避暑(5)
「ミル。シャロン」
「ケンカせずに仲良くな」
支団長さんと団長さんがやってきて、団長さんは私の頭をわっしゃわっしゃと撫でたけど、私はもうシャロンには怒ってはいなかった。
あまりに素直に謝られたし、反省してしゅんとしてしまっているんだもの。
シャロンの父親であるアスク殿下もこちらに近づいて来て、申し訳なさそうに言う。
「聞こえていたよ。シャロンがすまないね。私からも謝るよ。砦の騎士たちのことを悪く言うなんて……」
アスク殿下は支団長さんにも「すまないな」と言い、支団長さんは「いいえ、お気になさらず」と返す。
アスク殿下は苦笑いして私に言う。
「シャロンに怒ってくれてありがとう。私たちが甘やかしてしまったからね、シャロンは誰かに怒られたり叱られたりしたことがないんだよ。悪いことをしても、私たちは可愛くて叱れなくてね」
アスク殿下は本当に娘を溺愛しているようだ。目に入れても痛くない娘だもんね。
そしてコワモテ軍団にもこそっとこう言われた。
「話は聞こえてたけど、俺たちは慣れてる。何も傷つかないさ。気にするな。泣いてくれてありがとうな」
隻眼の騎士もシャロンの言葉をいちいち気にしている様子はなかったので、私はしょんぼりしているシャロンの頬をつんと鼻でつついた。
濡れた鼻がひやっとしたようで、シャロンはちょっとビクッとする。
「な、何? ミル」
「私もう、おこってないよ。だからげんき出して」
「……うん!」
シャロンは嬉しそうにパッと表情を明るくし、笑顔で言う。
「じゃあ、おままごとの続きを――」
「追いかけっこしよう!」
退屈な上に設定がやたらと重いおままごとを回避するべく、私は即座に提案した。すると元気を取り戻したシャロンもすぐに反発する。
「えー? 追いかけっこなんて乱暴な遊びいやよ。私がおままごとをしたいって言ってるんだから……」
素直なんだか、やっぱりわがままなんだかよく分からないなと思っていると、シャロンはため息をついて譲歩してくれた。
「分かったわ。私の方がお姉さんだし、さっき怒らせてしまったから、追いかけっこに付き合うわ」
「ありがと! じゃあ行くよ」
さっそく走り出した私を追って、クガルグも駆けてくる。
「ま、待ってよ! 私、追いかけっこなんて初めてだからっ……」
シャロンもドレスのスカートを軽く持ち上げて走り出したが、べらぼうに遅い。
仕方ない。手を抜いてあげるか、と、私は走るスピードを緩めた。クガルグもシャロンの運動神経のなさに同情してゆっくり走ってあげている。
「はぁ、もう駄目……!」
それでもシャロンは早々に息を切らせて座り込んでしまった。
「あのにんげん、体力ないんだな」
「しゃろん! がんばって」
クガルグは憐れみ、私はシャロンの方に引き返す。
「ほら、こっちだよ。もう追いかけっこやめるの?」
シャロンの前をゆっくり駆け抜けていこうとしたのだが、そこで私はシャロンにむんずとしっぽを掴まれた。
「わっ、やめて!」
「捕まえた!」
シャロンは悪気がないがゆえに、私が嫌がっているのに気づいていない。子供ってこういうとこ乱暴だからやだー。
「シャロン、やめなさい!」
さっきはシャロンのことを『可愛くて叱れなくてね』なんて言っていたアスク殿下もさすがに声を上げたが、それより早く隻眼の騎士が私たちの間に割って入った。
「シャロン様」
隻眼の騎士は私のふさふさのしっぽを掴んでいるシャロンの手を離させる。と言うか、間近にいる隻眼の騎士の眼光の鋭さにびっくりして、シャロンが力を緩めたようだ。
「な、何よ」
「ミルに乱暴するのなら、シャロン様でも許すことはできません」
支団長さんや王様たちもこちらを見ている。一介の騎士が娘を叱っているというのに、アスク殿下やその奥さんもそのまま様子を見ているようだ。
怯えるシャロンに、隻眼の騎士は冷静に話す。
「ミルは精霊です。そして我々北の砦の騎士は、精霊を守ることも大事な仕事なのです。精霊を守る騎士として、今のシャロン様の行為は見過ごせませんでした」
そこまで言うと、今度は私のしっぽを撫でながら、シャロンに向かって優しく続ける。
「どうかミルに触れる時は、こんなふうに優しく触れてやってください。ミルはぬいぐるみではないので、抱きしめる時もそっとです。いいですか、シャロン様」
北の砦の騎士にこんなふうに注意されて、シャロンは機嫌を損ねて怒るのではないかと私は心配になった。
シャロンを怒らせたことで、隻眼の騎士が罰を受けたらどうしよう。
でももしそうなったら、私は自分の精霊という地位を利用して隻眼の騎士を守るぞと密かに決意する。
精霊は、ある意味王族よりも偉いんだから。
私がドキドキしながらシャロンの反応を待っていると、彼女はしばらく黙った後で、何故か頬を赤らめて言った。
「わ、分かったわ。優しく触れるわ」
シャロンは怒っている様子はなく、もじもじしている。
「分かっていただけてよかったです」
そして隻眼の騎士が少し口角を上げてほほ笑むと、シャロンは恥ずかしそうに目をそらした。
あれ? あれれ?
