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北の砦にて 新しい季節 ~転生して、もふもふ子ギツネな雪の精霊になりました~  作者: 三国司
第一部・はじめてのおるすばん

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北の砦

 吹雪は止んだ。

 空を覆っていた分厚い雲は晴れ、暖かな太陽の光が地上に降り注ぐ。先ほどまでの凍りつくような寒さも、今は和らいだ。

 雪の精霊の怒りは収まったし、しばらくは雪も降らないだろう。


 おまけに今回の件では、図らずもスノウレアに恩を売る事ができた。何かあれば力を貸してくれるという。

 この地で雪の精霊を味方につける事ほど心強いことはないから、これは喜ぶべき事だ。

 喜ぶべき事だが……。


 祭壇からの帰り道、グレイルの表情は暗かった。それは他の騎士たちも同じで、クロムウェルなどは、もうあからさまに落ち込んでいる。

 

 ミルは——2週間前に突然砦に現れたあの白い子ギツネは、雪の精霊の子どもだった。

 砦の騎士たちに癒しを与えてくれた存在は、今はもうここにはいない。母親と共に、山の上の住処に戻ってしまったからだ。


 いずれは野生に帰すつもりだったし、ずっと砦にいるよりは母親と一緒のほうがいい。ミルもそちらの方が幸せに決まっている。

 そう思っても、やはり寂しいものは寂しい。

 もうあの可愛らしい白い毛玉が足下にまとわりついてくる事はないのだ。自分の手からジャーキーを食べる事も、雪の中を楽しそうに駆け回る姿を見る事もない。宿舎の部屋に戻っても、今日からは独りだ。ミル専用の籠ベッドも片付けなくてはならない。


 グレイルはため息をついて、落ち込む自分自身を叱咤した。しっかりしろ。切り替えろと。ミルは母親の元に戻っただけだ。



「え、そんなぁ! じゃあミルちゃんはもう戻ってこないんですか!?」


 砦に戻って、残っていた者たちにも全てを説明すると、ティーナが泣きそうな声で言った。他の騎士たちも、皆一様に落胆している。


「俺の癒しが〜!」

「あの毛皮を撫で回す楽しみが失われた……」

「ここでの癒しが、温泉しか無くなっちまったな」


 たった2週間だが、ミルの存在はそれほど大きかったのだ。


「そんなに落ち込むな。今生の別れという訳でもないんだ。気が向けばまた遊びに来るかもしれない」


 グレイルはそう言って部下を慰めたが、


「またって具体的にいつですか?」

「精霊は寿命が長いんすよ。俺らとは時間の感覚が違う可能性も……」

「次遊びにくるのは10年後とかも有り得るな」

「というか、やっぱり母親と一緒にいるのが一番だろうし、俺らの事なんてすぐ忘れるんじゃないか?」


 空気はすぐにまた暗くなった。談話室が辛気臭い雰囲気に包まれる。でかい体のいい年した男どもが、子ギツネ一匹いなくなっただけでこの様だ。もし今、砦に敵が攻め込んできたとしたら、こちらはまともに応戦できぬままやられてしまうかもしれない。

 そう考えるとミルとは何と恐ろしい存在なのか。どんな美女スパイでも砦の戦力をここまで削ぐ事はできないだろう。

 なんせ今まで頑に自分の動物好きを隠してきたクロムウェルですら、今は周りの目を気にする元気すらなく、砦に戻って早々に自室にこもってしまっているのだ。中で泣いていたらどうしようか。


「ミルちゃん……」


 ティーナが悲しげにまつげを伏せた。誰が死んだ訳でもないのに、談話室の空気は葬式が行われているかのような重さだ。

 いつもは明るいキックスも、今は拗ねたように口をつぐんでいる。お気に入りの玩具を奪われた子どもみたいに。

 今日のところは部下の腑抜けっぷりにもグレイルは目をつぶるつもりだが、明日も同じような調子で仕事や訓練中にぐだぐだ落ち込んでいれば、根性を入れ直してやらねばならない。


