番外編「信頼の証」
途中で視点変わります
最近、砦の騎士たちの間で流行っている行為がある。それは私のお腹に顔をうずめる事だ。
しかしそれは私にとって、全く迷惑な行為である。ほんと、全く迷惑な行為である。
きっかけはティーナさんだった。
談話室で彼女にブラッシングを受けていた私は、その心地良さにメロメロになり、うつ伏せのまま全身の力を抜いていた。
しかしいくら気持ち良くても、お腹のブラッシングは緊張するので許していなかった。お腹を触られると、何だか不安になるのだ。しっぽとか、耳や肉球、体の末端を触られるのもちょっと苦手。
という訳でブラッシングされていたのは主に頭と背中だったのだが、私がリラックスしてきたところで、ティーナさんは行動を開始した。
「ミルちゃ〜ん、ごろんしよっか。ごろ〜ん」
柔らかな手で背中を撫でられていたと思ったら、その手がいつの間にかお腹の方へ回っていて、気づけばソファーの上で仰向けにされていた。何という手練。気を抜いていたから対応が遅れた。
ティーナさんは私のお腹の真っ白な毛を見て目を輝かせると、
「ミルちゃん、いい? ちょっとだけ、ちょっとだけだから」
などと、まるでラブホ前で女性にすがるモテない男のような言葉を発し(ティーナさんはとっても可憐なのに!)、
「夢だったの!」
私のお腹にポスッっと顔をうずめた。
その上、ぐりぐりされた。
……なんだろう、この気持ちは。何でちょっと恥ずかしいんだろう。
不快というより、羞恥心がすごい。何かめちゃめちゃ恥ずかしい。何これ。
ティーナさんは私のお腹に顔をうずめたまま言葉にならない興奮の声を上げていたが、私は彼女に怪我をさせないように暴れると、慌ててソファーから飛び退いた。私が人間だったなら、きっと顔が真っ赤になってただろう。
「ごめんね、嫌だった?」
ティーナさんは興奮していた自分を恥じるように、照れながら言った。
「いやじゃないけど……」
私は小さな声で言った。言葉が話せるようになったのは本当に便利だ。自分の気持ちを伝える事ができるから。
嫌というか、恥ずかしいんだよな。何かそわそわする。
「嫌ならもうしないから、そんな距離取らないで〜!」
警戒する私にティーナさんが言う。「しない」と言って油断させつつ、実は「する」。キックスはその手をよく使うが、ティーナさんはしそうにないので、私は大人しく彼女の元に戻った。
「ごめんね。でもふわふわで気持ち良かったな……」
恍惚とした表情で呟くティーナさん。そんなに気持ち良いなら私もやってみたい。首を伸ばしてみたが、でんぐり返りしただけで終わった。
その後結局ティーナさんは、宣言通り私の腹を狙ってくる事はなかった。ちゃんと約束を守ってくれるところが彼女のいいところである。さすがキックスとは違う。時々未練たっぷりの視線を腹部に感じたが、それは気づかないふりをしておこう。
だがしかし。ティーナさんは悪気なくこの事をキックスに喋ったようで、翌日からはキックスの攻撃が始まった。奴は自分の目的を隠そうともせず、真正面から攻めてきた。
「ミル〜! 俺にも腹を見せて顔を埋めさせろ〜!」
キックスはどうやら、それが信頼の証だと思っているようだ。確かにお腹を晒すという行為は、敵だと思っている人間の前では出来ない。
「ミルは俺の事信頼してないのか!?」
じりじりと近づいてくるキックスから視線を外さず、バリバリに警戒しながら後ずさった。
キックスってば、すごいうぬぼれ屋さん。私から信頼されていると思っていたなんて。遊び相手として好きだが、全く全然信用はしてない。
キックスはしつこい男だ。仕事の邪魔をしては悪いと、私は昼の休憩時間を狙って山の上からこの砦にやってくるのだが、毎日毎日、来る度に腹を狙われる。いい加減諦めてほしい。
しかもキックスのその行動から噂が変な風に広がり、「ミルは信頼している相手にしか腹を見せない」みたいな事になって、砦の騎士たちは私に挑むチャレンジャーと化した。私が仰向けになり、尚かつお腹に顔をうずめる事を嫌がらなければチャレンジ成功というわけ。
砦の騎士たちって、たぶん暇なんだと思う。
「俺はきっと信頼されてる」
「いや、お前は無理だ。ミル、お前には甘えてねぇもん」
「何だとコラ。じゃあお前はどうなんだ」
