罠(2)
「こんなバカな罠には引っかからないわよね、と思ったけど……引っかかったわね」
ジャーキーを食べるためにビンに頭を突っ込んでいた私に、そんな声がかかる。馬鹿にしているというより、少し呆れている感じ。
(誰!?)
私は突然現れた相手を確認しようとするが、ビンが重くて振り向けない。相手は私の後ろに立っているのだ。
声の低さは若い男の人のようなのに、喋り方は女の人っぽいのも気になる。
(頭抜かないと)
私は慌ててビンから頭を引き抜こうとしたが、入れる時もギリギリだったのでなかなか抜けない。っていうか何か、詰まってない……?
あれ……ちょっと……。どうしよう、これ。
(せきがんのきしー!)
ピンチの時にはとりあえず隻眼の騎士を呼ぶという機能が私にはついているので、きゅんきゅん鳴いて救世主を呼んだが、ビンに声が反響して耳が痛い。
(誰か助けてー!)
ビンを頭につけたままズリズリと後ずさりするが、一向に抜けない。頭重い……。
やがて背後にいた謎の人物の脚に、私のお尻がぶつかってしまった。
「でもこれが……隙があるところが、みんなに好かれるコツなのかしら?」
相手は独り言を呟いて、私のことをビンごと持ち上げる。彼だか彼女だか分からない謎の人物からは、光でもなく炎でもない、雷の〝気〟を強く感じた。
(もしかして……この人がライザード?)
緊張して、肉球から一気に汗が噴き出る。
ライザードらしき人物は、小さくため息をついて言った。
「向こうの方でちょうど雷が鳴ってるから、私の雷の〝気〟も紛れてあなたに気づかれにくいと思ったけど、この様子じゃいつでも攫えたわね」
(攫う!?)
その単語を耳にして、私は全身の毛を逆立てる。そしてさっきより必死できゅんきゅん鳴いて助けを求めた。
「さぁ、そろそろ行きましょう。誰にも見つからないうちに」
(せきがんのきしー! クガルグー! だれかー!)
相手が移動術を使う気配がして、私がひときわ高く「きゅーん!」と鳴いた瞬間――砦から支団長さんの声が轟いた。
「ミルに手を出すなッ!」
よく見えないし聞こえないけど、どうやら支団長さんは砦の窓から身を乗り出して叫んでいるようだ。
そういえば砦のこちら側には支団長さんの執務室があるので、今日も密かに私のことを観察していたのかもしれない。
「どこから侵入した!」
「この子、借りていくわよ」
ライザードは再び移動術を使おうとしたが、そこでまたもや邪魔が入った。ライザードが突然一歩後ろに飛び退いたかと思えば、それと同時に剣が空を斬る音がしたのだ。いつの間にか駆けつけてきていた隻眼の騎士が、ライザードを攻撃したようだった。
「なっ……」
ライザードは剣を避けたものの、意表を突かれて驚いている。そしてその隙に、隻眼の騎士は私をビンごと奪い返した。
「ミルフィー!」
かくれんぼの最中だったクガルグも、数を数え終えてこの騒ぎに気づいたのか、こちらに駆けてくる。
「そこにいてくれ」
隻眼の騎士が素早く私を地面に置くと、クガルグが心配そうに寄り添ってくれる。
「なんだこれ。取れない」
クガルグはビンを前足でバンバン叩いてくるけど、すごく響くからやめてほしい。
一方、隻眼の騎士は再びライザードに攻撃を仕掛けたようだ。隻眼の騎士が剣を振り、ライザードがすんでのところでそれを避けているような音がする。
「速っ……! 何この人間ッ!?」
戸惑っているライザードの隙を突き、胸ぐらを掴むと、隻眼の騎士は相手の体をそばにあった木の幹に勢いよく押し付けた。その衝撃でライザードがゲホゲホむせている。
「何のつもりだ。目的は何だ?」
よく見えないけど、隻眼の騎士はライザードと顔を突き合わせ、ギロリと睨んだようだった。剣先もライザードの喉元に突き立てているみたい。
