支団長さんの裏の顔
保護されて二日目ともなると、色んな事にも慣れてくる。隻眼の騎士の寝起きの形相にも、朝のトレーニングで見せる鉄人っぷりにも。彼の体は鋼鉄製だと割と真面目に思っている。
そして私の人見知りも昨日よりはマシになった。相変わらずキックスには警戒を続けているし、誰彼構わず体を撫でさせたりはしないけれど、優しく話しかけてゆっくり手を伸ばしてくれたら、頭と背中ぐらいは触られても平気だ。お腹と肉球としっぽは駄目だけど。そこデリケートだから。
朝の食堂で私を撫でたティーナさんは、「きゃああぁぁ」と興奮して小声で悲鳴を上げつつ、ふわさらの毛皮の感触に感動してくれたようだった。撫でながら「いやー! 嘘みたいにふわふわ! やだー!」とか言って。嫌なの?
そして隻眼の騎士が仕事に行く時には、昨日の午後と同じく私も外に放たれた。「いい子でな」と頭を散々撫でくり回された後で。
しかし今日は訓練場に騎士たちがいて、重そうな荷物を背負いながら雪の中を走ったりといった鍛錬に勤しんでいたので、彼らの邪魔にならないよう、端の方でひたすら雪を掘り起こすという遊びに興じる事にする。
地面を掘ろうとしても結構固いし汚れるしであまり楽しくないけど、雪はさくさく掘れるし汚れないからつい熱中してしまう。
ひと穴掘り終え、ふぅと息をつく。しかしまだ体力は有り余っているので、隣にもう一つ穴を掘ろうと歩き出した瞬間、ずるりと足が滑って自分の掘った深さ数十センチほどの穴に転落した。確か前もこんな事あったな。
自分のマヌケさを恥じながら、急いで穴から這い出る。誰にも見られてなかっただろうな?
訓練場の騎士たちを振り返ると、彼らはちょうど走り終えたところで、ゼイゼイ息を切らせながら雪の上に座り込んでいた。
皆苦しそうな顔をしながら、しかしちょっとだけ笑っている。
「駄目だ、キツい……!」
「ただでさえ走ってて息が苦しいのに、笑えて呼吸がッ……」
見られていたのか。
私は顔を火照らせながら、いそいそと訓練場を後にした。ほら、気を散らせて訓練の邪魔しちゃ悪いから。
その後は馬小屋に行って、世話係のおじさんらしき人が馬たちに餌をあげているのを遠くから眺めた。こちらに気づいたおじさんに「お前も欲しいのか?」と干し草を見せられたけど、雑食の私でもさすがにそれはいらない。
小屋の掃除などをしたおじさんが帰っていくと、私は馬たちに近づいて順番に挨拶をした。
おはよう、おはよう。今日も寒いね。
馬たちは皆白い息を吐いて応えてくれた。
やがて小屋の真ん中辺りにいる一際大きな馬に近寄り、同じように挨拶をした。馬の毛色の名称に詳しくないので、目の前の大きな馬の色は焦げ茶色だとしか表現できない。しかし今日は太陽が出ていないので、ほとんど黒に見える。
彼はとても筋肉質で体が引き締まっており、顔つきも精悍だ。男らしく、頼りになる感じ。実際、他の馬たちからも信頼されている様子だし、ここのリーダーなんだろう。
彼は黒くて長い尾を軽く揺らして、私の方へ首を伸ばしてきた。たぶんだけど、彼は隻眼の騎士の馬だと思う。少し匂いが残ってるし、二人の雰囲気がすごく似ているから。
なので、彼の側にいると隻眼の騎士の側にいるみたいでちょっと落ち着く。
人間の話している内容を聞いていたのか、それともあの夜に目撃されていたのかは分からないが、馬たちも私が野犬に襲われた事を知っていたらしく、「大丈夫か?」と心配された。もちろん馬が実際に言葉を発した訳じゃないけど、そう言ってるんだろうなっていうのは伝わってくる。
大丈夫だと言うように鳴いたら、隻眼の騎士の馬は「今度奴を見かけたら威嚇しておいてやろう」と鼻を鳴らした。頼りにしてます、リーダー。私はあなたをひ弱な草食動物には分類していませんので。
そして今度はリーダーの隣にいる馬にも朝の挨拶をする。動物社会でも挨拶は大事だ。
この馬は艶やかな黒毛で、とても美しい。思わずため息をついて見惚れそうになる。気性も穏やかで、繊細そう。
飼い犬は主人に似るって言うけど、飼い馬も主人に似るのかもしれない。何故ならこの馬からは支団長さんの匂いがするからだ。
あんまり男臭くなく、少し石けんの匂いの混じった清潔感のある香り。
——などと思っていると、風に乗ってその匂いが強く香ってきた。
目の前の黒毛の馬が嬉しそうに尾を揺らす。
私が振り向くと、支団長さんは雪を踏み分け、静かにこっちへ向かってくるところだった。まさかのご本人登場である。
相変わらず色は白く、艶のある黒髪はさらさらと風になびいている。元人間の女子としてはとっても羨ましい。この世界にヘアトリートメントとか無さそうだけど、そのキューティクルはどうやって維持しているんですか?
