支団長さんの苦悩
次の日の朝、私が住処で目覚めると、母上は大きなお腹に手を添えてまだベッドで眠っていた。
父上は地面に枯れ草を敷いてその上で寝ていて、私は今日は父上と一緒に眠っていた。順番に父上と寝たり母上と寝たりしているのだ。
「母上ー、父上ー」
今日は寝覚めが良く、二度寝はできそうもなかったので、母上と父上を起こして回る。
外はまだ薄暗いけど、太陽は昇りかけているしもうこれは朝だ。
「母上ー」
「うーん……」
母上の頬をペロペロ舐めるが起きてくれない。
身重の母上は寝かせておいてあげるか。
「父上ー! 父上ー!」
父上の方は割としつこく声をかけていたら薄っすら目を開けてくれた。
「おはよう! 朝だよ!」
「……おはよう。……元気だな」
眠そうな目をしながらも、父上はのそりと上半身を起こす。
「父上、あそぶ?」
「いきなりか……?」
寝起き数秒後に遊びに誘われて、私には寛容な父上もさすがに戸惑っている。私と一緒に暮らすと、こういうことも多々あるよ。
「まだ……体が温まっていないから……あまり動けないかもしれない……」
ボーっとした顔をしながら言う父上。父上は今人間の姿をしているけど、体質は変温動物のヘビ寄りなのかな。
「じゃあわたしは先に外であそんでくるね! 体あったまったら父上もきてね」
そう言い残すと、私は洞窟の外にダッシュした。たくさん寝て元気が有り余ってるから発散させなければ。
外で雪の上を駆け回った後、私は走りながら山を下っていく。時々雪に足を取られてコロコロ転がってしまうが、それすら楽しい。助走をつけてジャンプし、お腹で着地してそのまま雪の上を滑るのも最高だ。
そうしてしばらく山を下っていたら、視界の端でちょろちょろ動く黒い点が見えた。
「ん?」
そちらに視線を向けると、そこには白いイタチがいた。しっぽの先だけ黒いので、私が視界の端で捉えたのはあの部分だったのだろう。
(オコジョだ!)
この世界にもオコジョがいるかは分からないけど、私は冬にこのスノウレア山で見かける白いイタチをオコジョと呼んでいる。
オコジョは可愛いから見かけたらついしばらく観察してしまう。動きが素早く見つけづらいので、出会えたらラッキーなのだ。
いつの間にか日が昇って辺りは明るくなっていたが、オコジョはまだ私に気づいておらず、雪の上でぴょんぴょん跳ねている。雪の下にいるネズミを驚かせて狩ろうとしているらしい。
しかし結局ネズミは捕れなかったようで、オコジョは心なしかがっかりした顔をして、ふとこちらを見た。
私と目が合うと一瞬逃げようとしたが、キツネにしては無害そうな顔をしているからか、逃げるのを止めて立ち止まる。
そしてまたぴょんぴょんと跳ね始めた。空中で体を捻ったりして、変なダンスを踊っているみたいだ。しかも跳ねながらちょっとずつこっちに近づいてきている。
母上に聞いたことがある。イタチはああやってダンスを踊って、獲物が「?」となっているうちに相手を狩るんだそうだ。
つまり今、あのオコジョは雪の下のネズミを驚かせようとしているんじゃなく、私を狩ろうとしているらしい。
オコジョに狙われるキツネっているの……? 私が平和な顔をしているのが悪いのか?
