お花畑と雷の気配
父上の移動術で家族旅行第一弾に出発した私たちは、見知らぬ森に到着した。
この場所の天気はあまりよくなく、少し風も出ていて、今にも雨が降り出しそうだ。
だけど森の中ではあちこちから鳥の鳴き声が聞こえているし、木の葉のざわめきや小川のせせらぎが耳に届いたりして、賑やかな森だった。
「ここはどこ? アリドラ国じゃないよね?」
私が質問すると、父上はこう答えた。
「そうだな……。あの国からは、多少、離れている……」
「それで美しい場所と言うのはどこじゃ? この森か?」
母上は辺りを見回しながら言う。隻眼の騎士や支団長さん、キックスとティーナさん、レッカさんも周囲に注意を向けながら、静かに私たち親子を見守る態勢に入った。
「いや、森ではなく……」
父上も周りを見回すと、森の奥に目を留めて、「確か、あそこだ……」と言いながら歩き出す。
私もそれを追ってご機嫌でぴょんぴょん飛び跳ねながら走っていたら、目の前に地面を這う太い木の根が現れた。ただの木の根でも、子ギツネの私にとっては十分な障害物だ。
しかし今の私は家族旅行でテンションが上がっていたので、いつもなら避けるところをジャンプして飛び越えようとした。
そして案の定、引っかかった。木の根の上にお腹で着地してしまい、四本の脚をバタバタ動かしても空を掻くばかりでどうしようもなくなったのだ。
「父上、母上、まってー! たすけてー!」
「この可愛らしい光景……。やはり来てよかった」
少し離れた背後から、嬉しそうな支団長さんの呟きが聞こえてくる。お尻やしっぽ、バタバタ動かしてる後ろ脚に熱い視線を感じる……。
一方、私は無事に父上に救出してもらい、再び森の中をてくてく歩く。しかし今度は蜘蛛の巣に顔面から突っ込んでしまい、きゅんきゅん情けない声を上げることになった。
こんな低い位置に蜘蛛の巣があると思わなかった。しかも光の加減でよく見えなかったし。
「かおに! くもの糸が!」
私は目をつぶったまま、前足で顔をこすりまくる。
「ミルフィリア、何をやっておるのじゃ」
「母上ー!」
寒いスノウレア山にはあんまり蜘蛛がいないから、私には『蜘蛛の巣に気をつける』という意識がなかった。だから油断しちゃった。
「蜘蛛の糸くらいで何じゃ。困った子じゃ」
母上はそう言いながらも私の顔を手で撫で、蜘蛛の糸を取ってくれようとした。しかし若干雑なので、何かまだ糸が残ってる気がする。ふわふわの頬毛の辺りに絶対まだついてる。
「きもちわるい」
気になって後ろ足で頬をいつまでも掻いていると、隻眼の騎士が小走りでこちらにやってきた。家族旅行の邪魔をしないよう無言で後ろからついてきてくれていたのに、私がドジなせいでさっそくお世話をしてもらうことになってしまった。
隻眼の騎士はハンカチを取り出すと、私が気になっていた頬の部分を的確に拭いてくれた。
「大丈夫か?」
「うん。きもちわるいの、なくなった。ありがとう」
お礼を言うと、隻眼の騎士は頷いて、また無言で支団長さんたちのところに戻っていく。
プロの仕事だ。隻眼の騎士は私のお世話をするプロだ。
「この短い距離を移動するだけで、二回もドジるミルってすごいな」
キックスが後ろで何か呟いている。しっかり聞こえているからな。
しかし父上もキックスと同じようなことを思って心配してくれたのか、すぐ近くに見えているらしい目的地に着くまで、私を抱っこして運んでくれた。
「……あれ? もくてきちって、ここ?」
父上が足を止めた場所を見回し、私は首を傾げる。そこは森の中の開けた場所だったが、ただの原っぱで、特別美しい場所ではなかったのだ。
父上も不思議そうに言う。
「……以前来た時は……、この辺り一帯に……可憐な青い花が……群生していたのだが」
「場所を間違えたのではないか? 青い花など、どこにも見当たらぬぞ」
「場所は……合っていると、思うが……」
困惑する父上に、背後からティーナさんが声をかけてくる。
「あの! 今は秋の終わりですから、花の季節は終わってしまったんじゃないかと思います!」
「花の季節……」