「……」
支団長さんは小屋の近くまで来てから、初めて私の存在に気づいたようだった。雪と同化して見えなかったのかな。保護色だからね。
私と目が合うとピタリと固まる支団長さん。なぜ止まる。
黒毛の馬が焦れたように小さくいななくと、ハッと瞬きをして慎重な足取りでまたこちらに近づいてきた。
なんだろう。何だか支団長さんの動きがぎこちない。自分の馬だけを見て、決して下を——私がいる方を見ようとはしないのだ。
「元気か、アイラックス」
そうして私を無視したまま、しかし少し緊張した様子で愛馬の鼻筋を撫でる。
二人の逢瀬の邪魔をしないよう、私はアイラックスというらしい彼の馬からそっと離れて、隻眼の騎士の馬の方へと近寄った。
支団長さんはアイラックスに声をかけながら、何度も体を撫でている。「体調はどうだ?」とか、「しっかりごはんは食べたか?」とか。
動物に話しかける人に悪い人はいないと、その光景を見て思った。『氷の支団長』なんて呼ばれてるみたいだけど、やっぱり本質は違うのかな。
しかし支団長さんに友達がいないっていう私の予想が当たっているのだとすれば、この光景は一気に悲しみを帯びてくる。
馬が唯一の友達……。
私は泣いた。心の中で泣いた。
支団長さんはきっと不器用な人なんだ。その整った外見から冷たいイメージを持たれ、友達ができないだけなんだ。
私はあなたを応援してるよ。頑張れ! 頑張れ、支団長さん!
私はきゅんきゅん鳴いて支団長さんのブーツをカリカリ引っ掻いた。
「……!」
と、支団長さんはぎょっとした目でこちらを見下ろし、硬直した。人間にしろ動物にしろ、あまり他者との接触に慣れてないのかな? それとも、やはり私は嫌われているのか? 馬はよくてもキツネは嫌いだった?
相手の反応を窺うように、私はじっと支団長さんを見上げた。
すると彼はきつく眉間にしわを寄せて苦しげな顔をしたかと思うと、アイラックスの鼻筋におでこをくっつけ、こう呟いた。
「……つらい」
私はますます彼が心配になった。そりゃ、友達がいないのは辛いだろう。再びきゅんきゅん鳴いて、支団長さんの足にすがりつくように後ろ足で立ち上がった。
なんなら私も支団長さんの友達になるよ。人間じゃなくて悪いけど、精霊の友達っていうのも結構素敵じゃない? 嫌? 私と友達になるのは嫌?
支団長さんは顔を上げると、まとわりついてくる私を見てさらに表情を歪めた。とても辛そうだ。
そして一度強く目をつぶったかと思うと、
「もう無理だ」
耐えきれないというように囁いて、次の瞬間——私をぎゅうぅぅと抱きしめた。
……うん?
しゃがみ込んだ支団長さんに抱き上げられ、その腕に捕われながらしばし固まる。
どれくらいそうしていただろうか。支団長さんはやがて私の体をそっと地面に降ろすと、今度は遠慮がちに——しかし頭から耳から胸からしっぽまで、体中をくまなく撫で回された。
しかもその時の彼の表情が何というか……恍惚としていた。
目はとろんと濡れて、頬は上気し、かすかに息を荒げている。時折「ああ……」と声を漏らしたりして。
とても色っぽいが、なんだか複雑な気分だ。クールな氷の支団長はどこへ行った。
そっと片足を持ち上げられ、今度は肉球をふにふにされる。
「この感触……!」
ええ、ええ、確かに肉球の柔らかさは私の自慢です。
けどそこまで感激されるほどのものでもないと思うんですけど……。
支団長さんは私の事を嫌っているというか、あまり興味がないんじゃなかったんだろうか。この急な態度の変化はなんなの。というか友達は? 友達はもういいの?
支団長さんはうっとりした顔で私を見つめてくる。
「可愛いな、お前は。どうしてそんなに愛らしい姿をしているんだ。……ああ、もちろんアイラックスも可愛いぞ。拗ねるんじゃない。どちらも可愛い」
支団長の氷の仮面は崩れ去っていた。デレデレととても幸せそうな顔をして私とアイラックスを交互に撫でているのだ。
どうしよう、この人動物としか友達になれない可哀想な人なのかな。昔いじめられたとかで、人間には心を開けないのかも。
そう思うと、肉球を触られても嫌がる事はできなかった。むしろ触れてくる手をぺろぺろと舐め返して、元気づける。
「……幸せ過ぎて辛い」
小さく呟かれた言葉に私は胸を痛めた。こんな些細な触れ合いで幸せを感じるほど、支団長さんは……うぅ。
同情を込めて、支団長さんの細い指をベロンベロン舐め回しておいた。
読者の方からの頂き物をご紹介。
ミル&母上のイラスト【菅原さまより】↓
http://8009.mitemin.net/i105929/
ミルぬいぐるみ(!)の画像【ひよりさまより】↓
http://10119.mitemin.net/i106533/
http://10119.mitemin.net/i106532/
http://10119.mitemin.net/i106530/
どちらも見ていてニヤニヤしてしまいます。
文章では表せない可愛さ。
私一人で楽しむのはもったいないので、是非皆さんも一緒にニヤニヤしましょう。
お二人とも、ありがとうございました。




