深い森の中
「どこへ行くの?」
「警戒しなくていい。これから私の娘と息子にしようというお前たちを、悪いようにはしない」
「だからサンナルシスの子どもにはならないってば」
私がそう言っても、サンナルシスは話を聞かずにどんどん森の中を進んでいく。
「仕方がない、ついて行くか。ここに置いて行かれても困るしな」
隻眼の騎士はクガルグのことも抱っこして、サンナルシスについて行く。そして歩きながら小声で私に尋ねてきた。
「ミル、ここからでもスノウレアのところには帰れそうか?」
「うーん……」
目をつぶって母上の気配を探ってみる。
かなり遠いところにいる感じがする。でもかすかに存在を感じることはできる。一度で成功はしないかもしれないけど、何度か移動術を試せば母上のところまで飛べるんじゃないだろうか。
「たぶん、かえれる」
「クガルグはどうだ? ヒルグのところへ戻れそうか?」
「んー、たぶん」
「サンナルシスがどこに向かっているのかは分からないが、もしもここで何か危険が迫ったら、ミルとクガルグはすぐにスノウレアとヒルグのところへ帰るんだ。分かったな?」
「でも、それじゃせきがんのきしは?」
「俺のことは気にしなくていい。自分で何とかする」
隻眼の騎士はそう言ったけど、もし移動術を使わなくてはならない場面が来たら、私は隻眼の騎士も一緒に連れて行く。だっていくら隻眼の騎士が鉄人でも、こんなどこの国かも分からない、サンナルシスしかいない森に置いていけないよ。
人間を連れて移動術を使えるのかどうかは、今まで分からなかったけど、サンナルシスは隻眼の騎士を連れて移動していたし、可能なのだろう。
それにサンナルシスはきっと人間の子供を連れ去ったり家に帰したりする時にも、子供を連れて移動術を使っていたに違いないから。
「何をこそこそ話している」
前を歩いていたサンナルシスが振り返って言う。
隻眼の騎士は「いえ、何でも」と答えた後、すぐに話題を変えた。
「しかし本当にあなたが……光の精霊がジーラントにいたとは思いませんでした。そういう噂は聞いていた、と言うかジーラント王が自ら喧伝していたのは知っていたのですが、我々アリドラ国の人間は、それは他国を威圧するための嘘だろうと思っていたので」
サンナルシスは「フン」と鼻を鳴らしてから答える。
「実はジーラント王からは、他国との会談の場に一緒に来てほしいと頼まれたこともあるのだが、私は別に行きたくなかったから断ったこともある。だが、他国の人間に私を見せびらかしたかったのなら、行ってやってもよかったな。人間たちが高貴で美しい私を見て、驚きと感嘆の声を上げるのを見るのは嫌いじゃない」
サンナルシスはみんなに見られるのが好きらしい。本当にナルシストだ。
隻眼の騎士はさらに質問する。
「けれどそもそも何故ジーラントを住処に選んだのですか? 優雅な生活がお好みなら、他の国の城でもよかったのでは? 精霊であるあなたが訪れれば、どの国の王族も喜んであなたのために城を貸すでしょう」
「まぁ、それはそうだろうな。実際、私がジーラントに来たのは最近――ほんの十年ほど前のことで、それ以前は別の国の城にいたのだ。だが、その国の王族は昔は金持ちだったのだが、近年はそれほどでもなくなってな。あまり優雅な暮らしができなくなってきたから、他の国へ移ろうと思った」
サンナルシスは歩き方も綺麗で、彼が足を動かすたびにマントがひらひらと美しく揺れる。
「ねぇ、おろして」
私は隻眼の騎士にそう頼んで、クガルグと一緒に地面に降ろしてもらう。少し湿ったふかふかの土が肉球に触れた。
一方、サンナルシスは前を向いて話し続けていた。
「次の住処としてジーラントを選んだことに深い意味はない。世界中を探せばジーラントより金を持っていて住みやすい国はいくつもあるだろうが、今は世界を巡る気分でもないからな。他の精霊もいないし、まぁここでいいかとジーラントで落ち着くことにしたのだ。だが、ジーラントの気候は気に入っている。暑過ぎず、寒過ぎないし、雨が少なく晴れの日が多いところがいい。それにジーラント王は私によく物を貢いできて、気前がいいのだ。私は美しいものが好きだから、衣服も装飾品も調度品も美しいものに囲まれて暮らしたいが、ジーラント王は私の望むものを揃えようとしてくれる」
私はひらひら揺れるサンナルシスのマントをじっと見つめながら、小走りで後をついていく。
「あとは、私の言うことをよく聞くところや、基本的には歯向かわないところは気に入っている」
つまり、自分の言いなりになってくれるお金持ちが好きなのか。そんな人……確かに最高だけど。
