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北の砦にて 新しい季節 ~転生して、もふもふ子ギツネな雪の精霊になりました~  作者: 三国司
第一部・はじめてのおるすばん

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氷の支団長

 午前の見回りを終えて砦に戻ってきたグレイルは、雪で湿った外套と手袋を脱ぎながら、早足で宿舎の廊下を進んでいた。

 自室にあったナイフや予備の剣などは他の場所へと移しておいたが、ミルが怪我なく留守番しているのか気が気でならない。あの子ギツネは、まだ室内で生活する事に慣れていないのだ。人見知りだからと考え一人で残したが、やはり非番の者にでも世話をさせるべきだっただろうか。

 ミルの元へと急ぎながら、部屋の中に危ない物を残していなかったか頭の中でもう一度確認する。元々余計な家具や荷物は置いていなかったし、ミルが歩き回る床の上は掃除もした。柔らかな肉球に傷がついては大変だと、古い床板のささくれ一つ見逃してはいないはずだ。

 自室の扉が見えると、グレイルは歩きながらポケットから鍵を出し、慣れた手つきで鍵穴にさした。気は急いていたが、中ではミルが大人しく眠っているかもしれないので、扉はそっと押し開ける。


「ミル?」


 最初に自然と目がいったのは、床に置いてある籠に毛布を敷いただけの子ギツネのベッドだった。しかしそこはもぬけの殻だったので視線を上にあげ、部屋を見渡そうとしたところで、グレイルは思わず動きを止めた。

 目に映るのは一つの色。

 黒、黒、黒だ。


 ……何だこれは。

 部屋の奥にある文机。そしてその上で倒れている空のインク壷。中身は書きかけだった書類や机を真っ黒に染め上げている。さらに机上から滴るインクは床や椅子をも汚し、グレイルの部屋の一角を悲惨な状態にしていた。

 一体自分の部屋で何が起こったのか、泥棒などの可能性も考えて顔を険しくしたグレイルだったが、しかし、そこかしこに残る犯人の小さな黒い足跡に気づくのに時間はかからなかった。


 グレイルはため息をつきながら小さく笑った。何事かと思ったが、犯人の正体が分かると気が抜ける。書類制作の資料にしようと机の上に置いてあったはずの本が、肉球の足跡付きで何故か床の上にきっちりと並べられているのもミルの仕業なのだろうか。一体何がしたかったのだろう。


「ミル?」


 グレイルは改めて自室を見渡した。この殺風景な部屋の中で、隠れられる場所などほとんどない。第一、黒い足跡が犯人の隠れ場所を分かりやすく教えてくれているのだ。グレイルは迷いなく、自分のベッドの下を覗いた。


「……」


 白い子ギツネは、やはりそこにいた。

 ベッドの下の、一番奥の、一番端の、暗がりに。


「ミル」


 グレイルが呼ぶと、子ギツネは耳だけをビクッとこちらに向けて反応した。ちゃんとグレイルに気づいている。けれど、決して目を合わせようとはしない。

 罪悪感丸出しの顔をしつつも、インクで汚れているであろう前足を自分の体の下にぎゅっと押し込んで伏せているのだ。それで証拠を隠しているつもりなのか。


 しばらく無言でベッドの下を覗いていると、ミルは顔を下に向けたまま恐る恐るといった様子で上目遣いにこちらを見たが、目が合うとさっと視線を逸らされた。ひどく追いつめられた顔つきで、あらぬ方向を向く。

 たとえ汚れた足を隠しても、ベッドの下に籠ったり、グレイルと目を合わさなかったりというその態度こそが、ミルが犯人である何よりの証拠になるのだが。

 というか、顔に出てる。全部。

 無実ならば、そんな悲壮感に満ちた表情にはならない。

 ミルが『この世の終わり』みたいなオーラを漂わせ始めたので、グレイルは耐えきれずに緩く笑った。


「大丈夫だ、怒ってない」


 なるべく優しく声をかけると、ベッド下の暗がりの中で、ミルの瞳に一瞬希望の光が戻った。今の言葉を確認するようにビクビクしながら顔をあげてこちらを見つめてくる。


「俺がインクの蓋をしっかり締めていなかったのが悪かったんだ」


 インクの蓋が固く締まっていたとしたら、たとえ子ギツネが悪戯で開けようと思っても無理だったはず。あの不器用な前足では。

 ミルには登れないだろうと油断して、机の上の物はきちんと確認していなかった。


「だからほら、そろそろ出て来い」


 グレイルは頭をベッドの下に突っ込んで、長い腕を伸ばした。まだ両前足を隠し続けるミルの首根っこを掴み、ずるずると引きずり出す。ミルは自分から進んで出てくる事もなかったが、されるがままで抵抗もしなかった。

