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北の砦にて 新しい季節 ~転生して、もふもふ子ギツネな雪の精霊になりました~  作者: 三国司
第一部・はじめてのおるすばん

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不穏

 この砦に来て何日が経っただろう。

 私はとても楽しく穏やかに毎日を過ごしていた。

 

 朝早く起きて隻眼の騎士の自主トレに付き合い、食堂に行って朝ご飯を貰う。

 そしてその後はお仕事がある隻眼の騎士と別れて、外で一人遊びに興じる。

 遊びのパターンは大体決まってきていて、真新しい雪に足跡をつけて楽しむか、建物の周りを全速力で駆け回ってレースごっこをするか、積もった雪に穴を掘るか、地面に残っている誰かの匂いを追って探偵ごっこをするか、などが定番だ。

 雪の中を駆け回ったりして毛に雪玉ができると、門の所まで行ってアニキに助けを求めるのもお決まりになってきた。

 また、宿舎とは反対方向にある狭い庭の枯れ木にはいつも果物がさしてあるので、それを目当てに集まってきた小鳥たちを観察しに行くこともある。小鳥たちは私の事を舐めきっているので、近づきすぎない限り逃げられる事もないし。

 それに雪の上に残った小鳥のちっちゃな足跡って、すんごく可愛いんだよね。それを見ているだけでも癒される。

 

 

 昼前になると馬小屋に行って、馬たちに挨拶する。そうしているうちに支団長さんがやってくるので、彼とも戯れて遊ぶ。支団長さんは友達だからね。彼に人間の友達が出来るまで、私が心の友になるのだ。

 支団長さんはほぼ毎日、昼前に馬小屋へやってくる。仕事をさぼっている訳ではなく、午前にやるべき事を全て終えてから、早めの休憩をとってここへ来ているのだろう。


 ちなみに支団長さんと接する時には、あまりこちらから積極的にぐいぐい行かないように気をつけている。友達がいなかった弊害なのか、やはり支団長さんは他者との触れ合いに慣れていないようで、私がしっぽを振ってすり寄って行った時、一度鼻血を出したのだ。

 今まで知らなかったが、美しい人が流せば鼻血だって何だか美しく見えることに気づいた。どうでもいい発見。


 それで私とアイラックスが心配して『大丈夫? どうしたの?』と心の中で声をかけながら支団長さんにまとわりつくと、しかしさらに症状は酷くなった。足に力が入らず立っていられなくなったのか、鼻を押さえてしゃがみ込んでしまったのだ。しかもちょっと震えてもいた。

 でも顔はすごい幸せそうだったから、やっぱり他人との触れ合いに慣れていないだけなんだろう。私という新しい友達が出来て興奮していたのかもしれない。繊細な人だ。


 支団長さんはその後、ポケットから出した高級そうなハンカチで鼻血を拭きつつ、ちょっと恥ずかしそうに「大丈夫だ、ちょっと心の準備が十分でなかっただけだから」などと言い訳していたが、私は鼻血出されたくらいでは友達やめないから気にしないでほしい。大丈夫だよ。

 何かもう、支団長さんには、隻眼の騎士とは全く別の情が芽生え始めている。何だこれ。


 

 で、昼の休憩時間になると支団長さんは名残惜しげに、本当に名残惜しげに馬小屋を離れ、入れ替わりで隻眼の騎士が私を迎えにやって来る。

 休憩中は隻眼の騎士に遊んでもらったり、甘えたり、おやつのジャーキーを貰ったりして過ごす。幸せな時間である。


 午後になるとまたお仕事が始まるので隻眼の騎士とは別れ、私は馬小屋で昼寝を開始する。ここで一旦睡眠を取っておかないと、幼児な私は日暮れまで持たないのだ。

 最初は雪の上とか建物の陰とかで体を丸めて寝てたんだけど、もし野犬が来て寝込みを襲われたら怖いので、馬小屋で寝かせてもらう事にした。ここなら隻眼の騎士の馬がいるので安心。何かあっても守ってくれる心強いリーダーなのだ。


 昼寝から目覚めても相変わらず一人遊びに没頭し、時々寂しくなると外を歩いている騎士たちに構ってもらう。彼らは仕事中だったり移動中だったりで忙しいと思うので、あまり時間を取らせないように気を遣いながらだが。


 夕方くらいになると、日が暮れる前に隻眼の騎士が私を回収しに来る。お仕事がまだ終わっていない時はそのまま執務室へ連れて行かれるので、私は机に座る隻眼の騎士の足下で大人しく待つのだ。


 仕事が完全に終わると、待ちに待った夕食の時間。賑やかな食堂で他の騎士たちと一緒にごはんを食べる。

 ティーナさんにはもうすっかり心を許し、コワモテ軍団の顔面の威圧感にも慣れた。キックスの不意打ちにはつねに注意を払っているものの、たまに隙をつかれて高い高いされてしまう。が、最近ではそれにも慣れて、高い高いに遊園地のフリーフォール的な楽しさを見いだした。下に落ちる一瞬の、あの胃がひっくり返るような感覚がクセになる。