「俺はもうぶっちゃけ信頼されてなくてもいいから、とりあえずあの柔らかそうな腹毛に顔を埋めたい」
「……俺もだ」
みたいな、不穏な会話が砦中の至る所で交わされている始末。
そして私はチャレンジャーから逃げる日々が続く。まぁ、キックス以外は無理矢理にはしてこないし、拒否すればちゃんと引いてくれるからいいけど。
「むりやりする人はキライになるからね!」って、ちゃんと言った事が効いたみたいだ。ほんと、言葉話せるって便利〜。
しかし皆早く飽きてくんないかな。
****
最近、部下たちのミルを見る目がおかしい。皆、視線が腹に向いている。
なんでもミルの腹に顔を埋める事ができれば、それは信頼の証なのだという。が、実際のところは皆自分の欲望に従っているだけだろう。顔をうずめて、あの腹の毛の柔らかさを堪能したいという……。
「で? 今まで誰か成功したのか?」
呆れながらそう訊けば、部下はぽりぽりと頭を掻いて言った。
「いや、今のところ誰も……。最初に試したティーナは成功したようですが、その後は警戒されて成功者はいません」
それはそうだろう。人に慣れきった飼い犬ならともかく、急所を触られて喜ぶ動物はいない。ま、ミルは精霊だが。
「しょうもない事をするなと全員に伝えておけ。ミルがここへ来なくなったらどうする」
「うっ……そうっすね。それは嫌です」
かくてミルの腹を狙う者はいなくなった……と思っていたのだが、一人だけしつこいのが残っていた。キックスだ。
「きゃんきゃんッ!」
談話室でちょっと目を離した隙に、ミルが襲われて鳴いていた。気づいた時にはミルはソファーの上で仰向きにされていて、その腹にキックスが顔を押し付けていたのだ。
助けようと思ったが、目を剥いて、必死になって後ろ足でキックスを蹴りつけているミルの姿が愛らしかったので、しばしその様子を観察した後でキックスを殴って引きはがした。
「もふもふしてた……」
が、キックスは嬉しそうに顔をほころばせるばかりで反省していない。確かに素晴らしい感触だったのだろうが、それを得る代わりに元から少なかった信頼をさらに失っている事に本人は気づいていないらしい。
ミルの方はというと、起き上がってキックスと距離を取った後、心なし目を潤ませて、まるで恥ずかしがっているかのようにふるふると震えていた。馬鹿な男子にスカートを捲られてからかわれた少女のようである。
実際、幼児と言えどもミルは女の子だ。本当に恥ずかしいのかもしれない。
「大丈夫か?」
声をかけると、ミルはビクッと耳を震わせてこっちを見た。俺まで警戒されているのだろうか。
「安心しろ。俺はキックスたちのようにくだらない事はしない」
そう言って頭を撫でると、ミルはあからさまにホッとしたような顔をして、
「せきがんのきし〜!」
と言いながら腕に縋り付いてきた。ちなみにミルが言葉を話すようになって初めて、彼女が俺の事を『隻眼の騎士』と呼んでいた事がわかった。名前が分からないままそう呼んでいて、すっかり定着してしまったのだそうだ。
「みんながひどい。わたしのおなかを! わたしのおなかをっ……!」
「わかったわかった。あいつらにはちゃんと言っておいたから大丈夫だ。キックスも後で叱っておく」
「うわーん、ありがとう! しんらいできるの、せきがんのきしだけ」
どうだ、信頼とはこうやって得るものなのだ。きゅんきゅんと泣き始めたミルを宥めながらキックスを見やると、奴はやっと自分の馬鹿な行動を後悔し出したようだった。
「早まったか、俺……」
もう遅い。一度失った信頼はなかなか戻らないぞ。
嫌がるミルの腹に顔を埋めるなんて馬鹿な事をするから、そうなるのだ。
余談だが、後日人のいない静まり返った談話室の中で、支団長のクロムウェルが無言でミルの腹に顔をうずめている場面をうっかり目撃してしまった。
クロムウェルの表情は見えなかったが、ミルの顔は見えた。こちらも無言で、しかし嫌がる事なくクロムウェルを受け入れていた。悟りを開いたかのような神妙な顔をしていた。
後でミルに「嫌じゃなかったのか?」と訊くと、
「はずかしかったけど、でも拒否したらかわいそうだから……。しだんちょうさん、ともだちいないから……」
と言っていた。
よく分からなかったが、ミルがクロムウェルに対しておかしな優しさと同情心を持っている事は理解した。




