番外編「炎の子」
今日は王都に来ている。
人間の王様に会いに、だ。
私を守るため、母上は私という存在を隠したかったようだが、この前の一件で隻眼の騎士たちにバレてからは考えを変えたようである。
隻眼の騎士たちは当然、主である国王に私の事を報告しただろうから、だったら向こうから詮索される前にこちらから先手を打とうという訳。
王様たちに私の事を紹介して、「この子に何かあれば、妾は自分でもどういう行動にでるか分からぬからな」とか、「そこのところ、そなたから人間どもにもよく言って聞かせておくように」などときっちり釘を刺していた。
小心者な私は、母上が王様たちに命令口調で話すのを聞いて内心ドキドキしていた。王様たちは慣れているのか、実際に母上の方が偉いのかは分からないが、とにかく怒ったりはしなかったのでホッと胸を撫で下ろす。
「しかし実に可愛らしいなぁ」
王様が顔をほころばせてこっちを見つめてくる。
迎賓室みたいな広くて豪華な部屋に通された私と母上は、繊細で上品でちょっぴり派手な調度品に囲まれながら、優雅な長椅子に座って、王族の人たちと向かい合っていた。今いるのは、王様と王妃様と、一番上の王子様だ。王子様はもう成人していて、王様たちは50代くらいかな。皆金髪でキラキラしている。とても王族っぽいです。
「本当に。見ているだけで癒されるようですわ」
「きっと撫で心地もいいのでしょう」
王妃様と王子様も続けて言う。
会った時から、それとなく『撫でたいオーラ』みたいなものは出されていたけど、私は母上の体と椅子の背もたれの間に体を半分滑り込ませたまま動かなかった。いや、動けないのだ。王族を前に緊張するなと言う方が無理だ。前世で私はただの小娘だったんだぞ。
向かい側に座っている王様たちは、母上の後ろに隠れている私を見ようと三人揃って体を軽く傾けている。ちなみにその後ろに立っている護衛の騎士さんたちも皆同じように若干傾いていて、ちょっとおもしろい。
「けれど、私はとてもいい時代に生まれたようですね。精霊の幼い姿を目にする事ができるなど、滅多にない事でしょう? それも雪と炎の子、二人もなんて」
王子様が隣にいる王妃様たちに向かって、同意を促すように言った。
「ほのおの子?」
気になる単語に思わず声をこぼすと、向かい側の皆がハッとこちらに視線を戻した。ここで喋ったのは初めてだからびっくりさせたのかとビクビクしていたら、王妃様に「もうお喋りが出来るのね! 何て可愛らしいお声でしょう」と褒められた。照れる〜。
「スノウレア殿から聞いていないかな? この国の南には炎の精霊がいて、彼にも子どもがいるんだ。ミルフィリアより半年ほどお兄さんになるかな」
にこにこ笑いながら王子様が丁寧に教えてくれた。
炎の精霊? 私と同じくらいの年の子ども? 全然知らない。
そっと母上の顔を覗き込むとちょっと不機嫌になっていた。炎の精霊さんの事、あんまり好きじゃないのかな。
「その話はやめよ。噂をすれば…と申すじゃろう。あやつが姿を現したらどうする」
あ、やっぱり好きじゃないんだ。
そんな母上に王様は苦笑いしていたが、ふと視線を窓際に移すと、再び困ったように笑って言った。
「どうやら、もう遅いようですよ」
彼が指差す方に、私も顔を向ける。
するとそこには真っ赤な火の玉が浮かんでいて、思わずぎょっと背中の毛を逆立てた。一瞬お化けかと思ったけど、その火の玉はボウッと燃え上がって細長くなり、ぐるぐると渦を巻くように大きく膨らんでいった。
かと思うと、次の瞬間には炎は消えていて、代わりにその場には褐色の肌の男の人が立っていたのだ。
燃えるような赤い髪に、紅い瞳。話の流れからしても、きっと彼が炎の精霊なのだろう。
上半身は裸で、鎖骨から両腕に広がる刺青があり、首や手首には金の装飾品をつけていた。足首で絞られたゆったりとしたズボンを履いていて、刺繍の施された腰布を巻いている。ちょっとアラジンぽい。
母上は着物なのに、彼には日本的要素はなかった。精霊でも色々なのかな。
「スノウレアじゃないかっ! 久しいな!」
大柄な炎の精霊さんは軽く手を挙げて、母上に砕けた笑顔を見せた。輝く白い歯が素敵だ。
炎の精霊というともっと我の強い感じかと思ったが、彼はとてもフレンドリーなようである。でもキレたら手が付けられなさそうな、そんな感じもしないでもないし、初対面で何だけどちょっと暑苦しい感じもする。あと声がでかい。
「妾に近寄るでない」
炎の精霊さんはすごく親しげに近づいて来てくれたのだが、母上は私を抱えて慌てて席を立った。珍しく冷や汗をかいている。
「不用意に近寄るなと大昔から言うておろう! そなたの『気』に妾たちは弱い。近くにいると身が溶けそうじゃ」
そう言って相手を睨みつける。
私もちょっと冷静になって、炎の精霊さんの『気』を探ってみた。確かにこれはちょっと……私たちにはキツいかもしれない。まるで彼の体から熱気が発せられているみたい。熱くて、何だか体がだるくなってきた。
「悪い悪い! だがそんなに避けなくてもいいじゃないか! 俺もお前のヒヤッとする『気』にはなかなか慣れないが、そんなに嫌いではないぞ!」
