吹雪
前世で、私はどちらかというと暖かな地方に住んでいた。雪というのは、冬の間に1度か2度、空からちらちらと頼りなく落ちてきて、地面に着いた瞬間融けて消える。そういうものだと思っていたのだ。
だからテレビのニュースなどで豪雪地帯の映像が映ると、大変そうだと思う反面、羨ましくもあった。子どもの時なんかは特に。あんなに雪があれば、かまくらも滑り台も作り放題じゃん、いいなぁって。
でも今なら言える。必要以上に雪が積もっていい事などないと。吹雪が三日も続くと、かまくらなんか掘ってる余裕なんぞないと。
この凶暴な風は何だ。狂ったように降る雪は何だ。
山の上ですらこんなに厳しい吹雪が続く事は無かったのに。
一日目、天候が酷いからと外で遊ぶのを禁止された私は、宿舎にある隻眼の騎士の部屋の中でのんきに窓の外を眺めていた。今回のは確かにちょっとひどいけど、吹雪くらいこの地方ではよくある事だと思いながら。
そして私と同じく、隻眼の騎士や砦内の他の騎士たちもまだまだ余裕の態度だった。明日の朝は馬鹿みたいに積もってるだろうな、また雪かきかよ、なんて笑いながら。
二日目、朝起きると、強い風に煽られた雪が窓に張り付いていて、部屋から外の景色が全く見えなくなっていた。光が差し込まないので部屋の中は夜みたいに暗く、一瞬朝だと気づかなかった。おまけに張り付いた雪はガチガチに凍ってしまっていて窓が開かない。
隻眼の騎士と外へ様子を見に行ってみると、昨日と変わらぬ勢いで吹雪は続いていた。積雪量もこの冬一番だ。空は分厚い雲に覆われ、部屋の中ほどではないにしろ薄暗い。
高く積もった雪を見て私は若干ワクワクしたが、隻眼の騎士は顔をしかめた。
そしてその日も一日中荒れ狂った風と雪が弱まる事はなく、騎士たちは吹雪の中をひたすら除雪に追われ、さすがの私もこの天候はおかしいと思い始める。
山の上でも何日も吹雪が続く事はあったけど、止み間があったり、勢いが弱まったりする時間帯があった。しかし昨日から降るこの雪は、ごうごうと唸る強い風を伴ったまま、ほんの一時すら止む気配がないのだ。まるで空が怒っているみたい。息つく暇なく、攻撃を続けてくる。なんて暴力的な天気なのだろう。
吹雪の中、また夜が来て、私は初めて雪が怖いと思った。眠っている間に、またどれほど積もるのだろう。不安な気持ちのまま隻眼の騎士に寝かしつけられてまぶたを閉じたが、ガタガタと窓を揺らす風の音でなかなか寝付けなかった。
三日目、相変わらず窓は雪に覆われていた。しかしそれは風で張り付いただけのものではない。一階の窓が全て埋まるほど雪がみっちりと積もっていたのである。雪の多い地域なだけに、元々そういう事態を予想して作られているのか窓はそれほど大きくはないし、普通より多めの角材でガラスを支えているものの、割れないかと心配になる。ちゃんと雨戸みたいなものもあるらしいけど、すでに昨日の時点で窓が開かなくなっていたので、降ろせなくなっていたみたい。
そして外では吹雪も止んでいない。
砦の中は朝からちょっとした騒ぎで、食堂は「雪やべー」という話題でもちきりだ。砦の騎士たちのほとんどは別の地方の出身者で、こんな大雪を目にするのは初めてらしい。冗談で「砦が埋まるんじゃないか」などと言い合っていたが、この砦はそこそこの高さがあるのでそれはさすがに大丈夫だろう。……と信じたい。
食堂の料理長のおじさんは地元の人らしく、何年かに一度どーんと雪が降る年があると言っていたが、それでもここまで積もるのは珍しいらしい。何より吹雪が一瞬たりとも止まない事に皆不安を感じている。
一応雪の精霊である私は、何度か空に向かって『雪よ、止めー!』と念を送ってみたのだが、そんな事をしている自分が恥ずかしくなるほど全く何にも起こらなかった。私の事など完全無視で、吹き荒れる吹雪。
思わず自分の存在を疑った。私って精霊ですよね? ねぇ?