 

「ああ、本当に真っ黒だな。しかも4本とも」


 晒された足を見て、また笑ってしまう。部屋を汚されても、これっぽっちも怒りや呆れといった感情が湧いてこないのは何故だろう。

 自分の失敗に落ち込んでいるようにも見えたので、申し訳なさそうな、妙に人間らしい顔をしているミルの頭を励ますように撫でる。

 

「怪我は無さそうだし、さっさとインクを落とすか」


 優しくそう言うと、今まで無言で暗い顔をしていたミルが急に「きゅんきゅん」と鳴きながら、立ち上がったグレイルの足に縋り付いてきた。翻訳するなら、『わーん、ごめんなさいぃぃ!』というところだろうか。安心した途端、せきを切ったように泣き出す子どものようだ。

 許しを請うように鳴きつつ、後ろ足で必死に跳ねながら、前足でカリカリとグレイルのズボンを掻く。その行為が非常に可愛らしく、途中で止めるのが惜しかったので、グレイルは迷わず己のズボンを犠牲にした。ミルの前足についたインクは、まだ乾いていなかったのだ。



 ***



 あぁ……申し訳ない。

 本当、申し訳ない。

 

 怒鳴られ、叱られ、砦を追い出される事すら覚悟していた私だったが、しかし隻眼の騎士はずっと優しい人だった。部屋をインクまみれにしたにも関わらず、自分がインクの蓋をしっかり締めていなかったのが悪いからと、私の事を全く叱らなかったのだ。

 さっきも謝ろうとして隻眼の騎士のズボンを汚し、さらに被害を広げたというのに、そんな事気にしていないかのように穏やかにほほ笑んでいた。なんて器が大きいんだ!

 

 おまけに今は「なかなか落ちないな」と言いながら、私の足の汚れを一生懸命落としてくれている。あぐらをかいて部屋の床に座っている隻眼の騎士に仰向けに抱えられ、濡れた布で1本1本足を拭われている状況だ。最初にぬるま湯の入ったバケツに足を浸して洗ってもらい大方のインクは落ちたものの、まだ足先は灰色のままだったから。

 

 今は敏感なお腹に手を回されて支えられても、布で肉球をゴシゴシされても文句など言えない。そんな権利は私には一切無いからだ。迷惑ばかりかけてすみませんと猛省し、隻眼の騎士に感謝を捧げる事だけが、今の私に許された唯一の権利なのである。

 ありがとう、ごめんなさい。そう伝えたくて、私の足を拭いてくれている隻眼の騎士の手をぺろぺろとしつこく舐めていたら、「わかったわかった」と、さらりと制された。残念。

 

 4本の足は結局うっすらと灰色のままだったが、隻眼の騎士は「外で雪の中を駆け回っていれば、その内落ちるだろう」と言っていた。そうだといいけど。でなければ私が失態を犯した証拠が永遠に残ってしまう。


 その後、隻眼の騎士は部屋の掃除にとりかかった。本は彼の私物らしく、汚れも少ないし十分読めるから問題ないそうだ。よかったです。でも、すみません。

 床や椅子の汚れは完全には落ちなかったが、そのまま使うという。すみません。

 元々古いものだった机は、大きく広がったインクが中の方まで染み込んでしまっていたので、捨ててしまうらしい。「そろそろ新しいものに替えようと思っていたから良い機会だ」なんて言ってくれたけど、すみません……。

 そして大事そうな書類は、問答無用で廃棄処分。すみません!


「書類は俺が書き直せばいいだけだからな」


 隻眼の騎士が優し過ぎて胸が痛い。

 彼が掃除をしている間、しかしキツネな私は手伝う事も出来ずに、その背後でじっと大人しく佇んでいた。お座りして、静かに、邪魔にならぬよう、沈痛な面持ちで作業を見つめる。


「……」


 目の前で自分のドジの後始末をしてくれているのに、私は何も出来ないというこの居たたまれなさよ。

 しかし隻眼の騎士は役立たずな私に気分を害する様子もなく、それどころか時折こちらを振り返ると、口の端を上げてフッと笑うのだ。

 なぜだ。

 