 だから自分も、今日のうちに気持ちの整理をつけるのだ。

 ミルを失った喪失感を無理矢理に消す事は出来ないが、部下の前では情けない顔は見せられないから。

 

 グレイルは黙って談話室を後にした。





 翌日も砦は沈んでいた。太陽は明るい光で砦を照らしてくれているというのに、騎士たちの顔は浮かない。今朝は事情を知った料理長も落ち込んでいたせいで、朝食の味付けが最悪だった。

 グレイルはと言うと、昨日決意したにも関わらず気持ちを切り替える事が出来なかったので——朝起きて空の籠ベッドを見てうなだれ、早朝鍛錬を見守ってくれる存在がいない事にへこみ、一人で食べる朝食に寂しさを覚えた——、部下たちを叱責する事は出来なかった。

 先ほどはクロムウェルが愛馬を抱きしめて心の傷を埋めている場面を目撃してしまったし、この砦は大丈夫だろうかと割と本気で思う。


 今、グレイルは自分の執務室で書類仕事に勤しんでいた。今回の一連の騒動を文字にして記録に残すのだ。

 と同時に、王都の騎士団長に向けての手紙もしたためる。特に雪の精霊に子がいた事について、スノウレア本人はあまり公にしたくはないようだったが、重要な事だけに上に報告しなくてはならない。

 国王への手紙はクロムウェルに頼んだのだが、果たして筆は進んでいるのだろうか。もしかしたらまだ厩舎にいるかもしれない。


「様子を見に行くか……」


 全く困った支団長である。

 グレイルは軽くため息をつき、席を立った。

 

「きゃん!」


 ——が、しかしすぐに足を止めて、自分の足下を確認する。

 いつの間にかそこにいた子ギツネの、ふわふわとした白い尾を踏んでしまっていたらしい。その尾のほとんどは毛で構成されているはずだが、ばっちり『身』の方も踏んづけたようだ。グレイルは慌てて足を持ち上げた。


「すまない、ミル。痛かったろう」


 急いでしゃがみ、そっとしっぽの様子を見る。ミルはいつも気づけば自分の足下にいるから、椅子を引く時や足を動かす時はぶつけないように注意していたのだが……。

 ミルはちょっと涙目になっていた。

 

「大丈夫か? 悪い」


 グレイルが申し訳なく思っていると、ミルは健気にも、踏まれたしっぽを揺らしてグレイルの足にすり寄ってきた。そうして丸い大きな瞳でこちらを見つめ、つたない口調で言う。


「だいじょうぶ、ヘーキ」

「そうか、よかった。そういえばミルは喋れるようになったんだっ……」


 グレイルはそこでふと考え込んだ。

 まじまじと目の前の子ギツネを観察し、手を伸ばしてその柔らかな毛の感触を確かめ、その奥にちゃんと肉体がある事も確認し、幻ではないと断定したところで口を開く。


「……何故ここにいる」


 信じられない気持ちが大きくて、声がやたらと低くなった。

 自分を含め、砦の屈強な騎士たちの心をいとも簡単に奪い去っていった可愛らしい子ギツネは今、雪深いスノウレア山の山頂付近にいるはずで、当分は——もしくは永遠に会えないものだと覚悟をしていたのだ。

 それが昨日の今日で、何故ここにいるのか。


「ごめんなさい……。も、もどって来る、めいわくだった?」


 思いがけない事態に戸惑い、意図せず眉間にしわが寄っていたようだ。ミルがぷるぷると震えてこちらを見上げている。グレイルはなるべく温和な顔を作ると、その場にしゃがみ、ミルを安心させようと頭を撫でた。


