神殿へ(2)
隻眼の騎士が仕事をしている間、クガルグと二人で遊んで待っていた私だが、正午が近づいてくる頃には、さすがに室内遊びにも飽きてきた。
「せきがんのきしー、外いきたいー」
「ん? ああ、もうこんな時間か」
私が声をかけると、隻眼の騎士は机の上に置いていた懐中時計を確認して書類やペンを片付け始める。
そして私を抱き上げてほほ笑んだ。
「いい子で遊んでいたな。おかげで仕事が捗った。偉いぞ、いい子だ」
「えへへ」
舌を出しながら笑う私。でも実は、静かに遊んでいると見せかけて後半ほとんど寝てたんだよね。
だってクガルグが大きなあくびをして、気持ちよさそうに眠り始めるからさ。私も眠くなっちゃって。
「そろそろお腹が空いたか? 食堂へ行こうか」
「ううん。朝にパンもらったし、ジャーキーもたべたし、そんなにすいてない。それよりも外に行きたい!」
暑いけど、外の空気を吸いたい気分だった。
「そうか。じゃあクガルグと三人で外に行くか」
「あ! ねぇ、村のじゅぎょうを見に行こうよ」
私はしっぽを振って提案する。授業を聞いていると勉強になるし、結構楽しいのだ。私はいつも広場の後方の茂みに隠れてるから、隻眼の騎士はそこに隠れられるか微妙ではあるけれど……。
屈強な騎士が茂みに隠れてるのに気づいたら、先生は腰を抜かしちゃうかな。
「村か……。分かった。ミルはいい子で待っていてくれたしな。それに一度その〝先生〟にも挨拶しておきたい」
「せんせーは〝ぶんかけい〟だから、そっと声をかけてあげてね」
「ブンカケイ?」
文化系の先生は体育会系の隻眼の騎士を怖がりそうだなと思って、先に注意しておいたのだった。
そうして私と隻眼の騎士とクガルグは、砦を出て近くの村へ向かう。
「コルビ村まで行ってくるが、すぐに戻る」
隻眼の騎士は砦を出る時に、門番をしていた門番のアニキにそう伝えた。あの村の名前、コルビ村って言うのか。
クガルグは村に着くまで、寄り添うように私の隣を歩いていた。どうやら、暑さに弱い私をクガルグの影に入れるようにしてくれているみたい。
でもクガルグは私と同じくらいの大きさだから影も小さくて、日陰になっているのが脚くらいなんだけど。
有り難いし、こんなこと言うの申し訳ないんだけど、クガルグが寄り添ってくる分、余計に暑いんだけど。
するとクガルグの行動の意図と私が暑がっていることに気づいた隻眼の騎士が、位置を移動して、私とクガルグのことを自分の影に入れながら歩いてくれたのだった。ありがとう。
そしてコルビ村へ着くと、今度は私が隻眼の騎士より前に出て、先生がいつも授業をしている広場へ案内した。
とは言え隻眼の騎士も見回りや雪かきの手伝いでよく村に来ているはずなので、広場の場所も知っているようだけど。
しかし広場に着くと、もう授業は終わった後だった。子供たちは帰ってしまっていて、先生が一人残っていたのだ。
しかも先生は私がいつも隠れている茂みの前でしゃがみ、優しい声で何やら言っている。
「ミルちゃーん、いるかいー? 出ておいでー。子供たちはもう帰ったよー。ミルちゃーん」
私は先生の背後にとっとこ近づいて行って声をかける。
「せんせー。私、ここ」
「はっ! ミルちゃん!」
先生はこちらを見て立ち上がり、ずれた眼鏡を直した。
「今日は授業を見ていなかったんだね。でも会えて嬉しいよ」
先生は頬を染めて喜んでいた。私が授業を見学しに来るのは気まぐれなんだけど、先生は一応毎回茂みに向かって声をかけているのだろうか。
「だ、抱っこしてもいいかな……? 嫌かな?」
先生が私に恐る恐るそう言ったところで、隻眼の騎士が挨拶するため前に出た。
「こんにちは」
「わっ! こ、こんにちは。砦の副長さんもいらしたんですね……!」
先生は隻眼の騎士を知っているようだったけど、鋭い雰囲気の隻眼の騎士にやっぱりちょっと委縮している。
そして先生はクガルグにも気づくと、しっぽの先に灯っている炎を見て、みるみる目をまん丸にした。
「え? ええ!? そ、そそそ、その子、ほの、ほ、炎の、ほ……」
「落ち着いてください」
隻眼の騎士が冷静に言って、クガルグのことを炎の精霊の子だと紹介する。
先生はパァァと顔を輝かせて興奮していた。
「や、やっぱりそうなんですね! 炎の精霊もこの国にいることは知っていました! でも子供もいたなんて! 何て可愛い! ミルちゃんと並ぶともっと可愛い!」
可愛いと言われてクガルグは不満そうだ。一方、先生ははぁはぁと息を乱して鼻を押さえ始める。
……え? 鼻血?
先生も支団長さんと同じで鼻が弱いの?