わははと炎の精霊さんが豪快に笑うと、今度は熱波が襲ってきた。ぎゃー、溶けそう! 母上と二人、身を寄せ合って耐える。人間の王様たちの様子は特に変わらないから、私たちほど敏感ではないようだ。
炎の精霊か……。母上が避けようとするのもよく分かる。
単純に相性が悪いだけでない。例えば炎と雪を近づけたとして、先に消えるのはどちらか。それはたぶん雪だろう。炎が消えるより先に、雪はきっと水に変わってしまうから。そしてその後水が炎を消したとしても、炎に勝ったのは水で、決して雪ではない。
つまり炎と雪は五分の関係じゃないのだ。炎の方が強い。
「おや、ところでその小さいのは……」
笑っていた炎の精霊さんが僅かに首を傾げ、母上の腕の中にいた私を興味深げに覗き込んだ。
母上はその視線から私を隠すように、抱きしめる力を強めた。
「妾の子じゃ! 近づくでない!」
「子? お前に子がいたなんて知らなかったぞ!」
「今初めて言うたからの。近づくなと言うに!」
「水くさいな。どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ。体の大きさからして、生まれて1年は経っているだろう。“水”との子か? 俺との子づくりは断ったのに!」
「当たり前じゃ! 貴様と交わるなど考えられぬ。暑苦しい!」
「お二人とも、御子の前でそのような話は……」
王様がもっともな事を言った。ていうか私、精霊がどうやって子どもを作るのかよく知らないんだよな。母上たちの会話を聞くに、人間と同じような行為をするんだろうか。っていうか、私に父親っていたの?
「おお、そうだったな! 子どもに聞かせるには早い話だ」
炎の精霊は白い歯を見せてまた笑い、自分の足下へ目を向けた。私もつられてそちらを見る。
——と、そこに何やら黒い小さな塊を見つけ、思わず凝視する。
「まぁ嬉しい! 今日は素敵な日だわ。愛らしい精霊様の子を二人一緒に見られるなんて!」
王妃様が手を叩いて喜ぶ。
私以外の精霊の子……。
「グルル……」
その黒い塊は、よくよく見れば黒豹に似た動物の姿をしていた。艶のある黒い皮毛に包まれた体は幼児らしい丸みを帯びていて、大きさは私とほとんど変わらない。けれど太くがっしりした手足は、これからもっともっと大きくなるんだろうという成長を予感させた。
細く長いしっぽの先には小さな赤い炎が灯っていて、炎の精霊らしさを醸し出している。熱くないのかな、あれ。
私以外の精霊の子どもって初めて見たけど、感想はこの一言に尽きる。
「わぁ、かわいい」
私はつい声に出してそう呟いてしまっていた。ちっちゃな黒豹なんて、可愛いに決まってる。子どもは皆可愛いものだけど、大型肉食獣の子どもって個人的に特にキュートだと思うんだ。
しかし私の発言が可笑しかったのか、炎の精霊さんが笑って言った。
「お前も十分可愛いらしいぞ」
王様たちも皆笑っている。幼児が幼児に向かって「かわいい」と言うのは、確かに可笑しいか。
だけど年の変わらない精霊の子同士、私はあの子と仲良くなりたいと思って母上の腕の中から飛び出した。
「これ、ミル!」
「いいじゃないか。子ども同士仲良くなるのはいい事だ」
「じゃが……」
母上は心配そうな様子だったが、炎の精霊さんにたしなめられて取りあえず見守る事に決めたようだ。
私が父親の足下にいる小さな黒豹のところへ足を進めて行くと、周りからの視線をビシバシと感じた。不安そうなのは母上だけで、後の皆——炎の精霊さんや王様たちや護衛の騎士さんたちは、ちょっとワクワクしているような、楽しげな雰囲気だ。
私も目の前で子どものキツネと黒豹が接触しようとしていたら迷わず観察するな。おそらく萌えるような可愛い光景が見られるだろうと期待して。
敵意がない事を示すように、私は緩くしっぽを振りつつその子に近づいて行った。必然的に炎の精霊さんにも近づく事になるのでちょっと暑いけど、我慢する。その子は父親の足に隠れながら、こちらを警戒するように睨み、グルグルと唸っていた。炎を宿しているかのように瞳が紅い。
「クガルグ、お前は男だろう。年下の女の子相手に威嚇するなんてみっともないぞ!」
父親に叱られ、その子——クガルグは唸るのをやめた。予想はしてたけど、やっぱり男の子だったのか。できれば女の子の友達が欲しかったけど、まぁいいや。
「威嚇とは、弱い者が行うものだと教えただろう」
「おれはよわくないっ!」
父親の言葉を否定しようと、クガルグが声を上げた。私のものより太い牙が口から覗く。
小さな黒豹は決意を固めたようにブンブンとしっぽを左右に振って——先の炎が消えそうで消えない不思議——ずいっと前に進み出てきた。私より少し目の位置が高い。
炎の精霊だけあってやはりその体からは熱が発せられているようだったが、子どもだからか父親のものよりも弱くて、その点はちょっと安心した。
「おい、おまえっ!」
威圧的な口調だが、舌足らずなのであまり迫力はない。
「おれはよわくないんだぞ!」
鼻息荒く宣言されたが、別に私はあなたの事を弱いとも強いとも思ってないです。小さくて太い足が可愛いと思ってるだけです。肉球も黒いのかな? ちょっと見せてくんないかな〜?