「まさか、そんな事はない。少し驚いただけだ。お前とまた会えたのは嬉しい。しかしどうやってここへ?」


 訊くと、ミルは得意げにしっぽを振って答える。


「いどう術ってやつ使った! きのう使ったのとおなじの。いっしゅんで山の上からここまで来れる」

「そうか、すごいな」


 褒めて欲しそうな雰囲気だったので、両手でわしゃわしゃとミルの頬毛を撫で回した。そこは胸やしっぽの毛と同じくらいふわふわで素晴らしい触り心地だったので、「すごいすごい」と褒めながら撫で続けていたら、最後はちょっと迷惑そうな顔をされた。


「だがスノウレアは? お前の母はここへ来る事を許してくれたのか? また何も言わずに出て来たんじゃないだろうな?」


 再び吹雪が起こっては大変だと一応ミルを注意してみたが、その言葉には迫力も威厳もなかった。何故なら『母親の元にいる』という選択肢があるにも関わらず、ミルがこちらにやって来た——グレイルを選んだ事が嬉しくて、声が浮ついていたからだ。本心では「よくぞこっちに来た」と思っている。

 ミルは頬を撫で回されるのを警戒しながらも、楽しげに目を輝かせて言った。


「ちゃんと、ははうえに“とりで”に遊びに行きたいってたのんだよ。そしたらちょっとだけならいいって。だから、これから毎日ちょっとだけ遊びにくる!」


 高速でしっぽを振り始めたミルに、「そうか」とグレイルも笑った。普段は離婚した妻の元で暮らしている子どもとの面会……を喜ぶ父親の気持ちはこんなだろうか。

 

「じゃあ他の奴らにもミルが遊びに来た事を知らせにいくか。この砦に流れる腐った空気を何とかしてくれ。取り急ぎ、支団長の救済を頼む」

「しだんちょうさん、どうした?」


 意味の分かっていないミルは、心配そうに耳を伏せた。


「行って見てみれば分かる」


 グレイルは苦笑して、小さなミルを優しく抱き上げた。執務室を出ようと扉へ向かう。

 と、ミルが戸惑ったような顔をしてグレイルを見上げてきた。何だかそわそわと落ち着かない様子で。

 きっとグレイルの態度が今までと違う事に困惑しているのだろう。具体的に言えば、抱っこされて運ばれている事に驚いている。


「教育方針を変えたんだ」


 ひとり笑ってグレイルは言った。


 ミルは野生動物ではなく精霊だった。普通のキツネのように、厳しい自然の中、独りで獲物を狩って生きなければならないような、そんな未来は来ないだろう。

 だからもう、今までのように野生に帰す事を前提としてミルに接する必要はないのだ。

 一応グレイルは、ミルが人間に依存しすぎないように気を遣っていた。抱き上げたい気持ちをぐっと堪えて、移動する時は自分の足で歩かせていたし、一緒に寝たい気持ちを抑えてベッドにも入れなかった。そろそろネズミを使って狩りの練習でもさせようかと思っていたところだ。


 しかしこれからは、それらの努力を放棄する。

 心ゆくまでミルを甘やかし、可愛がり倒すのだ。

 ミルが精霊でよかった。いずれ手放さなければならない野生動物でなくてよかった。心からそう思う。


 グレイルは幸せに浸りながら、担ぐようにして子ギツネの上半身を己の肩に乗せた。必然的にミルが後ろ向きになり、せわしなく揺れるしっぽがグレイルの頬にぱふぱふと当たる。しかしそのしっぽも、尻すらも可愛いとはどういう事か。


「なんでわらってるの?」


 ミルが振り返って言う。おそらく今の自分は、締まりのない顔をしているのだろう。グレイルは手を回して頭を撫でるどさくさに紛れて、こちらを見つめてくるミルの視線を遮った。

 扉を開けて廊下に出ると、すぐに部下たちに出くわす。


「あ、副長。お疲れさまで——……え?」

「……ふ、副長それッ! ミル!? 何で!?」


 

 ——北の砦の名物は、温泉と、山ほどの雪と、ガラの悪い騎士たち。

 そしてこれからはそれに、毎日『ちょっとだけ』遊びに来る真っ白な子ギツネも加わるのだ。

 

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