私は目を丸くしてシャロンを凝視した。
あまりに急過ぎるけど、シャロンってば隻眼の騎士に恋してない?
でも待って。いつ好きになったの? 今、恋に落ちるタイミングあった?
叱られたんだから、隻眼の騎士を嫌いになった方がまだ自然に思えるけど。
隻眼の騎士が元の位置に戻り、キックスたちに「シャロン様まで叱るなんて、さすが副長」などと言われている中、シャロンは私をそっと抱き上げて、うなじに顔をうずめる。シャロンの顔が熱い。
「私……男の人に叱られたのって初めてよ」
「しゃろん?」
「生まれて初めて叱られた」
私は首を捻って後ろを見る。顔を少し上げたシャロンは、ほっぺが真っ赤だった。
「でも何故かしら、私に対してはっきりものを言うあの人に、ドキッとしてしまったの。今もドキドキしてるわ」
「そ、そんな……」
それは叱られた恐怖でドキドキしているのではなくて? と思ったが、シャロンの顔の赤さを見るに本当に好きになっちゃったみたい。
「あの騎士、よく見たら素敵よね。精悍でかっこいいし、あの傷も素敵。彼と比べると近衛騎士が軟弱に見えてきたわ」
シャロンはそう言うと、「名前を教えてもらわなくちゃ」と隻眼の騎士の方へ駆けていってしまった。そして隻眼の騎士に話しかけるついでにさりげなく手なんか握っている。
わーん! 私の隻眼の騎士なのに!
私は思わずやきもちを焼いたけど、さすがにシャロンへの嫉妬を表には出せないから、ただ二人の間にスッと割って入った。
「グレイルって言うのね!」
嬉しそうに隻眼の騎士の手を握っているシャロンと、戸惑っている隻眼の騎士の足元で、私は眉間に皺を寄せて黙って存在を主張する。
「謎の三角関係が……」
「副長が幼女にモテてる」
後ろでキックスたちがそんなことを呟いている。面白がっている雰囲気だけど、こっちはちっとも面白くない。
隻眼の騎士に王都へ来るよう、シャロンが要求したらどうしよう。
――なんて思ったが、どうやら心配するだけ無駄だったみたい。
どうやらシャロンは男の人に叱られると簡単に好きになってしまうらしく、キックス、門番のアニキ、コワモテ軍団のロドスさんを次々に好きになっていき、隻眼の騎士への想いは薄れたようだった。
キックスたちもシャロンを叱ったというより、シャロンが転びそうになった時に「危ないですよ」と注意して助け、私を抱っこしようとした時に「お尻を支えてあげてください」と正し、腰に携えている剣に興味を持った時に「触っては駄目ですよ」と忠告しただけなのだが、シャロンにとっては叱られたことになるらしく、恋に落ちてしまったのだ。チョロい。
最初はイケメンの王子様や支団長さんが好きだったようなのに、このピクニックの間にどんどん恋の相手を変えていっているシャロンに、アスク殿下は頭を抱えていた。
「確かに甘やかして育ててきたが、まさかそのせいで娘がこんなに惚れっぽくなるとは……」
嘆くアスク殿下に、ご領主のおじいちゃんがのんびりと言った。
「箱入り娘ほど悪い男に引っかかりやすいと聞きますからなぁ」