 私の足を洗い、部屋の掃除を終えると、隻眼の騎士は汚れた水の入ったバケツに布を突っ込み、軽く首を回した。つ、疲れたのかな? 私が余計な仕事増やしたから……。

 隻眼の騎士の一挙一動に、自意識過剰ぎみの反応をせずにはいられない。


「さて、ちょうど昼の休憩時間も終わる頃だな」

「……!」


 ご、ごめん、ごめんなさい。貴重な休憩時間を掃除に費やさせてごめんなさいぃ! 私はわたわたと意味なく隻眼の騎士の周りを回った。

 けれど隻眼の騎士は休憩時間が潰れた事なんて、本当にちっとも気にしていないようだった。バケツを持つと、優しく私を見下ろし、冗談ぽくこう言った。


「これから支団長のところへ挨拶に行くぞ。この砦で一番偉い人だから、噛みついたりするなよ」


 ……ん? 支団長さん?

 




 バケツを片付けた後で、隻眼の騎士と二人『支団長さん』なる人物の元へ向かう。頑張って階段を登って上階に着くと、しんと静まり返った廊下を進んだ。何だかここら辺は空気が違うな。がやがやと騒がしい食堂やリラックスできる宿舎とは正反対で、緊張感がある。背筋を伸ばしながら、私は隻眼の騎士の後にぴったりとくっついて歩いた。


 支“団長”というからには、“副”長である隻眼の騎士より偉いんだろうなぁ。さっき、「この砦で一番偉い人」とも言ってたし。

 その人に今から会うのかと思うと、緊張で歩き方がぎこちなくなってしまう。足が4本もあると、どれから出して進むんだったかと若干混乱したり……。

 けど、支団長さんの許可が出ないと、私ここに置いてもらえないのかな。

 隻眼の騎士の上司というからには、彼より年上で、彼より強くて屈強なんだろう。

 私の頭の中に、クマのように大きな逞しいおじさんが現れた。環境の厳しいこの砦の長なのだ。そのくらいの人物でなければ務まらないだろうと思って。


 支団長さんの執務室だろうか、大きく重厚な木の扉の前で立ち止まると、隻眼の騎士は気負った様子もなくその扉をノックした。ちょ、ちょっとまだ心の準備が……! 前髪を直そうとして、今世では髪なんぞないことに気づく。

 そんな事をしているうちに中から返事があり、隻眼の騎士が扉を開けてしまった。

 

 権力を持ったクマと対峙すべく、覚悟を決めて広い部屋の中に入る。隻眼の騎士の足に隠れながらだが。

 室内に入って違和感を覚えたのは、匂いだった。燃えている暖炉の匂いが強くするのはわかるが、石けんのような清潔感ある香りも混じっているのだ。この男だらけの砦の中でそんな香りをまとっているのは、ティーナさんくらいのはず。何だこの爽やかな香りは。

 部屋にはこれといった特徴はなく、壁際に本棚と書類棚、中央には高級そうな低いテーブルとそれに合う黒いソファー、窓際には執務机があった。あと、床には絨毯が敷かれていて肉球に優しい。

 

「お疲れさまです、支団長」


 隻眼の騎士が、扉の近くで立ったまま挨拶をした。私に話しかける時より少し低めの、丁寧で落ち着いた声だ。その声につられて、私も机の方へ目を向ける。しかしティーカップから立つ湯気の奥にいた人物を見た瞬間、私の頭の中のクマ親父はパーン!と弾けて消えた。支団長さんは、私の想像の真逆をいっていたのだ。


 机に座っていたのは、癖のない黒髪を肩の辺りまで伸ばした美男子だった。小さな顔の中に、切れ長の目と涼しげな眉、形のいい鼻と唇が完璧な配置で収まっている。母上の息を呑むような美しさには敵わないが、中性的な雰囲気を持った綺麗な男の人。

 そして思っていたより年が若い。隻眼の騎士より少し年下だろうか。

 砦の厳つい騎士たちと比べると線が細く、彼らよりずっと上品にみえる。しかし体も鍛えてそうだし、なよなよした感じはなく、女性に見紛うほどでもない。

 仕事に厳しく、少し冷酷そうな上司、という印象。


「今朝も少しお話しした子ギツネの件ですが、砦で保護する許可を頂けますか? 一応“本人”も連れてきたので」

「……何?」


 隻眼の騎士の話に、支団長さんが片眉をつり上げた。私が来たこと、あまり快く思ってないみたい。

 支団長さんはゆっくりと、隻眼の騎士の足下に隠れていた私に視線を向けた。漆黒の冷えた瞳に射抜かれ、緊張で心臓がバクバクし始める。


 しかし私は、実は結構自分の容姿に自信があるのだ。正直に告白するが、自分で自分の事ちょっと可愛いと思っている。


 ……はい、ごめんなさい。

 

 でもだって! 白くてふわふわの子ギツネを見て「うわぁ不細工」とか、「生理的にムリ」などという感想を抱く人はいないだろう! 

