祭壇
・父上、ウォートラスト:ミルの父親。水の精霊で、動物の姿は巨大な蛇。千年以上生きていて、のんびりしている。何にも興味がないように見えて、ミルのことになるとわりと必死。娘に好かれたいパパ。
スノウレア山の麓には、雪の精霊を祭る祭壇がある。
森の中の開けた場所に、石でできた古い柱がぽつんと二つ並んでいる、それだけの場所だ。
その柱の間には後から作られたような木の台があって、近くの村人たちはそこにお供え物を置き、この地の平和を祈るのだ。
私がこの祭壇に遊びに来ると、祈りを捧げている最中の村人たちに時々出くわす。
けれど隠れて見ていると、彼らは「大金持ちになりたい」とか「私を守ってください」なんていう独り善がりな願いは言わない。
ただ「この地をお守りください」とか、「守ってくださりありがとうございます」とだけ言うのだ。
母上がここに来る前は、山の頂上付近の雪が夏には全て融けていたようだから、村人は隣国からの侵入者の脅威に怯えていたのだろう。だから雪を降らせる精霊に感謝してくれる。
そんな謙虚な村人たちのことが、私も好きだ。
それに最近は母上のためのお酒だけでなく、私のためにお菓子や果物なんかも供えてくれる。村人も私の存在に気づいているのだ。
私がこっそり村に遊びに行ったり、スノウレア山の麓で遊んでいる時なんかに目撃されたりしていたみたい。
あとは、砦に私が遊びに来ているという噂を聞いているのだろう。結構前から私の存在は村人に認知されていたらしい。
私へのお供え物は、ほとんどの場合、先に動物たちに食べられてしまうんだけど、それはそれでいい。特に冬は動物たちもお腹を空かせているからね。村人たちのお供え物は、厳しい環境で暮らす動物たちを飢えから救い、私の心も温かくしてくれていた。
(何かお返しになるもの、ないかな?)
朝、私は住処の近くをうろうろと歩き回りながら、お供え物のお返しになるものを探した。母上はその力でこの地を守っているけど、私は村人たちに何もしていないから、このままでは貰いっぱなしになってしまうと思ったのだ。
けれどスノウレア山の山頂付近にあるのは、雪ばかり。
(この辺りは寒くて植物も生えないし、もう少し下ろうか……あ、そうだ!)
ハッと思いつき、雪の上を目的の場所へ向かって走る。
確かこの辺りに、綺麗な花が群生していたはず……。
「あった!」
ひらひらと雪が舞い落ちる中、白い花がたくさん咲いているという光景はちょっと奇妙だ。
だけどこの白い花はスノウレア山でよく見かける花で、どうも寒さに強い……というか寒い方が好きらしい。
そして冬でも麓の方ではあまり見かけないから、標高の高いところで咲いていることが多いみたい。過酷な環境が好きなんて変わってる。鍛えるのが好きな隻眼の騎士やレッカさん並みにストイックだ。
私はこのストイック花をお供え物のお返しにしようと、人型に変化して花を摘むことにした。
小さな手で茎をむんずと掴み、さっそく引っこ抜く。
引っこ抜……引っ……あれ?
「ひっこぬ……けないっ!」
ストイック花、強い!
さすがこんな環境で生きているだけはある。深いところまで根をはっているようだ。
「ん? でも土までは到達してないみたい」
両手でわしわしと柔らかい雪をどかすと、古くて固い雪の層に到達した。ストイック花はそこで根をはっているようだ。土ではなく雪に生える花があるなんて。
「よーし、もう一度」
今度は両手で茎を掴み、しっぽをぴんと伸ばして力を込める。
「ん~! ……っどわぁあ!?」
根っこごと花が引っこ抜けると、勢い余って私は後ろに一回転した。
「いたた……。わ、なんかすごいねっこ」
太くて長く、タコの脚みたいにあっちこっちにうねうねと伸びている。
私が欲しいのは綺麗な花だけなので根っこは取ろうとしたが、茎が固くて千切れない。ほんとに頑丈な花だな。
「しょうがない。ねっこつきでいいや。あと何本かつんでいこう」
一本摘むごとに勢い余って後ろにひっくり返りながら、私はお供え物のお返しを確保したのだった。
「思ったよりたいへんだった……」
花を摘むって、普通は女の子らしくてメルヘンな光景が広がるはず。だけどストイック花は摘めば摘むほど息切れするし、毎回後ろに一回転してしまうから髪も服も乱れる。
私は人型のままはぁはぁと息を切らせて、七本摘んだストイック花を抱えて麓の祭壇に向かった。
全部タコの脚のような根っこ付きなので花の美しさが薄れてしまっているけど、まぁ人間はハサミを使えるからちゃんと根っこを切って飾ってくれるだろう。
「これでよし」
祭壇の台に花を並べ、満足して頷く。村人がこれに気づいてくれるといいけど。
と、背後から聞こえてきた足音に、私の耳がぴくぴくと反応した。
(誰か来た!)