しかし野生のオコジョには余裕で負ける自信があったので、私は大人しく移動術を使って逃げようとした。
オコジョって結構獰猛なんだよね。気性は荒いのに見た目は可愛いという、本当は優しいけど見た目はいかつい北の砦の騎士たちとは正反対の生き物だ。
――が、私が逃げるより早くこの場に父上が移動術で現れて、驚いたオコジョは踵を返して逃げ出した。
「父上! ちょうどいいところに」
「……どうかしたか?」
「うん。オコジョがいたんだけど、まぁいいや。あそぼう!」
パタパタとしっぽを振って言うと、まだ眠そうにしながらも父上はほほ笑んだ。
「そうだな、遊ぼう……。私の後継ぎが生まれたら……ミルフィリアと二人きりで遊ぶ時間はなかなか取れないかもしれない……。だから今のうちに……たくさん遊ぼう」
「うん!」
弟も一緒に三人で遊べる日が来るのも楽しみだけど、父上と二人だけの時間も今のうちに堪能しておこう。
そして昼になると、私は父上や母上と別れていつものように砦に向かう。今日は支団長さんを目標にして飛んでみた。
支団長さんは馬小屋にいて、愛馬のアイラックスをブラッシングしていた。幸せそうな顔をして、至福の時間って感じだ。
私が来たのに気づくと、支団長さんはさらに笑顔になる。
「ミル! よく来たな」
支団長さんは一旦ブラッシングの手を止め、私を抱っこした。そして笑顔のままこう言う。
「後でミルもブラッシングをしような。肉球に塗るクリームも新しいものを買ったんだ。今度のクリームは薔薇の香りがするもので――」
上機嫌に喋っていた支団長さんだったが、どこからか足音が近づいてくると突然静かになって、私を地面にそっと下ろした。
「あ、支団長。やっぱりここに――」
やって来たのはキックスと仲が良い騎士のジルドだ。だけどジルドはこの場に私もいることに気づくと『しまった』というような顔をした。
支団長さんは笑顔を消し、冷静な口調で言う。
「どうした? 何か用か?」
「あ、はい。そうだったんですけど……大した用事じゃないので後にします」
ジルドはさっさと踵を返して去って行った。どうやらジルドは、支団長さんは今私のもふもふを堪能していたのだろうと気づいて、気を遣って立ち去ったらしい。
足音が聞こえなくなると、支団長さんは緊張を解くように息を吐いて再び私を抱き上げた。
そしてしばらくの沈黙の後、神妙な面持ちで言う。
「ミル……。今まで隠していたんだが実は……私は動物が好きなんだ。可愛い動物が大好きなんだ」
深刻な顔して何を言うのかと思えば、そんなことか。周知の事実を今さらどうしたの?
「私は動物が好きだが、みんなには隠している。動物を溺愛しているところを見られて支団長としての威厳を失ってはいけないと思っていたんだ」
「ふーん」
急にどうしたんだろうと思いながら相槌を打つ。
支団長さんは本当に深刻そうに、目元にぐっと力を入れて打ち明ける。
「だが――そろそろ限界が近い」
そして今度は困ったような悲しげな表情になると、私を抱きしめて早口で続ける。
「人がいるところではミルのことを可愛がれないのが辛い。ミルだけじゃなく、クガルグ、ノッテ、ルーチェと可愛いもふもふがたくさんいるのに、みんなを存分に可愛がれないのが辛い。もちろんアイラックスのこともだ」
そこで支団長さんはアイラックスにも手を伸ばしてなでなでする。
「この北の砦にやってきた当初は自分に自信がなかった。動物好きという一面を、この砦の男らしい部下たちに知られたら軽蔑されるんじゃないかと恐れていた」
私は黙って話を聞く。支団長という地位に就くにしては支団長さんは歳が若いし、公爵家のお坊ちゃまということもここでは逆にコンプレックスになっていたのだろう。
「だが、ミルが来てからはここの騎士たちもみんなミルを可愛がっているし、全員もふもふが好きなんだと分かった。私だけじゃない。だからそろそろ私も動物が好きなんだということを言ってもいいと思っているのだが……なかなか勇気が出ない。それを言ったら幻滅されてしまうかもしれない、という恐怖はもうないのだが、今さらどのタイミングで暴露すればいいのかと迷っているのだ」
まぁ確かに今さらだよねぇ。でも、暴露というほどのことではないよ。みんなもう支団長さんの動物好きは知ってるんだから。
隠せてると思ってるの支団長さんだけだよ。
「いつでもだいじょうぶだと思うよ。みんなもう……気づいてるかもしれないし」
私はやんわり真実を伝えてみたが、支団長さんには首を横に振られてしまった。
「いや、私の演技は完璧だったからみんな気づいていないはずだ。だから真実を話せば軽蔑こそされないだろうが驚きはするだろうし、やはりタイミングをうかがった方がいい。何か良い機会があればいいのだが……」
支団長さんが本当の自分をさらけ出す自信を持てたのはいいことだけど、そんなに真面目に考えなくても、みんなに言うタイミングはやっぱりいつでもいいと思うよ。
本当に全員、もうとっくに気づいてるからさ……。




