気配再び
ハイデリンおばあちゃんのところに飛んだものの、おばあちゃんはいつもの住処にはいなかった。
巨大な鳥の姿で大海原の上を飛んでいる最中だったのだ。私はその背中に着地し、状況を把握すると同時に叫んだ。
「キャーッ! たかい! 空っ、空をとんでる!」
「何だい、誰か来たのかい?」
風を切って飛行しているハイデリンおばあちゃんには、私の悲鳴はほとんど聞こえなかったらしい。なので私は足を滑らせないように気をつけながら、もふっとした羽毛を掻き分け、ハイデリンおばあちゃんの頭の方へと移動した。
というか、ハイデリンおばあちゃんの体は大きいので落っこちる心配はあまりないかもしれない。背中もすごく広いもんな。
でも風があるから足はちゃんと踏ん張ってないと。
「おばあちゃん!」
「ミルフィリアかい? 今日は一人で来たんだね」
「うん! ハイデリンおばあちゃんはなにしてるの?」
「散歩だよ。それで、何か用かい?」
風を受けている私は、全身のもふ毛をなびかせながら、ハイデリンおばあちゃんに双子のことを伝える。
「長く生きている私でも、精霊が双子を身ごもるってのは初めて聞いたね。それをわざわざ伝えに来てくれたのかい?」
「うん。でもその他にもききたいことがあって。ハイデリンおばあちゃんは、ライザードって知ってる?」
「ライザード? 雷の精霊のことだね。三代前のライザードから知ってるよ」
「うーん、たぶんいちばん若いライザード」
「知っているよ。前に一度、住処に雷を落とされてね」
「ハイデリンおばあちゃんも?」
やはり三十年ほど前に突然ライザードがやってきて、いくつも雷を落としたらしい。それでハイデリンおばあちゃんが驚いてポカンとしているのを見ると、ライザードは満足して帰ったようだ。
「ライザードは、みんなのところをまわって何がしたかったのかな?」
「自分の力を見せつけたかっただけだろうさ。奴はまだ若いからね」
「そういえば母上もダフィネさんもそんなこといってた。ライザードって何さいなの?」
私は話しながら人の姿になると、ハイデリンおばあちゃんの羽毛を両手で握った。足を踏ん張って風に耐えるのに疲れたからだ。
ハイデリンおばあちゃんは気持ちよさそうに羽ばたきながら答える。
「今は百三十ほどじゃないかい? そのライザードと話したことはないが、先代のライザード――つまり今のライザードの父親から子供の話を聞いたことはあるからね。子供は自分の若い頃にそっくりで威勢だけはいいんだ、というような話をしていたと記憶しているよ」
「そうなんだ」
今、ライザードは百三十歳だとしたら、三十年前は百歳くらい。成人したかどうかといった年齢だ。
そのくらいの歳って人間だったらもう反抗期は終わっているはずだけど、実際はまだ未熟なのに、成人して何でもできるようになった気がしてしまう――そんな怖いもの知らずな年頃なのかもしれない。
だからライザードは、他の精霊たちに自分の力をみせつけたくなったのかな。
「ハイデリンおばあちゃんは、さいきんライザードに会った?」
「いいや、三十年前のあれ以来会ってないね」
ハイデリンおばあちゃんも会ってないのか。ライザードが何をしているのか、やっぱり気になっちゃうな。
この三十年でさらに乱暴者になっていたらどうしよう。精霊に敵はいないと調子に乗って、人間相手にどこかで暴れていたりしないといいけど……。
と、私はまだ会ったこともないライザードのことを少し怖がりつつ、心配もし始めたのだった。
翌日、私は昼間から住処の洞窟の中で寝ていた。
朝からクガルグと遊んで、その後父上のところに行き、次にルナベラの様子を見てから、正午には砦にごはんをもらいに行ったのだ。
だから少し疲れて眠くなってしまったので、寝床の枯れ草の上で丸くなり、思う存分惰眠をむさぼっていた。
スピピーと鼻を鳴らして気持ちよく眠っていると、スノウレア山のパトロールに行っていたはずの母上の声が聞こえた。
「ミルフィリア。ミルフィリア」
「……ん? ははうえ……?」
目を開けると、いつの間にか母上が戻ってきていた。あれ? まだ出て行ってから三十分くらいしか経ってないよね? いつもはもっと長くパトロールしてるんだけど。
「おかえりなさい。でも、今日はかえってくるの早いね」