午前中、騎士たちは相変わらず除雪に追われていた。通路を確保するそばからまた積もっていくのだが、それでもやり続けるしかない。
重い雪を退けるのには体力がいるので、騎士たちは交代で建物の中に入り、休憩を取っていた。暖炉で濡れた手袋やズボンを乾かし、かじかんだ手や足先を温めている彼らを見ながら、私はずっと談話室で留守番だ。
雪の精霊のくせに、吹雪ひとつ止める事すらできずにすみません。そんな申し訳なさを抱えながら、除雪作業で疲れた騎士たちの間を歩き回って慰労に当たる。慰労と言っても、ふわふわの毛皮を思う存分触らせてあげるだけなんだけど。
ちなみに隻眼の騎士と支団長さんは近くの町へ行っていて砦にはいない。除雪と民家の雪下ろしを手伝っているらしい。
確かにこれだけ雪が積もれば、屋根の雪を下ろさないと古い民家などひとたまりもなさそうだ。頑丈に造られているはずの砦でも、たまにミシッていう不穏な音が聞こえてくるもん。
けど、こんな吹雪の中で大丈夫かなぁ。間違って落っこちても、雪が馬鹿みたいに積もってるから大怪我はしないだろうけど。
心配しながら待っていると、昼頃には町に出ていた騎士たちも戻ってきた。私もティーナさんに抱っこされて、正面の出入り口まで皆をお出迎えに行く。横殴りの雪のせいで視界が悪く、遠くからでは誰が誰だかはっきり分からない。
ティーナさんは防寒着をきっちり身につけていたけど、重い扉を押して外に出た瞬間冷たい風に首をすくめ、私をぎゅっと抱きしめた。雪の精霊なんで、普通の動物を抱くのと違ってホッカイロ効果は無いと思うんだけど……。
「おかえりなさい! 町の方はどうでした?」
吹雪の酷さは相変わらずなので、風の音で声がかき消されないよう、ティーナさんは大きな声で話しかけた。一番近くにいた騎士がそれに答える。
「古い小屋がひとつ潰れたくらいで、思っていたほどの被害はなかった。さすが町の住民たちは俺らよりよっぽど大雪に慣れてるよ。食料の備蓄も十分だし、薪もたっぷり準備してた。まだしばらく吹雪が続いても大丈夫そうだぞ」
冗談ぽく笑って言われ、ティーナさんもホッとしたようだ。腕の力が緩んだので、私はその隙に地面へとジャンプする。
建物の出入り口から隻眼の騎士たちがいる場所まで、除雪されている所をまっすぐ走った……つもりだったが、横から吹く強い風に押されて斜めに進んでしまう。
「あ、ミルちゃん! 吹雪だから駄目よ」
後ろで叫ぶティーナさんを振り返り、大丈夫だとひと吠えする。私が来ると隻眼の騎士は馬から降り、手袋を脱いで頭を撫でてくれた。
ちなみに騎士たちが連れている馬には、シャベルなどの除雪道具が積んであったり、雪を運ぶためのソリが繋がれていたりする。……あのソリちょっと乗ってみたいな。
「いい子で留守番してたか?」
してたよ! もちろんっ!
私はきゃんきゃんと吠えながら、その場でぐるぐると高速回転した。この吹雪の中、町へ行っていた隻眼の騎士たちが無事に戻ってきた姿を見てテンションがちょっとおかしくなる。
数秒後に落ち着きを取り戻した時には、周りにいた皆に笑われていた。
いいさいいさ、私は除雪の手伝いも出来ない役立たずだもの。笑い者になって場を和ませるくらい、いくらでもするさ。
しかし本当に酷い吹雪だ。風は刃のように空気を斬り裂くのではなく、鉛の塊のような圧力を持って私たちにぶつかってくる。人も、建物も、木も、地上にある全てのものを等しく壊そうとしているみたい。
そして雪は、外に出て5分と経たない私の体の上にもすでに十分積もっていた。ほんの少しじっとしているだけでも雪に呑まれてしまいそう。
私は慌てて体を振り、毛皮に張り付いた雪を飛ばした。
「お前たちは休憩に入り、代わりに5隊と8隊を呼んで来い」
横目でこっちをちらちらと気にしていた支団長さんが、表情を引き締めてから他の騎士たちに指示を出した。
「すぐに行かれるんですか? 支団長と副長も少し休憩された方が……」
「あまりゆっくりしていると帰る頃には日が暮れてしまう。いいから早く呼んで来い」
支団長さんが命令すると、若い騎士は「はい!」と返事をし、慌てて建物の中へ駆けて行った。
せっかく帰ってきたのに、支団長さんと隻眼の騎士はまたどこかへ出かけるのかな? 私はそわそわと隻眼の騎士の足下を歩き回った。吹雪が酷いから、もう今日は砦の中でゆっくりしていようよ。誘うようにブーツの紐を引っ張ってみたが、隻眼の騎士は笑って私を軽く諌めるだけだ。
と、そんな事をしているうちに、5隊、8隊の騎士たちが揃いの防寒具を着込み、除雪道具を積んだ馬を連れてこちらに走ってきた。支団長さんと隻眼の騎士を待たせているからか準備が早い。
「また町へ? 除雪の続きっすか?」