 隻眼の騎士が頼りになるお父さんだとしたら、ティーナさんは優しいお姉ちゃんで、砦の騎士たちは構いたがりの丈夫なお兄ちゃん、支団長さんは繊細で気遣いが必要な心の友で、キックスは一緒に馬鹿をする遊び仲間……もしくはちょっと面倒な弟っていう感じ。

 今世で私の家族は母上一人だったから、大家族になったみたいで結構嬉しい。



 そして夕飯を食べ終えると談話室に向かい、隻眼の騎士のお風呂タイムを、ティーナさんにブラッシングされたりキックスたちとわいわい遊んだりしながら待つ。ちなみにキックスは四日に一回くらいしかお風呂に入ってない。不潔め。

 談話室にいる時に気をつけないといけない事は、あまり騒ぎすぎない事。皆で盛り上がっていると支団長さんが来て、恨めしそうな顔でボソリと「煩い」と文句を言っていくから。

 お願いだから、誰か彼と友達になってあげて……。

 

 気になっていたお風呂には一度入る事が出来た。というか、強制的に入れられた。ある晴れた日に、雪が融けてどろどろになった地面を駆け回り、よくぞここまでと我ながら感心するほど体が汚れたからだ。

 最初、隻眼の騎士に浴場へ連れて行かれた時はちょっとわくわくしたが、脱衣所で彼が服を脱ぎ出した時には大いに焦った。部屋で着替えている場面を不可抗力で目にしてしまう事はあるが、その時は下着を脱ぐ事はない。

 けれどここはお風呂だ。下着も脱ぐに決まってる。

 脱衣所には他の騎士たちも真っ裸でいたり、しかもその時は支団長さんもその場にいてちらちらとこちらを見ながら——支団長さんは子ギツネな私と友達なのが恥ずかしいのだろう。他の人の前では馬小屋での時のように笑いかけてくれないし、何だかちょっと冷たくなる。照れやさんめ——服を脱ぎかけていたので、私は慌てて脱衣所からの脱出を図った。何が悲しくて全裸の男たちと入浴しなければならないのだ。


 けれど脱出は失敗に終わり、隻眼の騎士にあえなく首根っこを掴まれ、浴場へ連行された。隻眼の騎士も周りにいた騎士たちも、私が単にお風呂を嫌がっていると思ったのだろう。皆「仕方ないな」という風に笑っていたが、こっちは笑い事じゃない。

 お風呂で洗われている間中、私は決して目を開けなかった。ほら……私前世では大人になる前に死んで身も心も乙女だったし……間近でソレを見てしまったらトラウマになるかもだから……。


 ちなみに温泉にはつからなかった。ちょっと興味があったんだけど、隻眼の騎士の「お前には熱過ぎるだろう」という忠告を受け入れたからだ。あと、目をつぶったままじゃ危ないし。

 それに温泉からは『火のエネルギー』みたいなものを感じて、私とは相性が良くなさそうだと思ったから。地下から湧き出た温泉は、温めた水——つまり普通のお湯より、ずっと『火の気』が強いみたい。あの中に体を浸す気にはなれなかった。


 入浴が終わると宿舎に戻り、隻眼の騎士と一緒に就寝する。

 眠る前に「おやすみ」と声をかけられて、頭を優しく撫でられる瞬間が好きだ。よく眠れるおまじないみたい。


 こんな風に、私の毎日は平和に過ぎていった。砦の騎士たちはみんな優しく、誰かにいじめられるなどという事もなかったし、野犬ももう二度と敷地内に姿を現す事はなかった。

 そんな平穏な毎日の中、ここへ来てから大体2週間ほど経ったかなぁという時に、ハッと母上の事を思い出したのだ。そろそろ留守番期間は終わるはずだと。


(山の上の住処に戻らないと、帰って来た母上が心配する)


 しかし勝手にここを出ていけば、隻眼の騎士たちもまた私の安否を心配するだろう。こういう時、言葉が話せないのは本当に不便だ。

 お世話になった感謝の気持ちを伝える事も出来なければ、手を振って別れを言う事も、再会の約束をすることも出来ない。

 けれどいつまでもここにいては母上が……。


 ある日の午後、私は砦をぐるりと囲む鉄柵を眺めて逡巡していた。私の小さな体は、あの柵の隙間くらい簡単に抜けられる。ここへ来た時と同じように出ていく事も可能なのだ。

 

 しかし隻眼の騎士たちとのお別れが辛くて、足が前へ進まない。山の住処へ戻っても、またここへ皆に会いに来るつもりだが、それがいつになるかは分からないし。母上は快く私を遊びにいかせてくれるかな。


 雪の上にお座りしてじっと考え込んでいるうちに、段々雪が酷くなってきた。いつの間にか風も出てきて、私を吹き飛ばそうとしてくる。

 先ほどまで晴れていたのに、あっという間に天候は悪化し、吹雪になった。美しい雪がモンスターに変わり、辺りの景色を強制的に白く塗り替えていく。


(この吹雪の中で移動するのは無理かも)


 隻眼の騎士たちとの別れを延期するいい理由が出来たとばかりに、私は建物の中へ避難した。

 吹雪は、それから丸三日止む事はなかった。


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