ハンカチを出して鼻に当て始めた先生を可哀想に思いながら、「きゅん」と鳴いて先生の靴の上に前足をちょこんと乗せる。
大丈夫?
「ぐっ……」
「!? せんせー!」
「やめなさい、ミル」
隻眼の騎士は私を抱き上げ、強く鼻を押さえる先生から引き離す。
「もう行こう。触っては逆効果だ。そっとしておいてあげた方がいい」
支団長さんで慣れているのか、隻眼の騎士は落ち着いた様子で先生に「それでは」と挨拶して広場を出て行く。
「ま、また来てねー!」
鼻を押さえてない方の手でこちらに手を振る先生に、私も前足を振り返す。クガルグは不審者を見る目で先生を見ていた。
「授業は終わってしまったようだし、砦に帰るか」
「うん。……あ! ほかにも行きたいところがあるの」
この村に神殿があることを思い出し、そこに行ってみたいと隻眼の騎士に伝える。
「神殿か。確かにあるが、よく知っていたな」
「前にせんせーがじゅぎょうで言ってたの」
「じゃあ寄って行こうか」
隻眼の騎士はそう言うと、クガルグのことも抱き上げて、炎の灯ったしっぽの先を上手く隠した。
「村の人間なら身元も分かっていて信用できるし、ミルたちの正体を話してもいいが、神殿には他の地域から人が来ていることもあるからな。一応精霊だとは分からないようにしておこう」
精霊の子供がこの村に遊びに来ると知って、何か企むような人間もいるのだろう。
でも神殿にいるような人って悪いことはしなさそうだけどな。
「ここだ」
小さい村なので、広場から神殿まで五分も歩かないうちに着いた。
「わぁ、何だかあったかいふんいきだね」
神殿はこぢんまりしていたけれど、温かくもあり神聖な雰囲気もある建物だった。前庭も狭く、花壇もないが、神殿を囲む柵に沿って花が植えられている。きっちり整えられているわけではなく、自然に咲いている感じで素敵だ。
鍵のかかっていない簡素な門を開け、隻眼の騎士は私たちを抱いて神殿の庭に入った。
「だれもいないね」
「今は昼だからな。村人は朝に祈りを捧げに来ていると聞く。だが、管理人兼聖職者の村人がここに住んでいるはずだ」
「そうなんだ。そういえば、せきがんのきしは祈りをささげたりするの?」
そういう場面、全く見たことがないなと思って尋ねる。
すると隻眼の騎士は少し寂しげに笑って答えた。
「神殿で言うのも何だが、神は信じていないんだ」
「そうなの?」
「神に祈ったところで、望みは叶えてもらえないと知っているからな。どんなに祈ったって駄目なものは駄目だし、自分を鍛えて、自分の力で何とかした方が早い場合もある」
「ふーん」
その考えが根底にあるから、隻眼の騎士は鍛錬を欠かさないのかな。
「その点、精霊の方が信じられるな。俺は神を見たことはないが、精霊は現実にいるわけだから」
「うん」
私も神様がいるのかどうかはよく分からない。ハイデリンおばあちゃんは存在を感じるって言うけど、私は特に感じないし。
隻眼の騎士とそんなことを話しながら、神殿の建物の中に入ろうとした時だ。
「あっちに人がいるけはいがする」
私は神殿の裏の方を見て言った。今いるところとは反対側だ。
「そうか? 足音でも聞こえたか?」
「うーん、そうじゃないんだけど、何かけはいが……」
気配を感じる、としか言えないのだ。
だけどクガルグも私に同意してくれた。
「うん。おれも、あっちに誰かいるとおもう」
「なら、行ってみようか」
隻眼の騎士は私たちの言葉を信じて神殿の裏へ回ってくれた。裏庭は前庭よりさらに狭かったが、そこにもたくさんの草花が植えられている。
そしてやはり、ここには人がいた。
神殿を見上げていたその人はまだ若い青年で、飾り気のない素朴な服を着ている。だから私は最初コルビ村の人かと思ったけど、村人とは少し雰囲気が違う気もした。
髪は淡い金色で、頭には白いターバンを巻いている。インドや中東の人たちがしているような頭をしっかり覆うやつじゃなく、おでこの辺りにおしゃれな感じで巻くやつだ。
(この辺りの人でターバン巻いてるの、珍しい)
寒い時期は毛皮の帽子を被ったり、ストールを頭から被っている人はいるけど。
この青年はさっき隻眼の騎士が言っていた管理人兼聖職者の村人だろうか? それとも他の地域からやってきた人かな?
「やぁ、こんにちは。来るんじゃないかと思っていました」
青年はこちらを見て、にこやかに言った。
「向こうの方から近づいてくるのが分かりましたから」
金髪でおしゃれターバンを巻いていることもあって、チャラい若者のようにも見えるけど、喋り方は礼儀正しい。
声も若いのに、何故だか風格や威厳を感じた。少女のようでもあり老婆のようでもある声をしたハイデリンおばあちゃんと似てる。
(不思議な感じ……)
私がこてんと首を傾げると、青年は一層にっこりと笑った。




