村の授業再び
・先生、ニコライ:植物学者。村で子供たちに色々なことを教えている先生。番外編「村の授業」で登場。
・ハイデリンおばあちゃん:風の精霊で、ハイリリスのおばあちゃん。動物の姿は巨大な鳥。厳しいところもあるが、子供が好き。
祭壇から離れた私は、次に近くの村へ行くことにした。さっきの親子が戻って行ったであろう村だ。
砦に行っても午前の今の時間はみんなお仕事中だし、住処に戻っても母上はパトロール中だから暇なのだ。
(広場で授業をやってないかな?)
今のような暖かい季節は、村の広場で眼鏡の先生が子供たちに授業をしている。先生も村人のようだけど、農民というより学者っぽい雰囲気の男の人だった。
二度目に授業を見に行った時は先生が精霊の話をしていたから、思わず私も子供たちに混じって参加してしまったけど、あれ以降はこっそり覗くだけにしている。子ギツネが授業に参加しているとバレたが最後、子供たちにもみくちゃにされる気がするからだ。
前世でも小学校の校庭に迷い犬が入ってきたりすると、クラスメイトたちはみんなめちゃくちゃ興奮してたもんな。
(あ、いた!)
村に入り、広場に向かうと、そこではすでに十名ほどの子供たちが集まっていた。
そしてその子供たちの前に立っているのは、眼鏡で黒髪の、温和そうな先生だ。
私はいつもの定位置――広場の後方の草むら――にガサガサと入り込み、そっと顔だけ覗かせて授業の様子を見守る。
しかし先生は明らかにこっちを見ているし、嬉しそうににこっと笑って頬を赤らめるから、もうバレている気がする。子供たちはこちらに背を向けているから気づいてないようだけど。
授業はちょうどこれから始まるところのようで、先生は時折こちらを気にしつつ話し始めた。
「さて、じゃあ今日は神様のお話をしよう」
神様? 神様か……。そう言えばこのアリドラ国の宗教とか、みんながどんな神様を信じているのかとか、よく知らないな。
と言うか、この国やこの世界では精霊が神様のような存在なんだと思ってた。精霊信仰って言うのかな? 自然や自然の中に存在する精霊を畏れ、敬う文化で、神様はいないという認識だった。
だけどどうやら違うみたい。先生は眼鏡をくいっと直して子供たちに質問する。
「この世界は誰が作ったのか知っているよね?」
「うん、知ってる!」
「神様だよ! 僕のおじいちゃんがそう教えてくれた」
それに対して先生は「正解」と頷くと、続けて尋ねた。
「じゃあ、その神様の名前を言える人は?」
「はーい! アヴァ・ルーシャ!」
一番右側に座っている男の子が元気よく答える。先生はまた頷いた。
「そうだね。アヴァ・ルーシャによってこの世界は創られ、私たち人間や動物、それに精霊も生み出された」
へー、精霊も神様が作ったんだ。と、授業を聞きながら私は思った。
それが真実かどうかは分からないし、神様が本当にいるのかどうかも疑問だけど、この国ではそういう事になっているようだ。アヴァ・ルーシャという神様はいるし、その神様によって精霊は生み出されたのだと。
(そういえばハイデリンおばあちゃんも神様について話していたことがあったな)
ハイデリンおばあちゃんはハイリリスの祖母で、父上と同じくらい長く生きている精霊だ。
『きっと神はあんたを作る時に何か手違いを起こしたんだね。間違って人間の要素を入れてしまったのさ』
ハイデリンおばあちゃんは、人間と仲良くしたりしている私にそう言った。それに、
『生まれたばかりのあんたたちには分からないだろうけどね、長く生きていれば、自分たちの上にもまだ未知なる存在がいる事に気づくんだよ』
と、そんなことも言っていた。ハイデリンおばあちゃんは神様の存在を感じているようだし、そうすると本当に神様っているのかもしれない。
先生は続ける。
「アヴァ・ルーシャは太陽の光を見て美しいと思い、力と意志をお与えになった。それが光の精霊だ。他にも、夜の闇や雄大な大地、澄んだ水や吹き抜ける風、燃え盛る炎や森の木々、さらに雷や花、そして白銀の雪を綺麗だと思って、特別に力をお与えになったんだよ」
「はーい! 知ってる! スノウレア!」
「白いきつねなの!」
「きれいな女の人だよ!」
「そうだね。雪の精霊はスノウレアだ。スノウレアには子どももいて……という話は以前にしたね」
そこで先生はまたちらっと私を見て表情を緩めた。茂みから中途半端に顔だけ出してるからおかしいんだろうか?