 だから支団長さんが冷たそうな人だろうが、こんな幼気な子ギツネに対して「保護はしない。外へ放り出せ」なんて言うはずがないと思ったのだ。


 私は可哀想な子ギツネです。母上が王都に行ってしまって、他に行く所がありません。不注意でインクをぶちまけたりしますが(心の傷)、基本はいい子です。まっさらな雪を見ると興奮して我を忘れがちですが、基本はいい子なんです。どうかここに居させてください。


 そんな事を思いながら、懇願するように支団長さんを見つめる。

 と、彼は私と目が合った瞬間、ほんの一瞬だけ目を見開いた。それも大げさにではなく、極僅かに。その瞳には冷たいだけではない何かの感情が宿っていたが、具体的に何なのかは読み取れない。

 が、その後の反応の方が私にとっては問題だった。

 支団長さんは目を見開いた後、眉間にぎゅっと皺を寄せて歯を食いしばり、苦虫を噛み潰したかのような顔をしたのだ。


 え? に、睨まれた……? 生理的にムリな顔だった、私?


 けれどその表情も一瞬で、支団長さんはすぐにまた冷静な顔を作ると、何事もなかったかのように——まるで私という生き物など目にしなかったかのように——隻眼の騎士に向き直った。


「ソレが?」


 氷のように冷えきった声音。『ソレ』とは私を指しているのだろうが、目はこちらには向いていない。

 どうしよう、私、速攻で嫌われたのかもしれない。不安になって隻眼の騎士を見上げるも、彼の様子はいつもと変わらず……。


「ええ、可愛いでしょう」


 口角を僅かに上げて静かに言った。この氷の支団長さんを前に、どうしてそんなに余裕なの。

 支団長さんはその言葉をさらっと無視して、淡々と話す。


「……動物と接する事は悪い事だとは思わない。“ソレ”はきっと、厳しいここでの生活と任務に疲れた部下たちの心を癒すだろうからな。だがしかし、もしソレの存在によって部下たちの気が緩み、砦での仕事や日々の任務に支障が出るようなら、また考えを改めなければならない。以上が私の意見だ」


 事務的な話し方だったけど、私の存在を頭ごなしに否定される事はなかった。むしろごく普通の、冷静な意見だ。さっき彼が私を見た時の反応から、「保護などしない! 獣なんぞ放り出せ!」くらいは言われるかと思ったのに。

 それに今の発言から、自分の部下である砦の騎士たちの事もちゃんと考えているのが分かる。意外といい人なのかな。


「では、保護する許可は頂けると?」

「その子ギツネの事に関しては、グレイルが責任を持つのならばな。私は関わらないぞ」

「構いません。ありがとうございます」


 どうやら無事に許可が貰えたようだ。支団長さんは私の事はあまり好きではないようだが、私は支団長さんの事はそれほど嫌いじゃない。この砦の責任者として、公平な判断が出来る人のような気がした。


「では、失礼します」

「……ああ」


 部屋を出ていく隻眼の騎士を追って、私も廊下へ出た。目が合ってまた睨まれると怖いので、後ろは決して振り返らない。


 許可を貰えたのはよかったけど、私は自分についての認識を改めなければならないようだ。小さくて無力な子ギツネを嫌う人なんていないでしょ? なんて、自信過剰もいいとこ。

 動物を嫌いな人だっているし、全く興味のない人もいる。隻眼の騎士は優しいし、ティーナさんは私に「可愛い」を連発してくれるし、他の騎士さんたちにも嫌な顔をされた事はなかったから、ちょっと調子に乗ってしまっていた。反省。

「私って癒し系かも……」なんて思っていた自分が恥ずかしい。超恥ずかしい。すごい殴りたい。何が癒し系だ、この毛玉がっ!


 そうだよ、私なんてただの毛玉生物なんだよ。前世の知識があるけどそれを生かせているわけでもないし、精霊だけどまだ特別な力を使えるわけでもない。自分でお金を稼ぐことも出来なければ、狩りも出来ないし、誰かを守れる力もないし、喋れないし、インクはこぼすし(心の傷)……。


 あれ? 私って割とどうしようもないな。


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