前足で目をこすりながらあくびをする私。一方、母上は鋭い目で洞窟の外を見ている。
「どうかしたの?」
「……」
母上は何か考えながら私の方へ顔を向けた。
いつも通り、平和でのんびりしている私の顔を。
「気のせいか」
「なぁに?」
「いや、スノウレア山を見回っておったらな、ふと雷の気配がした気がしたのじゃ」
母上は険しい顔をして説明する。
「しかし空を見上げても今は晴れておる。自然の雷が鳴りそうな気配はない。じゃから、まさかライザードが来おったのではないかと、急いでミルフィリアのもとまで戻ってきたのじゃ。しかしどうやら気のせいじゃったようじゃ」
「うん、だれも来なかったとおもうけど……」
しかし私は寝ていたのであまり自信はない。母上はまた洞窟の外を見て言う。
「ライザードがこっそりと行動するなんてことはあり得ぬからの。あやつが来る時は空が荒れ、稲光が走り、雷鳴が轟く。自然のものではない雷が落ちるのじゃ。若いがゆえに、自分の力を見せつけずにはおられぬのじゃから」
母上は、ライザードの乱暴さは若さゆえのことだと思っているみたいだ。
「まぁ、わらわもあのくらいの歳の頃は自分に自信しかなかったし、傍若無人であった心当たりもあるからの」
ちょっと恥ずかしそうに吐露する母上。可愛い。
でも母上って今はこれでも丸くなってたのね……と思ったけど、失礼だから口には出さなかった。今も自分に自信しかないように見えるし傍若無人なところもあるけれど……と思ったけど口には出さなかった。
余計なことを言わないように口をムギュッと閉じている私の前で、母上は続ける。
「しかしライザードは、わらわと違って精霊としての劣等感が強いのかもしれぬな。今、思い出したのじゃが、三十年前のあの時、ライザードは雷を落としながらこんなことを言っておった気がするのじゃ。『俺は強い! 光の精霊や炎の精霊にも負けない!』と」
「そうなの?」
「雷は光でもなく炎でもないが、稲妻という光を放つし、木などに落ちれば木が燃えたりもする。つまり炎を生むこともあり、精霊としての性質は光や炎に似ておる」
母上は目を伏せて語り出す。
「似ておるが、ライザードはサンナルシスやヒルグとは違って、雷の精霊である自分に劣等感があるのじゃろう。精霊には持って生まれた力の差があり、水、炎、風、地、木、光、闇の精霊に比べると、雪、雷、花の精霊は弱いと言われておるからじゃ」
その話は私も知っていた。だけど私は強さなんてどうでもいいので、そう聞かされても何も思わない。
「わらわも若い頃は、それに腹を立てていた時もあった。例えば雪は水と性質が似ておるが、雪の精霊であるわらわは水の精霊には勝てぬのか? とふと思った時があってな。そんなことはないということを証明するため、ウォートラストの住処に乗り込んだこともあった」
「ええ? それでどうなったの? たたかったの?」
「いや、その時初めてウォートラストに会ったのじゃが、思ったよりものんびりした精霊じゃったから、戦意が削がれての。戦わずとも、このような奴にわらわが負けるはずがないと自信をつけて帰ったのじゃ」
「そうなんだ……」
突っ込み役がいないから、混沌とした状況になったんだろうなと想像する。
血気盛んな若い母上と、全てにおいてやる気がない父上。きっと母上がやる気満々で勝負を挑むも、眠そうな父上がのらりくらりとかわしたんだろう。そのうち、張り合いのなさに母上がやる気を失ったって感じか。
って言うか、母上は今でも父上より自分の方が強いと思ってるのかな? 私から見るともちろん母上は強いけど、父上が本気を出したら父上の方が強そうな気がする。まぁこれも口に出したら母上が怒りそうなので言わないけど。
再び口をムギュッとさせながら、私は考える。
ライザードは、精霊としての性質は光や炎と似ているのかもしれない。けど、光の精霊であるサンナルシスや炎の精霊であるヒルグパパと違って劣等感をこじらせているし、歳も若く、未熟ということ?
つまりライザードは、〝実はコンプレックスを抱えて虚勢を張っているサンナルシス〟。あるいは〝若くて思いやりに欠けるヒルグパパ〟だとでも思った方がいいのかも。
(怖い精霊なのか、それとも色々こじらせた面倒臭い精霊なのか……)
後ろ足で頭をポリポリと掻きながら、私はそんなことを思ったのだった。




