雷の精霊ライザード(2)
父上の拘束から解放されたライザードは、小さく咳込んでからホッと息をつく。
一方、父上は人の姿に戻って私を抱き上げた。洞窟の天井が低いから、首が窮屈そうに曲がってるけど大丈夫?
「戻ろう……」
「そうだね。みんなしんぱいしてるだろうから、砦にもどらないと」
そこで私はライザードの方を見て続ける。
「ライザードもいっしょに行こう」
ライザードは迷っているようだったけど、父上は彼の片腕を掴んでこう言う。
「……どの道、連れていかなければ……。このまま逃がしては……スノウレアも、納得しないだろう」
そうして父上が移動術を使い、私たち三人は北の砦へと戻った。
「ミルフィリア!」
「ミルフィー、だいじょうぶか!?」
帰ったらすぐに母上が私を父上から受け取り、ぎゅっと抱きしめてくる。クガルグも心配して、母上の足元をうろうろしながらこちらを見上げていた。
「よかった、無事で」
隻眼の騎士や支団長さん、砦のみんなも安堵して息をつき、ヒルグパパはこう言った。
「我々も追いかけようと思ったんだがな! ウォートラストが一人でいいと言うので任せたのだ!」
そして母上はぎろりとライザードを睨みつける。
「ライザード。そなたこんなことをして覚悟はできておろうな? わらわの愛しい子を攫うなど」
「母上、まって。ちょっとごういんなやり方だったけど、ライザードはわたしと二人で話がしたかっただけみたい。なにもこわいことはされなかったよ」
私は慌ててライザードを庇う。雷はちょっと怖かったけどね。
「ごめんなさい」
ライザードも謝ったが、母上はまだ私をぎゅっと抱きかかえている。今度は隙を見て奪われないように。
ライザードはうつむき加減で言う。
「でも、その子が言った通りなのよ。その子を攫ったのは二人きりで話がしたかったからで、危害を加えるつもりはなかったの」
「何の話をしたかったの?」
聞いたのはダフィネさんだ。
「……教えてもらいたいことがあったのよ」
「ミルフィリアに? こんな幼子に何を教えてもらいたかったのじゃ」
母上が怒気を少しだけ緩めて意外そうに尋ねると、ライザードはもじもじしながらしばらく黙った。
「はっきり言わんか!」
待ちきれなかったヒルグパパが大きな声で言う。
「どうしたら……のか、教えてもらいたかったのよ」
だけどライザードはぼそぼそと答えたので、ヒルグパパは「聞こえん!」と返した。
数秒の沈黙の後、ライザードは覚悟を決めてはっきり言う。
「どうしたらみんなに好かれるのか、教えてもらおうと思ったのよ!」
そして言った直後に顔を覆って天を仰いだ。
「ああもう、恥ずかしい……。だからその子と二人だけがよかったのに」
羞恥に耐えるライザードを見ながら、精霊たちも砦の騎士たちも、みんなポカンとしていた。もちろん私も。
ライザードって、みんなに好かれたいと思っていたの?
母上は顔を赤くしているライザードに聞く。
「どうしてみんなに好かれたい? そなたはそのような性格の精霊ではなかったはずじゃ」
「……改めて言うけど、昔のことは悪かったわ。反省してる。ウォートラスト以外の、攻撃したみんなのところに謝りに行かなきゃと思ってたの」
何気に除外される父上。
たぶん父上には何も攻撃が効いていなかったからだろう。謝っても父上は何のことだか分かってない。あとは、父上にプライドをズタズタにされたから謝りたくない心境というのもあるかもしれない。
「あの頃は私も若かったのよ。虚勢を張ってたし、不安だった。雷の精霊である私は、光の精霊や炎の精霊と性質は似ている。だけどその二人より弱いって、他の精霊はみんな思ってるんだろうなと思っていたから、自分の力を見せつけたかったのよ」
ライザードはそこで母上を見る。
「雪の精霊なら分かるでしょ? 私の劣等感みたいなものが。雪は水と同類だけど水よりは弱いもの。あとは……花の精霊もそうね。花と木は仲間だけど木の方が強い」
「わらわは劣等感などないが。ウォートラストより……このぼーっとしている男よりわらわの方が弱いなどということはあり得ぬからな」
母上はつんと顎を上げて言う。本気でそう思ってるのか強がりなのか、微妙なところだ。
だけどライザードは、母上は本気でそう思っていると思ったらしく、ハァとため息をついた。
「はいはい、スノウレアは強いのね」
「何じゃ、その言い方は。三十年前はまるで子供のようだったと言うのに。体の大きさは成人した精霊と変わらなんだが、中身は子供じゃった」
母上がそう言い返すと、ライザードは素直に頷く。
「……そうね。さっきも言った通り、あの頃の私は劣等感を抱えてたから、みんなから怖がられたかったの」
すると今度はダフィネさんが質問した。
「それがどうして変わったの? 性格だけでなく見た目や話し方まで変わっているけれど」
理由を尋ねられたライザードは、視線を少し落として昔話を始めた。