「さて、精霊は自然の化身だから気まぐれだ。だからみんな、祭壇へ行く時はうるさく騒いではいけないよ。精霊を怒らせては大雪になる。あるいはどこか他の土地に行ってしまうかもしれない」
「せいれい、怖いの?」
「雪と同じで、怖い面もある。だけど怖いだけじゃない。雪は魔法のようでもあるだろう? 野菜を埋めておけば甘くなるし、腐らないよう時間を止めてくれる。それに春には豊かな水をもたらしてくれる。雪の精霊も、僕たちが山で悪さをすれば罰を与えるけれど、雪でこの地域を守ってくれてもいる」
よく理解していない子供たちに、先生は話を続ける。
「雪は自然の要塞なんだよ。敵が侵入して来にくくなるし、暖かい地域で蔓延している病気も、毒虫も遠ざけてくれる。風邪と凍傷には気をつけなければいけないけどね」
私ですら雪が降ると人間にとっては大変なことばかりだろうと思っているのに、彼らは雪の良い面もちゃんと知ってくれている。
この地域の人たちが、雪を嫌わず有難がってくれるのは嬉しい。
(将来、私が巣立ちする時期になっても、今と変わらずここにいたいな。それでこの地域の人たちを守りたい。もちろん砦の騎士たちのことも)
私も精霊としての自覚が出てきたかも、なんて考えているうちに、先生はまた神様の話に戻っていた。
どうやらこの村にも小さな神殿があるようだ。
「王都にあるような立派な神殿ではないけど、みんなで守っていこうね。お掃除のお手伝いも頑張ろう! アヴァ・ルーシャもきっと見てくださっているからね」
「はーい!」
私はまだ、この村のどこに何があるかはよく知らない。
(神殿かぁ)
外から村を見た時に、一つだけ白くて高い建物があるけど、あれだろうか? 高い建物と言ってもこぢんまりして地味だけれど、確かに神殿みたいな雰囲気はある。
(そのうち、遊びに行ってみようかな)
正午近くになって授業が終わると、私は砦へ向かうことにした。村から砦までは近く、歩いても行けるけど、スノウレア山を下ってきて疲れたので、広場から移動術を使うことにする。
「ミ、ミルちゃん……?」
と、子供たちがみんな帰ったのを確認して移動術を使おうとしたところで、広場に最後まで残っていた先生が緊張気味に声をかけてきた。何で名前知ってるんだろ?
一旦草むらの中に隠れていた私は、またガサッと顔だけ外に出す。
「わぁ!」
すると先生は眼鏡の奥の瞳をとろけさせた。氷の仮面を脱いだ時の支団長さんみたいに顔がゆるゆるになってる。
「せんせー?」
ゆるゆるのまま動かない先生に向かって小首を傾げると、先生はもう一度「わぁ」と言いながらさらにとろけた。
「お喋りが上手だねぇ! すごいねぇ!」
「うん」
「賢いねぇ!」
先生って男の人なのに、子供好きなおばちゃんみたいな反応をする。
「ミ、ミルちゃんにお願いがあるんだけど……」
先生は恐る恐るといった様子で言う。
「なぁに?」
「もしよかったら……そのふかふかの、とっても触り心地の良さそうな毛を、な、撫でさせてもらえないかな?」
先生は興奮のあまりプルプル震え始めた。もふもふが好きなのは砦の騎士だけじゃないのか。
「いいよ」
「わぁ、ありがとう!」
私が草むらから出ると先生は喜び、ゆっくりこちらに手を伸ばしてきた。精霊に対する畏れというものも先生は持っているみたいで、ちょっと慎重だ。
そして私の頭にそっと手を置くと、四回目の「わぁ」が出た。
「すごくサラサラで、ふかふかだ! 可愛い……ずっと触っていたい……」
先生って支団長さんと気が合いそうだなと思いながら、私はしばらく先生に撫で続けられたのだった。