やって来た騎士たちの中にはキックスもいて、普段と変わらぬ気軽さで支団長さんに話しかけた。その調子で支団長さんの友達になってあげてくれないかなぁ。
支団長さんは淡々と説明をはじめる。
「町の除雪は一通り終わった。これから向かうのは、精霊の住むスノウレア山の麓だ」
精霊、スノウレアという単語に、私はぴんと耳を立てた。
「えー、この吹雪の中をですか? スノウレア山まではここから近いとはいえ、結構な自殺行為ですよそれ。大体、山へ通じる道は雪に埋まってるんじゃあ……」
「埋まっているなら掘ればいい。除雪しながら進む」
「まじすか」
支団長さんにさらりと返され、キックスが尻込みしている。
「でもスノウレアの麓まで行ってどうするんすか?」
「そこにある祭壇に供物を捧げ、精霊に吹雪を止めてもらう」
そう言って、馬に乗ったままの支団長さんはちらりと自分の後ろへ視線を向けた。そこにはコルクで栓をされた瓶がいくつか積まれていたのだが、匂いからお酒だと分かる。しかも結構アルコール度数高そうだ。近くで嗅いだら、私は匂いだけで酔っぱらうだろう。
支団長さんは視線を戻して続けた。
「『精霊様がお怒りだ』と、町の年寄りたちが騒いでいたんだ。『この吹雪もそのせいに違いない、供物を捧げて許しを請わねばいつまで経っても天候は回復しない』と」
「それで祭壇へ……?」
「町の年寄りどもが行こうとしていたから、我々が代わりに供物を持って行くと約束して止めた。それこそお前の言うように自殺行為だからな。こんな吹雪の日に、年寄りを外には出せない」
「この吹雪が精霊のせいだって、支団長もそう思ってるんですか?」
キックスは支団長さん相手でも物怖じせずに、訊きたい事を訊いていく。周りの騎士たちがちょっとハラハラしてるのには気づいていないらしい。
しかし支団長さんは気分を害した風でもなく、質問された事に静かに答えるだけだ。隻眼の騎士も口を挟まず、私の体にどんどん積もってくる雪を払いながら二人のやり取りを聞いている。
「半信半疑だが、我々より長くここに住んでいる地元の人間の言う事を蔑ろにすべきではないと思っている。それに実際、この天候は異常だ」
そう言って、鉛色の荒れた空を見上げた。暴力的な風と雪は、ほんの一秒もやむ事なく吹き続けている。
「この吹雪が精霊によるものなら、彼女の怒りが解けない限り、永遠に降り続ける事も有り得る」
支団長さんの言葉に、周りの騎士たちは顔を引きつらせた。このまま吹雪が続けばどうなるかを想像したんだろう。
今は食料や薪が十分あるから騎士たちにも冗談を言ったり笑顔を見せたりする余裕があるけれど、食料などはこれから確実に減っていくし、吹雪が止まねば新しく補充する事もできない。除雪という名の単調な重労働も、雪が止むまで毎日毎日何時間も続くのだ。
体は疲弊していくのに、食料や燃料は少なくなっていき、精神的にも追いつめられていく。もう無理だとどこかへ避難しようにも、地域一帯雪に覆われていて身動きが取れず、砦という閉鎖空間で寒さに凍えながら死を待つだけ……。
うーん、皆の顔が青い。私もちょっとぞっとした。永遠に続く吹雪なんて……。必ず春が来ると分かっているから、厳しい冬にも耐えられるというのに。
支団長さんが皆を見渡して静かに言う。
「大きな被害が出る前に、この吹雪を止めたい。放っておいても止むんじゃないか、などと悠長に構えていては手遅れになる可能性もある。明日、まだ同じように吹雪が続いていれば、祭壇に行くのがさらに難しくなるだけだ。まだ余裕のあるうちに出来る事をやっておきたい」
そこまで言うと、さらに言葉を重ねて部下を煽った。
「だが確かに、この吹雪の中を精霊に会いに行くのは危険が伴うな。ここから祭壇まではそれほど遠くないが、この雪ではその短い道中で遭難する事も有り得る。町の人間たちと交わした約束のためにも私とグレイルは行くと決めたが、しかしお前たちに強制はしない。体力に自信のない者は砦に残って構わない」
元々荒っぽい人が多いこの砦である。ここで素直に「あ、それじゃあ僕は自信がないので留守番してまーす」なんて言う騎士はいなかった。
「支団長や副長が行くなら、俺たちだって行きますよ!」
「体力だけは自信あるんすから!」
「そうだそうだ! 吹雪が何だ!」
さっきまで青い顔してたくせに、「うおぉぉ」と雄叫びを上げて皆で盛り上がっている。雪をも融かさん勢いの暑苦しい集団が出来上がってしまったが、全員支団長さんの手のひらの上でコロッコロ転がされていますよ。
支団長さんも隻眼の騎士も、単純で憎めない部下を見てちょっと笑っている。
「なら、さっさと出発だ。日が暮れる前には砦に戻ってきたいからな」
私の頭を撫でていた隻眼の騎士が立ち上がって言った。他の騎士たちがそれに「おおおぉぉッ!!」と吠えるように応える。うるさいよ!