「……私が前に住処にしていた森は、人里に近いところにあってね。水や木の精霊なら人間たちに喜ばれたかもしれないけど、雷の精霊である私は付近の住民たちから恐れられていたの。別に人間には何も攻撃なんてしてないんだけど、私の怒りを買って村に雷を落とされないようにって、人間たちは勝手に祭壇を作って、よく生贄を持ってきたのよ。死んだウサギとか、鹿とかね」
みんなは黙って話の成り行きを見守る。
「だけど私はそんなものいらないから、突き返していたの。そうしたら人間たちは私は動物じゃ満足しないんだと勘違いして、今度は人間の子供を生贄として送ってきたのよ」
「え?」
私は驚いてつい声を出した。
ライザードは私を見て少し笑い、続ける。
「幸い、子供は死んでいなかったわ。大人たちに言いつけられたんでしょうね、その子供は自分で私の住処の森に入り込んできたの」
殺されていなかったと分かって、私はホッとした。
「だけど、私はその子を見つけた時、ちょっと嬉しかったのよ。人間の子供が、雷の精霊である私に親しみを持ってここまでやって来てくれたのかしら? って思ってね」
ライザードはそう言って少し声を弾ませたが、次にはまた暗くなる。
「だけどそうじゃないってことはすぐに分かったわ。その子は自分は生贄だと言って、私に食べられるために来たと言った。……私が変わったきっかけはその子よ」
今日の天気はやはり不安定で、遠くではまだ雷が鳴っている。あれはライザードが起こした雷ではないようだけど、まるでライザードの心の中を表しているみたいだ。
「その子はね、とても怯えていたの。ガタガタ震えて、目を見開いて、顔を真っ青にしてた。それを見た時、人から怖がられるって全然良い気分じゃないなって思ったし、何だかショックだった。これじゃあ私は精霊じゃなくてバケモノじゃないかって思って」
「そんなことがあったのね」
ダフィネさんが気の毒そうに言う。ライザードも生贄の子供のことも不憫に思っている様子だ。
「子どもはちゃんと村に帰したんだけど、それからみんなから怖がられたいとは思わなくなった。精神的にも多少大人になって、自分が粋がってたことにも気づいたわ。あなたたちにケンカを売りに行った時も、みんな私の強さに驚いていると思って満足していたけど、それは勘違いだったことにも気づいたの。みんな、私がいきなり攻撃したからポカンとしているだけだったんだわって」
ライザードは顔を上げると、少し照れくさそうに続ける。
「それで自分が恥ずかしくなって、虚勢を張ることはやめたの。そして今度はみんなから好かれたいと思うようになった。優しくなって、みんなから好かれたいって。まぁ、怖がられたいという思いも、好かれたいという思いも、どちらも自分を誰かに認めてほしいっていう感情ではあるんだけど」
そこでちょっと話を変えて、ライザードはスノウレアに言う。
「スノウレアのことは羨ましかったわ。雪を降らせる精霊だから、私と同じく人間たちから敬遠されてもおかしくないのに、あなたはここで人間たちと仲良くやっているんだもの」
先ほども言っていたが、ライザードは三十年前に母上にケンカを売りに来た時、スノウレア山の麓にある祭壇を見つけたのだ。
「祭壇にあるのも、死んだ動物なんかじゃない。お酒だった。きっとスノウレアがお酒を好きだから、好きなものを供えたんだろうなって思ったわ」
しかもライザードは、その時コルビ村の星祭りも偶然目にしたようだ。精霊を歓迎するお祭りをやってもらえるなんてと、羨ましく思ったと吐露する。
「私もスノウレアみたいにみんなに好かれたかった。精霊にも人間にも、みんなに」
そこでライザードは自分の髪に触れて、説明した。
「だから手始めに髪を下ろして、見た目も変えてみた。あとは雰囲気も落ち着いた優しい感じにしたいと思って、とりあえずダフィネをお手本にしてみたら、口調まで移ってしまったのよ」
照れくさそうに言うライザード。
どうやら、ヤンキーだったけど実は心は女性だった、というわけではないらしい。優しく話そうと思っていたらダフィネさんみたいな女性口調になっちゃっただけで、別に心は女性ではないみたい。
一方、ダフィネさんは自分をお手本にされていたことに驚いていたけれど、嬉しそうでもあった。
「ライザード、あなた私のことを落ち着いた優しい精霊だと思ってくれていたのね」
「まぁね。だって他は性格に難有りな精霊が多いから。ウッドバウムなんかも優しいかなと思ったけど、ちょっと怖がりだし。あとはウォートラストも落ち着いてるけど落ち着き過ぎてるしね」
母上やヒルグパパは最初から候補になかったのか、二人については何も語らないライザード。
ダフィネさんはにっこりほほ笑んで言う。
「今のあなたなら好きになれそうだわ」
「ほ、本当……?」
そこで、ずっと黙って話を聞いていた私は我慢できなくなって言った。
「ライザード、すごいよ!」