「何よ、こいつ……」
ライザードは動揺したような声で言い、こう続けると同時に雷に変化して逃げてしまった。
「人間のくせに……怖ッ!」
バリバリッっと激しい静電気が起きたような音が鳴り、ライザードは姿を消す。
隻眼の騎士は振り返って言った。
「ミル、大丈夫か? ああ、ちょっと待て。今、ビンを取ってやるから」
「いだだだだ……」
隻眼の騎士にビンを掴んでもらい、もう片方の手で優しく体を引っ張ってもらうと、やがて私の頭はスポン! と抜けた。
私はフルルルッと頭を振ってから、隻眼の騎士を見上げる。
「せきがんのきし、ありがとう。でもどうしてここに来たの?」
「たまたまミルを探していたんだ。午前の仕事も終わったし、そろそろミルのごはんの時間だからな。そうしたら支団長の声がして、慌ててこっちにやってきた」
今日も隻眼の騎士を目標にして砦に移動してきたので、クガルグとかくれんぼをする前に隻眼の騎士とは一度顔を合わせていたし、その時に外で遊んでくるとは言っていたのだ。
「そうなんだ。よかった」
おかげでライザードらしき人に攫われずに済んだ。
「クガルグもありがとう」
「あいつ、誰だったんだ?」
クガルグが眉間に皺を寄せて警戒気味に言ったところで、外に出てきた支団長さんが急いでこちらに駆けてきた。
「無事か!?」
「ええ」
答えたのは隻眼の騎士だ。支団長さんは私の無事を目で確かめると、少し息を切らせながら言う。
「上からグレイルが駆けてくるのは見えていたが……よかった」
そして支団長さんも私にこう尋ねてくる。
「あれは誰だったんだ? 上からずっとミルを見ていたが、ミルがジャーキーのビンに頭を突っ込んだ瞬間、突然現れたんだ」
「うん……たぶん、かみなりの精霊のライザードかな。いつからかはわからないけど、わたしのこと遠くから見てたんだと思う」
ライザードはずっと私のことを攫おうと狙っていたのかな? 今日は天気が悪いから、自分の雷の〝気〟に気づかれにくいと思って行動を起こしたようだったけど。
私がジャーキーを好きなことも、いつ知ったんだろう?
「雷の精霊……」
支団長さんは少し思案してから私に言う。
「ミル、彼が何を考えているか分からないが、精霊相手ではミルを守り切れるか分からない。一度スノウレアのところに戻って、できれば二人で砦にまた戻ってきてくれないか?」
「うん。わかった」
というか、支団長さんから見るとライザードは『彼』だったらしい。私はちゃんと姿を確認できなかったけど、見た目は男性だったのかな。
私は一度母上のもとに飛ぶと、簡単に事情を話してすぐに二人で砦に戻った。
「ライザードが来たと?」
砦に着いた途端、母上は支団長さんたちにも確認する。
「ええ、おそらく。移動術を使う時に小さな雷に姿を変えましたから」
支団長さんがそう言った後、隻眼の騎士も付け加える。
「外見は二十代前半といった若さで、髪は紫色でしたが、一筋だけ黄色でした。服は黒い外套の中に黄色いフード付きの服を着ていて、ズボンは……なぜか膝の辺りが破れていました」
なにそのヤンチャなズボン。ライザードの不思議な服装が気になるな。
「ふむ。どうやら本当にライザードのようじゃな」
母上は私をしっかり抱きしめつつ、神経質に片眉を上げる。
「一体何が目的でミルを狙っておるのじゃ」
「おれ、父上をよんでくる」
クガルグはそう言うと、炎になって消えてしまった。ヒルグパパを呼んでくれるのは確かに心強い。
「わたしも父上をよんでこようか?」
私は母上に言う。すると母上は首を横に振り、自分が移動術を使った。
「わらわも行こう。ウォートラストには父親として働いてもらわねば」
そう言うと、母上は私を巻き込みながら吹雪に変わったのだった。