私は子ギツネの姿に戻ると、ぴょんぴょん走って木の陰に身を隠す。
祭壇にやって来たのは近くの村に住む親子のようだ。三十代くらいの母親と十歳くらいの女の子が手を繋いで歩いてきた。お供え物なのか、母親は片腕に籠をかけている。
「さぁ、ついたわ。一緒にお祈りしましょう。……あら? 誰かが花をお供えしたのかしら? ちゃんと根っこを取らないと……」
母親はストイック花に気づいたようだが、途中でふと言葉を止めた。
「まぁ! これは凍花だわ!」
「凍花?」
子供が首を傾げると、木の後ろで私も同じように首を傾げる。
「凍花は貴重な花よ。標高の高いところにしか咲かないから、なかなか手に入らないの。それに凍花はね、ただ綺麗なだけじゃないのよ。根の部分は風邪によく効く薬になるの。本当によく効くのよ。風邪じゃない時でも、飲めば体が温まって元気になるわ。全身ポカポカで、冬でも寒さをちっとも感じなくなるのよ」
「へー、すごい。でも誰がこれをお供えしたんだろう? スノウレア山を登って取って来たってこと? 勝手に登ったら精霊様が怒りそうだけど」
「精霊様にお伺いを立ててから、山に登って凍花を摘ませてもらうことはあるけど……。でも普通は自分たちで使うから、祭壇に供える意味はよく分からないわね。精霊様は凍花を貰っても特に喜んでくださらないと思うし……」
親子がそんな会話をし始めたので、私はちょっと迷ってから木の陰から飛び出し、「きゃん」と鳴いた。親子はこちらの存在に気づき、目をまん丸にしている。
「白い子ギツネ……。せ、精霊の御子様だわ……!」
「うわぁ、本物!?」
びっくりしている親子に向かって、私は大きな声で言った。
「それ、あげるっ!」
それだけ言うと、びゅーっと走って森に身を隠す。村の人と話すの初めてだから、何か緊張するし恥ずかしい。
「じゃあこれは御子様が?」
母親は凍花を一本手に取り、呟く。親子はしばらく私の姿を探して森に視線を向けていたが、私がもう出て来ないと分かると、自分たちが持ってきたお供え物と引き換えに凍花を籠に入れる。
「冬までに乾燥させて薬にしましょう。何て有難い。精霊様から頂いたものだから、村のみんなにも分けましょうね。みんなびっくりするわ」
母親は子供にそう言った後、姿の見えない私に向かって礼を言った。
「精霊の御子様、ありがとうございます」
「ありがとうございますー!」
子供も続いて頭を下げる。
「……ど、どーいたしましてっ!」
こんなに感謝されるとは思っていなかったので、思わず私も木の後ろから叫んだら、親子が「ふふふ」と笑う声が聞こえてきた。
「みんなに自慢しようっと」
「みんな羨ましがるわ。また会えるといいわね」
「うん!」
去って行く親子を見送りながら、喜んでくれてよかったと思った。あの凍花はスノウレア山の頂上付近では一年中咲いているので、またお返しに取ってこよう。疲れるけど、みんなが喜んでくれるならいいや。
親子の姿が見えなくなったので私も帰ろうと踵を返す。
しかしそこで、足元に赤い果実があるのに気づいてふと立ち止まる。
見た目からしてたぶん野苺だろうけど、正式な名前は分からない。だけどこの辺りでもたまに見かける、特に珍しくない植物だ。美味しそうなので一度食べてみたこともある。
それは一週間ほど前、他国の大きな湖に住んでいる、水の精霊の父上のところへ遊びに行っていた時のことだ。
その時にも、今足元に生っているのと同じ野苺を湖の畔で見つけ、水から頭だけ出している父上に尋ねたのだ。
『これ、スノウレア山のふもとでもたまに見かけるよ。たべられる?』