いつもは無表情な父上なのに、今、ちょっと目が泳いだ。動揺しているらしい。一年のうちで花が咲く季節は限られているってこと、思い出したみたい。
「花の季節……」
ショックだったのか、父上はもう一度繰り返した。
「父上、だいじょうぶ?」
私は父上を見上げて言ったが、それと同時に母上が後ろを振り返り、眉間に皺を寄せる。
「母上、どうしたの?」
今度は母上の方を見て言う。
「いや、ライザードの気配がしたと思ったのじゃが……」
「ライザード!? それってかみなりの精霊だよね?」
昔、スノウレア山に雷を落としにきた、ちょっと乱暴で怖そうな精霊。
私はそわそわと周囲に視線を巡らせたが、見える範囲にそれっぽい影はなかった。後ろにいる隻眼の騎士たちも、雷の精霊と聞いて辺りを見回している。
「ライザードがいるの?」
ビビりながら尋ねる私に、母上は少し考えてからこう答える。
「気のせいかもしれぬ。何故ならケンカっ早いライザードが近くにおれば、奴もわらわたちの気配を感じて、すぐに攻撃してくるはずじゃからの。ウォートラスト、お前はどうじゃ? 何か感じたか?」
「感じたような……感じないような……」
父上は花が咲いていなかったことがショックで、ライザードのことはどうでもよさそうに見えた。
母上は空を見上げて続ける。
「分厚い雲が空を覆って不安定な天気じゃ。雷が落ちてきてもおかしくないのう。自然現象の雷の気配を、ライザードの気配と間違えたようじゃ」
結局ライザードが姿を現すことはなかったので、天候が悪化する前にと、私たちはその場を離れることにした。
「次に行くのも……花が綺麗に咲いていた場所なのだが……」
父上は期待半分、不安半分といった表情で言い、みんなを巻き込んで移動術を使った。
いや父上、半分期待しても無理だと思うけど……。夏に満開だったなら今はもう咲いてないよ。
そしてその予想通り、次の目的地にも花は咲いていなかった。だだっ広い原っぱのような場所だったけど、あるのは草ばかり。
「……」
父上は何も言葉を発さなくなってしまった。落ち込んでいる様子だ。
「全く、どこが美しい景色じゃ」
「う、うつくしいよ! これはこれでうつくしいよ!」
母上が何の気遣いもない発言をしたので、私は慌ててフォローした。
「それにこれだけ広い原っぱなら、かけっこしたら楽しいよ」
父上に抱っこされていた私は、地面に降ろしてもらうとハフハフと駆け出した。
ほら、すごく楽しい!
「ふふふ、こんなこともあろうかと……」
と、そこでティーナさんが自分のリュックをごそごそと漁り、中からボールらしきものを取り出した。
「わぁ! ティーナさん、さすが! よういがいい!」
私は急いでティーナさんに駆け寄った。
ボールがあれば、この原っぱで私は最高の時間を過ごせる!
「ボールっ! ボールっ!」
「それ本当にボールか?」
私がボールコールをしていると、キックスは怪訝そうにティーナさんが持っている物体を見た。
ぬいぐるみを作る要領で作られたらしいそれは、白い布でできたシンプルなボールだった。中には綿がみっちり入っているみたい。
形はまん丸で、ティーナさん作にしてはよくできていると思う。変な色の布とか使ってないし。
「何かついてるぞ」
今度は支団長さんがボールを見て言う。するとティーナさんはにっこり笑ってボールをみんなに見せる。
「耳がついてるんです。実はこれ、ミルちゃんをモデルにしたボールなんですよ!」
ボールには三角の耳がついていて、目と鼻も刺繍されている。確かに私の顔のようだ。
「ティーナ、そのボールはとても可愛いが……」
「人の顔をボールにするのは……」
レッカさんと隻眼の騎士が言いづらそうに口を開く。
しかしティーナさんには聞こえていなかったらしく、「ミルちゃん、いくわよ!」とボールをぶん投げた。
ああ、私の顔がー!
私は私の生首を回収するべく走り出す。原っぱに転がしたまんまじゃ、私の顔が可哀想だもん。
「よかった。ミルちゃんも気に入ってくれたみたい」
「気に入ったのか、あれ」
キックスが呆れたように呟いた。




