北の砦の夏(1)
・クガルグ:炎の精霊の子。黒い子豹。ミルラブ。やんちゃで俺様だが、意外と世話焼きで綺麗好き。
「あー、まだ気持ち悪ぃ」
「だいじょうぶ?」
今日も砦に遊びに来ていた私は、お昼になっても二日酔いが治っていないらしいキックスに声をかけた。
「でもみんな、キックスにおとうとが生まれたこと、祝ってくれたんだね」
私はしっぽを小さく振って言ったが、キックスは気持ち悪そうな顔をしたままこう返してくる。
「いや、あいつら絶対、酒を飲む口実が欲しかっただけだ。普段も酒を飲んじゃいけないわけじゃないけどさ、支団長や副長が怖ぇから、何か口実がなきゃ思い切り飲めないんだよ」
「ふーん」
「今日、副長の訓練の日じゃなくてよかった……」
そう呟きながら「ちょっと休んでくる……」と宿舎の自室に向かうキックスを見送る。訓練の日だったら隻眼の騎士にしごかれるもんね。
キックスと別れて砦の中をぶらぶらしていると、鎧戸が開いたままの窓から突然セミが突っ込んできた。ブブブブッと羽を動かしながら廊下を転がり回っている。
この地域にいるセミは日本のセミとは種類が違うようだけど、見た目はほとんど変わらない。
「ヒッー!?」
虫が苦手な私は悲鳴ともつかぬ声を上げ、全身の毛をボワッと逆立てる。セミってどうして死の間際にこうやって暴れ回るんだろう。
死んでいると見せかけて近づいたら暴れ回るというトラップを仕掛けるセミもいるから、夏って本当に恐ろしい。
「ここここ、こっちこないで!」
ブブブブッと廊下の床を暴れ回りながらセミがこちらにやって来たので、私は慌てて踵を返した。
怖い怖い怖い! なんでこっち来るの!
「せきがんのきしー!」
ピンチなので思わずその名を呼びながら、セミから逃走する。
さすがに死にかけのセミよりは私の方が速いので、すぐにセミから距離を取ることができた。ホッと息をつき、隻眼の騎士の名前を呼ぶのをやめる。
するといつの間にか玄関の方に来ていたようで、外を見ると、見回りから帰って来たらしい騎士たちを発見した。隻眼の騎士はいないようだけど、ティーナさんとレッカさんはいる。すでに馬は厩舎に入れていて、これから休憩を取るようだ。
ティーナさんたちは涼しい顔をしているけど、ムキムキの筋肉をまとった男たちは暑そうだった。
「あちー」
「すっかり夏本番だな」
何人かはそんなことを言いながら騎士服を脱ぎ始めている。暑くなると虫も増えるけど、砦には裸族も増えるのだ。さすがに仕事中は脱がないけど、休憩中には上半身裸になっている騎士も多い。やだー。
日本の夏なら、裸になったら肌に直射日光が当たって逆に暑いと思うから、こっちの夏はやはり日本ほど暑くなく、日差しも穏やかなのだろう。
でもいかつい騎士たちが脱いだら、見てるこっちとしては暑苦しくて体感温度がさらに上がってしまう。
「せめて肌着は着ていてくださいよ」
レッカさんがちょっと恥ずかしそうに注意しているけど、男たちは「やだ」「暑いもん」と可愛くないのに可愛い口調で反論している。
ちなみにティーナさんは夏のこの光景を見慣れてしまったらしく、恥ずかしがる様子はない。それどころか脱ぎたくなる気持ちも分かるらしい。
「ここは寒い時期が長くて、それに体が慣れるからでしょうか? ちょっと気温が上がると暑いなって思っちゃうんですよね。地元にいた時は、これくらいの気温だったらまだ涼しい方だったんですけど」
汗はかいていないようだけどティーナさんも暑いらしい。
みんなの様子をじっと見ていると、裸族たちがこちらに気づいてしまった。
「お、ミル」
「もう初対面ごっこはやめたんだよな?」
そう言って私のことを抱っこしようとしてくるので、私は慌ててレッカさんやティーナさんの方に逃げた。
抱っこしたければ、まずは汗を拭いて服を着て!