『……さぁ? 食べたことが、ないし……食べようと思ったこともないから……分からないな』
『そっかぁ。でもおいしそうだね』
そう言って目の前の実をパクッと咥えようとしたら、父上に止められた。
『ミルフィリア……やめなさい……。毒が……あるかもしれない。先に私が、食べてみよう……』
どうやら父上がまず毒見をしてくれるらしい。大丈夫かなと思いつつ、私は人型に変化して野苺を摘むと、言われるがまま父上の大きな口に放り込んだ。
父上は眠そうな目をしたままごくりとそれを飲み込んだが、しばらく待っても毒による異変は何も起こらなかった。
『どうやら……毒はないようだ……。お腹が空いているなら……ミルフィリアも食べるといい』
『うん。おいしかった?』
『味は……よく分からないな……。ものを食べたのも……ほぼ初めて、だからな。美味しいという感覚も……分からない』
『そうなんだ』
世の中には美味しいものがたくさんあるのに、食べる喜びを知らないなんてちょっと可哀想だ。と思いながら、私は小さな赤い実を摘んで口に入れた。
しかし予想していたような甘味や酸味はほとんどなく、見た目の鮮やかな赤色に反して味が薄い。
『うーん……』
『ミルフィリア……どうした……?』
『思ったほど、おいしくない』
まずいわけではないんだけど、もっと甘いんじゃないかと期待していたから、水っぽく感じる。
私はしっぽをしゅんと下げて呟く。
『もっと甘いとよかったのに。ざんねん……』
この世界にも甘い果物はあるけれど、日本の方が美味しいものが多かったと思う。たぶん、この世界では現代日本ほど果物の品種改良が進んでいないのだ。
例えばこの世界の苺は、甘味が薄かったり、甘味があっても酸味も強かったりする。
だけど日本では甘くて美味しい品種がたくさんあったもんな。一粒が大きく食べ応えがあって、噛んだらじゅわっとしっかりした甘みが広がる。酸味なんてちっとも感じない日本の苺……。
『あまいいちご、食べたいなー……』
前世を思い出し、私は思わず呟いた。
そしてその呟きを、父上に聞かれていた。
『甘い、苺……。ミルフィリアは、それが食べたい、のか……』
父上は相変わらず眠そうな目をしていたが、その大きな瞳でこちらをじっと見ている。
『うん、食べたい。でも、私が食べるだけじゃなくて、父上にも――』
私の言葉の途中で、父上はちゃぷんという水の音と共に人型へと姿を変えた。人型でも目は眠そうだ。
だけど、今の父上は何やらやる気に満ち溢れていた。
『分かった……。ミルフィリアのために、甘い苺を……私が……採ってきてやろう』
『え?』
『世界中を巡れば、どこかに、ミルフィリアの気に入るものが……あるはずだ……』
『せかいじゅうを?』
『何日かかるか分からないが……待っていろ……。必ず……甘い苺を、持って行く……。ミルフィリアが……喜ぶなら』
『あ、父上ー!』
そうして父上は移動術を使ってどこかに飛んで行ってしまったのだ。一度後を追って飛んでみたけど、父上はどこかの森の中で苺の捜索に熱中していて、私が『いちごなんて探さなくていいよ』と言っても聞かなかった。どうやら気を遣って言ったと思ったみたい。
(父上、今頃どこにいるのかな?)
私は心配して空を見上げた。父上が世界中を探しても、日本で売っていたような甘い苺があるとは思えない。
(私が甘い苺を食べたいなんて言ったばっかりに……。無理難題を父上に課しちゃった)
申し訳ない気持ちになりながらも、私は父上の帰りを持つことしかできないのだった。