いや、でもやっぱり私はジーラント王とは一緒のお城に住めないな。どんなにお金持ちの権力者でも、私の望みを叶えてくれても、それだけでは好きにはなれないから。
そんなことを考えつつ、私の視線はずっとサンナルシスの揺れるマントに釘付けだった。
クガルグもさっきからサンナルシスのマントを狙っている。なので私はクガルグに後れを取らないように走り出し、金色のマントに飛びついた。
「……なんだっ?」
しかしサンナルシスがびっくりして振り返ったので、その勢いでマントも離れていく。だから私はとっさにマントの端に噛みついた。隣ではクガルグもマントに飛びかかっていて、上手に爪を立てて上に登っていく。
「何なんだ、お前たち。私のマントに何をしている」
サンナルシスは首を捻って後ろを覗き込もうとしていた。そしてサンナルシスの背中辺りに爪を立ててへばりついているクガルグと、足元でマントの裾に噛みついている私を見て怒り出す。
「おい、やめろ。噛むんじゃない、爪を立てるな」
サンナルシスは私たちを捕まえようと手を伸ばすが、背中側にいる私たちに届かずにその場でぐるぐる回っている。遠心力で私の足は地面から離れて少し浮いていたので、何かこういう遊具みたいで楽しい。
けれどサンナルシスは、私たちをマントから離すことを早々に諦めて動きを止めた。
「子供の相手をするのは疲れるんだな」
すると隻眼の騎士は軽く笑ってこう言う。
「いたずらをしても、可愛いから許してしまうのです」
「可愛い、か……」
サンナルシスは呟くと、マントを離して地面にお座りしている私を見た。あごが疲れた。
「まぁ、思ったよりは可愛いかもしれないな。私は元々、別に子供好きではないが――」
ほら、やっぱり子供好きじゃないんじゃん。だったらどうして人間の子供や私たちを連れ去ってまで自分の子供にしようとするの?
サンナルシスは私のことを抱き上げ、前足を触りながら続ける。ちなみにクガルグはサンナルシスの肩に登頂成功していた。
「――小さな足や、幼い顔つきは可愛らしいものだ。ミルフィリアならばこの豊かな毛皮も良い。ふさふさの毛というのは豪華だ。それに私はこの肉球も嫌いではない。自分にはないものだからな、ずっと触っていたくなる」
サンナルシスは真面目な顔で言いながら私の肉球を揉み続けている。
「なんか、くすぐったい」
私が少し笑って前足を引っ込めようとすると、
「こちらはもっとくすぐったいだろう」
サンナルシスは今度は私のお腹を掻くようにしてくすぐり始めた。
「あはは! やめて」
私は身をよじって大笑いする。しっぽは勝手にパタパタ動いていた。
するとサンナルシスも私につられて笑みを漏らした。偉そうな笑い方じゃない、自然な笑みだ。
サンナルシスもそんなふうに素敵な表情ができるんだ。今の感じなら良い父親にもなれそうだけど。
すると私と同じくサンナルシスの表情を見ていた隻眼の騎士は、そこで改めて尋ねた。
「一体、あなたの目的は何なのですか? どうして他人の子を自分の子にしようとするのです?」
彼が子供を求める本当の目的は何なのか、私も疑問だ。
サンナルシスは偉そうでナルシストだけど、性格がすごく悪いわけじゃない。子供を連れ去っていたのも、悪事を企んでのことではないだろうと思う。
サンナルシスが子供を攫わないでいられるよう、私にできることが何かあるかな?
「サンナルシス、わけを話して」
私がじっと見つめると、サンナルシスはわずかに眉を下げた。ちょっと弱気な顔をしていて、こんな表情も初めて見た。
そしてサンナルシスが何か言いかけたところで、森の奥から一匹の獣が姿を現した。
(いや、獣と言うか……猫?)
草を掻き分けこちらにやって来たのは、やはり猫だった。
普通の家猫より少し大きく、長毛で、ノルウェージャンフォレストキャットとか言う猫にシルエットは似ている。
だけど毛の色は変わっていて、深い紫色だ。目は中心部分が黒く、周りは明るい紫で、とても魅惑的で綺麗だった。
「ミルに負けず劣らずもふもふだな」
隻眼の騎士がそんな感想を呟く。
山猫ならともかく、こんな長毛の猫が森にいるなんて変だ。だって長い毛に草や枝が絡まっちゃうから、植物に囲まれた環境では生活しにくいはず。私も北の砦で夏に庭を駆け回っていると、毛に草やら花粉やら虫やら、色々なものがくっついてくるもん。
だけどこの猫が美しい毛皮を保てているのは、普通の猫ではないからなのだろう。
(精霊の〝気〟を感じる……)
夜の闇のような瞳でじっとこちらを見つめてくる猫を見つめ返しながら、私はごくりとつばを飲んだ。




