊にとっての1年なんて人間にとっての1日みたいなものだから、差なんてほとんど無いのかもしれないけど。
けれど私が得意げに胸を張って言うと、隻眼の騎士は「そうか、すごいな」と褒めてくれた。
「そうでしょう〜。実はね、ずっとれんしゅうしてたんだよ」
褒められたのが嬉しくて、にやけながらブンブンとしっぽを振る。
「偉いな。すごいぞ」
隻眼の騎士は手袋を取って、がしがしと私の頭を撫でた。あ、ちょっと。撫でるどさくさに紛れて耳をふにふにするのはやめろ。
二人でじゃれ合いながら、そう言えば支団長さんもいたんだったと隻眼の騎士の背後を見ると、彼は両手で顔を覆ってぷるぷると震えていた。ど、どうしたんだ。
「せきがんのきし……支だんちょうさんが……」
心配になって言うと、隻眼の騎士はちらりと後ろを確認した後、「大丈夫だ」と力強く断言した。
「でも……」
どう見ても大丈夫ではないんだけど。
何かちょっと、昨日キツネ耳の母上を見て感動に打ち震えていた私に似てる?
「副長ー! その子、まさか……!」
訓練場から去ろうとしていた他の騎士たちが、私たちの話し声に気づいてこちらに引き返してきた。先頭にいるのはキックスだ。そのすぐ後ろにはティーナさんも、コワモテ騎士たちもいる。
「ああ、ミルだ」
「まじすか!? 何その姿! 何この生物兵器!」
キックスが私の頭をぐしゃぐしゃに撫でくり回そうとしてきたので、サッと隻眼の騎士の後ろに隠れる。しかししつこいキックスが追ってきたので、二人して隻眼の騎士の周りをぐるぐる回った。
「撫でさせろよ!」
「キックス、髪きたなくするからイヤ」
「しないって!」
「耳ひっぱるからイヤ」
「しないって!」
「おい、周りをちょろちょろするな」
隻眼の騎士がキックスの襟首を掴んで止めてくれたので、ホッと息を吐く。
「やだ! ミルちゃん可愛い!」
次に声を上げたのはティーナさんだ。興奮したように瞳をうるうるさせて、頬を紅潮させている。
「すんごく可愛い! やだー! キュンキュンするっ! 何これ、やだー! すごい嫌だ!」
え、すごい嫌だ!?
「あ、支団長……?」
ハイテンションだったティーナさんが、ふと私から視線を外して言った。相変わらず両手で顔を覆ったままの支団長さんが、憔悴しきった様子でふらふらと建物の方へ歩いていったからだ。
「え、大丈夫ですか? 一体どうされ——」
「ティーナ」
支団長さんの元へ駆け寄ろうとしたティーナさんを、キックスや他の騎士さんたちが止めた。彼らは皆、何やら訳知り顔で、先ほどの隻眼の騎士と同じように力強い口調で「大丈夫だ」と言っている。
「今はそっとしておいた方がいい。支団長は大丈夫だから」
「そうそう、ただちょっと衝撃が強かったんだろう」
「何の心の準備もなくミルを見たみたいだな。人格が崩壊しかけてる」
「人格が崩壊!? それ大丈夫じゃないじゃない!」
「いや、大丈夫大丈夫」
私もティーナさんも支団長さんが心配だったが、他の人たちは生温かい視線を去っていく支団長さんに向けていた。訳が分からん。
ともかく、訓練場にいた支団長さん以外の皆を驚かせる事は出来たし、人化の練習をした甲斐があるというものだ。
それにやっぱり、人間の体の方が色々と便利な気がする。例えば、この指。私は地面に積もった雪を掴み、両手で丸めた。力を込めて固く握ると、その雪玉を無言でキックスの足にぶつける。
「うおっ! 何だよ、いきなり——」
再度雪を掴んで、また無言でキックスに投げた。
「え、何!? 何で俺だけなの!?」
去年、ふざけたキックスが投げた雪玉が、私の顔面にクリティカルヒットした事を思い出したのだ。あれは痛かった。今になってふつふつとした怒りが蘇ってくる。
「去年、キックス、私のかおに雪玉ぶつけた!」
「ええ!? それ、まだ根に持ってんのかよ! てか、人化して最初にする事が復讐!?」
キックスが謝るでもなく開き直ったので、私は次々と雪玉を作っては野球のピッチャーのように振りかぶって、力一杯キックスに投げた。
「ちょ、痛い! 結構痛い!」
隻眼の騎士を始め、周りの皆は私を止めるつもりもキックスを助けるつもりもないようで、「いいぞ、もっとやれ」なんて囃し立てながら笑っていた。じゃあ、遠慮なく。
なんて子どもっぽい事をやっていると、ふと、ここへ近づいてくる『火の気』を感じた。この感覚は、この一年で何度も味わったから分かる。
——クガルグが来る。