さて、夏と言えば虫、裸族、そしてクガルグだ。クガルグは炎の精霊だから、雪の精霊の私とは正反対の存在で、暑さに強く、夏はとっても元気になる。
ティーナさんたちと別れてまた一人になったところで、クガルグは私のところにやって来た。空中にポッと火が灯り、それが大きくなって黒い子豹に変化したのだ。
「ミルフィー!」
クガルグは現れたと同時に私の方にやって来て、ズンッと親愛の頭突きをしてくる。
「うっ……」
「元気か?」
元気だったけど、胸元に頭突きをされたせいで一瞬息が止まりかけたよ。
「げんきだよ。きのうも会ったじゃない」
私が毎日砦に遊びに来るように、クガルグはほぼ毎日私に会いに来るのだ。夏になってからは特に皆勤じゃないかな。
クガルグはつり目の赤い瞳でこちらを見ながら言う。
「だって夏だし、ミルフィーはあついの苦手じゃんか。一日ですぐよわっちゃうかもしれないと思って」
「しんぱいしてくれてるの?」
「うん」
「ありがとう」
夏のクガルグは意外と紳士なのだ。ここのところ毎日私に会いにやって来るのも、私の体調を気にしてのことみたい。
「ここ、日があたる」
窓から差し込む日差しが私に当たっていたので、クガルグはそう注意してくれた。
「だいじょうぶだよ」
これくらい平気だと言っても、クガルグは問答無用で私の首の後ろを噛み、ズルズルと日の当たらない廊下の隅に連れて行く。
そして私の頭を舐めて毛づくろいを開始した。ネコ科の動物って、どうしてこんなに毛づくろいが好きなんだろう。
「ねぇ! 今日はねぐせついてないし、けづくろいはいいよ。それにちょっとくらい日なたにいても平気だよ」
クガルグは、クガルグから離れようとした私の首にガッと腕を回して拘束し、毛づくろいを続ける。
絶対に日なたには行かせないし、毛づくろいもやめないという気概を感じる。
「わかった。わかったから」
諦めてその場に寝転がると、クガルグは思う存分私の毛皮を舐め回す。胸元のもふぁっとしたボリュームのある毛には毎回苦戦しているが、今日も頑張って整えてくれている。
そしてさりげなく毛をかき分けて、私がちゃんと赤い石のついたネックレスをしているか確認していた。これは王都におつかいに行った時にクガルグに貰ったもので、つけているかを定期的にチェックされる。
クガルグは付き合ったら束縛するタイプだなと思ったけど、私は付き合ってないのにすでに束縛されている気がしたのだった。
クガルグが帰ると、クガルグに散々毛づくろいされてピカピカになったけれど疲れた私は、癒しを求めて隻眼の騎士を探した。
隻眼の騎士は癒しとは程遠い鋭い顔つきだけど、私にとってはオアシスなのだ。
「せきがんのきしー! せきがんのきしー!」
呼びながら砦の中を走っていると、後ろの方から「ミル!」と声をかけられた。
「せきがんのきし!」
ピョーンと跳んで隻眼の騎士に飛び込むと、今回も隻眼の騎士はしゃがんで私を受け止めてくれた。
ボフボフとしっぽを振りながら、私は隻眼の騎士に抱っこされる。
「あ、そういえば、さっきセミがいて、こわかった……」
弱々しく言い、隻眼の騎士に「よしよし」と頭を撫でてもらうと満足する。母上だと「虫なんぞを恐れてどうする!」って特訓に発展しそうだけど、隻眼の騎士は慰めて甘やかしてくれるから嬉しい。
「ミル、暑いだろう。雪をやろうか」
「雪?」
雪を私にくれるって、夏なのに?
こてんと小首を傾げると、隻眼の騎士は疑問に答えないまま小さく笑って廊下を進む。やがて裏戸から外に出ると、敷地内にある石造りの小屋の前で止まった。砦にはいくつか小屋があって、食料だったり武器だったりが入っているけど、ここは何が入っているんだろう?
隻眼の騎士が重そうな金属の扉を片手で開けると、暗い小屋に光が差し込む。そして見えたのは、真っ白な雪だった。
「雪だ!」
私はピンとしっぽを立てた。
「すごくたくさんある!」
小屋は大量の雪で埋まっていたのだ。
隻眼の騎士は笑って説明する。
「雪室と言うんだ。毎年、冬の間にここに雪を運び込んで貯めておく。そうすれば夏まで融けない。雪の中には野菜や芋、肉も埋めてあるし、飲み物を冷やしたい時には、ここから必要な分の雪を持っていく」
「へぇ」
天然の冷蔵庫にもなるし、氷代わりにも使えるんだ。
そして隻眼の騎士は小屋に入ると、貯蔵していた雪を小さなシャベルで削り、雪玉にして私にくれた。
「え? いいの?」
「夏の間は雪が恋しいだろうからな」
「ありがとう! でもすみかに帰れば雪はいっぱいあるよ。母上がふらせてるから」
「……そうだったな」
隻眼の騎士は自分のうっかりミスに苦笑いし、雪玉をどうしようかと迷っていたようだったので、私はそれをパクッと咥えてしっぽを振った。
「えも、うれひーよ(でも、うれしいよ)!」
そうして隻眼の騎士を遊びに誘い、雪玉が融けてなくなるまで、ボール投げをしてもらったのだった。