「おれはつよいんだ! 見てろ——」
そう言って姿勢を低くするクガルグに、嫌な予感はしたのだ。
そしてその予感通り、彼は私に飛び掛かってきた。床を蹴り、大きくジャンプして一気に距離を詰められる。私は逃げる間もなくクガルグの下敷きになり、「きゃいん!」と哀れな鳴き声を上げた。
「ミルフィリア!」
「クガルグ!」
しかしクガルグの重みを感じたのは一瞬で、すぐに私たちは引き離されていた。クガルグは首根っこを掴まれ父親に乱暴に持ち上げられていて、私は母上のひんやりとした腕の中にいた。同じく助けてくれようとしたのか、王様たちや騎士さんたちも身を乗り出していたけれど、母上たちのが早かったらしい。
「クガルグ! この馬鹿息子め! 精霊が自分の力を誇示しようとするとは何事だ!」
「ふん、どの口が言うのかの。戦い好きの負けず嫌いが。息子はそなたに似たのじゃろう」
息子を叱る炎の精霊さんに、母上が言い捨てる。
「む……しかし俺は弱い者には手を上げないぞ」
ボソボソと言い訳する炎の精霊さんは、ちょっと可愛かった。獣の姿になってみてほしいな。大きな黒豹って格好良いだろうなー。
そして彼に捕まえられたまま、クガルグは反省していない様子で父親を見上げ、変なところを気にしていた。
「父上、おろしてくれ。あいつ何かいいニオイした。もう1回かぎたい」
強いとか弱いとかいう話はもういいのか? バタバタと暴れるクガルグだったが、父親の手から逃れられる事はなかった。「駄目だ!」と一蹴される。
私は首をすくめて母上の腕の中で固まるばかり。クガルグと友達になるのは、彼がもうちょっと成長して精神的に落ち着いてからにしよう、うん。
「そなたの子を、もう二度と妾の可愛いミルフィリアに近づけるでないぞ」
母上が眉をつり上げて言う。
炎の精霊さんは困ったように眉を下げた。
「まぁ、女の子には優しくするよう躾けておこう。だがその後は二人を会わせたっていいだろう。他に同じ年くらいの精霊の子はいないし、将来は番う可能性もあるじゃないか」
「そのような可能性などないわ! 恐ろしい事を申すでない!」
母上が真っ青になって反論した。番うとかってよく分からないけど、恋人とか夫婦になるってことだろうか。ちょっと気が早いと思うんだけど。
でも母上が反対してくれてよかった。1歳にして、ちょっぴり乱暴者の婚約者ができるところだった。
そのクガルグは相変わらず父親に首根っこ掴まれたまま暴れつつも、紅い瞳で食い入るようにこちらを見つめていた。そして「ニオイかぎたい」と変態発言を続ける。可愛い黒豹の姿をしていてよかったね。おっさんだったら迷わず通報している。
この日はこの後すぐに母上が「妾はもう帰る。暑くて堪らぬ」と言い出して、私たちは住処の雪山に戻ったのだが、そこにクガルグが移動術を使って姿を現したのは、その数日後の話。
押し倒されて散々体の匂いを嗅がれ——と言うと何だか卑猥だが、こっちは子ギツネだし相手はちっちゃな黒豹だしで、見た目的には決してエロくない。自分で言うのも何だが、ただ可愛いだけ——、突然の事に放心状態の私を置いて、満足げな顔で帰って行ったクガルグ。
一体なんだったんだろう、あれ。
通り魔?




