闇と雪と光と水――つまりカオス(1)
「母上がかえってきちゃう!」
「え?」
私が叫ぶと、ルナベラも鬼ごっこをやめて顔をこわばらせた。予想よりずっと早く、母上は砦に戻ってきてしまった。
つむじ風の中の雪が人の形になっていき、風が止むと、そこには母上が立っていたのだ。
「は、母上……」
「ミルフィリア、いい子にしておったか?」
「は、早かったね……。シャロンのごえいはもういいの?」
私はルナベラからなるべく離れようと、じりじり動きながら言う。母上がルナベラの存在に気づきませんように。
母上は私を見てにっこり笑う。
「いや、一旦ミルフィリアの様子を見に帰ってきただけなのじゃ。やはりミルフィリアに留守番させるのは心配でな。なにせ、子供がいなくなる今回の事件には闇の精霊が関わっておる。もしも可愛いミルフィリアに闇の精霊が目をつけおったらと思うと――」
私を見てほほ笑んでいた母上は、そこで何かに気づいてハッと視線を私の斜め後ろに向けた。
ルナベラの方見ちゃったぁぁ……。
母上はルナベラを見つめ、目をすがめる。
「……ただの猫ではないな。精霊の気配がする」
母上の薄い青の瞳は、そこで氷のように冷たくなる。
私は慌てて母上のところに行き、足元をうろちょろしながら言う。
「は、母上、ちょっとまって」
「しかも闇の〝気〟を感じる。そなた、闇の精霊じゃな?」
言いながら、すでに母上の周りでは雪と風が巻き起こり始めていた。
母上はルナベラのことを敵と見なしてしまっている。
「母上、わたしのはなしを……」
「闇の精霊が何故ミルフィリアの側に――」
と、母上がルナベラに詰め寄ろうとしたところで、キックスがこちらに走ってきた。そして猫のルナベラを抱きかかえると、一目散に砦の中へ逃げて行く。
「はやっ!」
キックスって訓練中はだるそうに走ってるけど、本気で走るとあんなに速いのか。
って、感心している場合じゃない。キックスは何で逃げたんだ。ルナベラを母上から遠ざけようとしてくれたのかな。
「何じゃ?」
母上も一瞬ぽかんとする。吹雪も止んだ。
だけどすぐに眉を吊り上げて、大きな白銀のキツネに姿を変える。
「あの騎士め、闇の精霊をどこへ連れて行くつもりじゃ」
すでに砦の建物の中に入って姿の見えなくなったキックスを追って、キツネ姿の母上も駆けて行く。
「ミルフィリアはそこにおるのじゃぞ!」
そう言って母上は砦の中に入っていった。
「だ、大丈夫かな?」
無言で見守っている隻眼の騎士や支団長さんと一緒に、私はキックスたちが戻ってくるのを待った。
「待て! どこへ行きおった!」
時々、砦の廊下から母上の声が聞こえてくる。
「こっちですよ!」
なんて、鬼ごっこの鬼を呼ぶような感じで私の母上を呼ぶキックスの声も。
ルナベラを抱いたキックスと母上は、どたばたと砦の中を走り回ると、やがて外に出てきた。
キックスも、それを追って出てきた母上もはぁはぁと息を切らせている。
「一体、何なのじゃ……」
母上を疲れさせるキックスってすごいな。
キックスは私の方に寄ってきて、息も絶え絶えに言う。
「キツネの姿で走られると、さすがに速いわ……。はぁ、疲れた……。でも、あっちも疲れてる。ミル、今のうちに話を聞いてもらえ」
「あ、そういうことか」
キックスは母上を疲れさせ、私が説明する隙を作ることが目的だったみたい。
「暑い……」
母上はそう呟きながら地面に座り込んだが、夏の日差しを浴びた地面も熱かったらしく、イライラした様子で再び吹雪を巻き起こした。今回の吹雪はただ自分の周りの気温を下げるために起こしたようだけど、軽率に吹雪を発生させると死人が出ちゃうよ。私は涼しくなって嬉しいけどさ。