「お前は留守番だ」
隻眼の騎士が私を見下ろして優しく言う。が、私は置いていかれまいと彼の長い足に縋り付いた。絶対に離さん!
だってだって、町の人たちが言うように本当にこの吹雪が『精霊の怒り』によるものならば、それは私の母上の仕業という事になる訳で。
そして母上がいったい何に怒っているのかと考えたら……確実に私に怒っているのではないのかと……。
一ヶ月振りに戻ってきたら、いい子で留守番しているはずの私がいなくなっていたのだ。「勝手に何処へ行ったのじゃ、ミルフィリアは!」って怒っている姿が目に浮かぶ。ふらふらと遊び回っていると思われてるのかもしれない。非常にやばい。
そしてそう思うと、降ってくる雪のひとひらひとひら、そしてその結晶のひとつひとつに、母上の怒りがこもっているような気がしてきた。
うん、町の人たちも、彼らの言葉を尊重した支団長さんもきっと正しい。これはただの吹雪じゃない。母上の機嫌を直さない限り、たぶんずっと降り続く……エンドレス吹雪だ。
隻眼の騎士たちが母上に会いに行くというのなら、もちろん吹雪の原因である私も行かなければならない。
だから必死で鳴きながら、隻眼の騎士のブーツを前足で引っ掻いた。私も一緒に連れて行ってー!
「留守番は嫌なのか?」
隻眼の騎士は軽く唇の端を上げて、私の体を抱き上げた。
わわ。あの、抱き方ちょっとワイルドなんですけど。ティーナさんみたいに両手でしっかり包み込むように優しく抱き上げるんじゃなくて、私のお腹の下に片手を回してそのままぐいっと持ち上げるっていう。
そういえば池から助け出された時もこんな抱き方されたな。隻眼の騎士の手は大きいから、片手で十分安定感あるけれども……。
「ソレは連れていけないぞ。足手纏いになって邪魔だ」
支団長さんがこちらを見ながら冷たく言い放つ。
しかし心の友よ、私はちゃんと気づいているよ。私の事を心配して、危ないからついて来ちゃ駄目だって言ってくれてるんだよね。その証拠に、私を見る支団長さんの目がめちゃめちゃ困ってるんだもの。「すまない……でも危ないから……外危ないから……っ」っていう念を受信した。
「もちろんです」
隻眼の騎士は私を片手で持ち上げたまま頷いた。
「ティーナ、頼む」
「あ、はい!」
隻眼の騎士の短い言葉にティーナさんが即座に反応し、建物の出入り口の方からこちらに走ってきた。私を受け取るためだ。
やだやだやだ! 私も行くんだってば! ただのわがままで言ってるんじゃない。この吹雪の原因は私かもしれないから、行かなきゃダメなんだって! 勝手に住処を出てごめんなさいって謝って、母上に許してもらわないと!
私はバタバタと短い手足を動かして抵抗したが、隻眼の騎士の大きな手の安定感は半端なかった。何これ。暴れても全然意味ない。お腹を支えられてるので、私の手足は無惨に空を掻くのみ。絶望。
「すぐ戻ってくる。そうしたら部屋で遊んでやるからな」
そう言って慰められたけれども、遊んでほしいんじゃないんだ、私は!
「ミルちゃん、一緒に留守番してましょう?」
虚しくも本人の意思は無視され、私の体は隻眼の騎士の手からティーナさんの手に渡ってしまった。ティーナさんにぎゅっと抱きかかえられ、離れて行く隻眼の騎士を追う事ができない。
「行くぞ」
支団長さんが号令を出し、隻眼の騎士やキックスたちも馬に乗って出発する。私はかん高い吠え声を上げながら、吹雪の中に消えていくその後ろ姿を見送る事しかできなかった。