「母上、ここにはクガルグも、とりでのみんなもいるから」
びゅうびゅう吹き荒ぶ風の中、私は母上に言う。後ろを振り返れば、クガルグはティーナさんに抱っこされていて、ルナベラもキックスに抱き上げられたままだった。
そして二人の精霊の周りには他の砦の騎士たちも集まって、雪を遮る盾になっている。
ルナベラは自分を庇ってくれるみんなに感激しているようだった。
「み、皆さん……!」
「俺たち、雪には慣れっこなんで大丈夫ですよ」
雪まみれになりながらキラリと歯を光らせて、騎士たちは爽やかな顔をする。ルナベラにいいところを見せたいみたい。ベールで目は見えないけど、ルナベラって人型の時は美人だもんね。
「仕方がない。わらわは暑いのじゃが」
母上は私のおでこをひと舐めすると、吹雪を止めた。
「ありがと、母上」
私も母上の鼻を舐め返し、改めてルナベラは悪い精霊ではないと説明しようとした。ルナベラも自分で事情を話そうとしているのか、キックスに地面へ降ろしてもらい、こちらにやって来る。
――しかし、そこへ新たな邪魔が入る。
ルナベラの隣の空間が一瞬眩しく光ったのだ。
「なに?」
私は目をつぶり、光が収まったところでまぶたを開けた。
するとそこにいたのはサンナルシスと――何故か父上もいた。
「父上っ!」
しかも父上は、サンナルシスの胸ぐらを掴んで睨みつけているところだった。
えぇー!? ……どういう状況?
「あ、おい! ミルフィリア! この精霊と知り合いか!?」
サンナルシスは父上に胸ぐらを掴まれたまま、焦った様子で私を見る。
「こいつ、何なのだ!? この私にいきなりケンカを売ってきて訳が分からん! 『ミルフィリアはどこだ』と言っていたぞ! お前の知り合いだろう」
光の精霊は最強だと自称していたサンナルシスだけど、今は父上の妙な迫力にちょっと怯んでいる。
父上は無言で凄んでいるし、意味が分からなくて怖いのだろう。私も意味が分からない。
「もちろん知りあいだけど……どうして父上が」
「ウォートラストではないか。だが、そやつは誰じゃ? 太陽の光に似た、少々うっとうしい〝気〟を感じるが……」
母上はキツネ姿でだらりと座ったまま言う。
そして父上も私たちの存在に気づき、サンナルシスの胸ぐらをやっと離した。
「ミルフィリア……」
と言うか、ちょっと待って。私の位置からだと父上の背中が見にくくて気づかなかったけど、父上、すごく大きな籠を背負ってる。
しかもその籠にはたくさんの赤い果実が詰まっていた。きっと私のために集めてくれた苺だ。
でも、あんなにいっぱい……。
予想以上に苺を採って来てくれた父上は、籠を背負ったまま嬉しそうに私のところへやって来る。
「……ミルフィリア、ちょうど……よかった。世界中を回って……苺を……集め終わったところだ」
「ありがとう、父上。でもなんでサンナルシスを……」
私たちがそんな会話をしている一方で、サンナルシスは「何なんだ、あいつは」とブツブツ言いながら乱れた襟元を直していた。
そしてそんなサンナルシスにルナベラが声をかける。
「サンナルシス、何があったのですか?」
「ルナベラ。いや、あの精霊がいきなり現れて、ミルフィリアの名前を出しながら訳が分からないことを言うから、とりあえず移動術でここまで飛んできたのだ」
そこまで話したところで、サンナルシスは猫のルナベラを見下ろしながら片眉を上げた。
「ルナベラ、毛皮に何かついているぞ。雪か? 雪がどうしてこんなに……。まつげも白く凍ってしまっている」




