精霊の親子(3)
くんくん鳴いて応援すると、ダフィネさんは私に向かって頷いてからまた父上との会話を再開させた。
「ウォートラスト、精霊が一か所に固まるのはよくないわ。ここにはクガルグもハイリリスもよく顔を見せに来るんだし、他国の人間にもその噂が届くかもしれない。そうすれば、この土地が精霊にとって魅力的なのだと考えて、人間たちが争いを始める可能性もあるのよ。あるいは精霊にしては人懐こいミルフィリアが、私たちの中心にいるという事実に気づくかもね。そうなればミルフィリアも狙われるのよ」
父上は深い湖のような目でダフィネさんを見て、真剣に話を聞いているようだった。
「あなたは周囲の事を気にしないし、人間の事にも疎いけど、そういう事も少し考えた方がいいと思うわ」
「…………」
父上はダフィネさんの言葉に反論する気はないみたいだった。けれど、ちらりと横目でウッドバウムを見る事も忘れない。
ウッドバウムは急いで言った。
「ぼ、ぼぼぼ僕、もう、体調も随分よくなった気がするし、そろそろここを出て行こうかなぁと、お、思っていたところで……」
「父上、ウッドバームをにらんじゃだめ」
「……睨んだつもりは、ない」
「じっと見ちゃだめ」
「そうか……」
父上は素直に目を閉じた。私は酔いが回ってうとうとし始めた母上の腕の中から、ウッドバウムに話しかける。
「ウッドバーム、まだちゃんと力を使えないんでしょ?」
毛並みは綺麗になってきたけど、さっきの食料庫での事を考えると完全には治ってないんだろう。
このままここを出て環境の悪い場所へ行けば、また憔悴してしまう。
「まだここにいた方がいいよ」
「でも……」
ウッドバウムは父上の事を気にしているみたい。と、そこでダフィネさんが口を開いた。
「それならあなたは、あなたの親のところへ行けば? 今はええと、ウッドバウムはあなただから、彼は幼名に戻したのよね。何だったかしら」
「ハドバウムだよ。父を知ってるの?」
「私は精霊の中では顔が広い方なのよ。ハドバウムも知ってる。けれど、あなたは何故初めから彼を頼らなかったの? 彼の住処の森も静養するにはいいところだと思うけれど」
「移動術が使えなかったから、飛べなかったんだ。それに僕はもう成人してるし、親を頼るなんて恥ずかしくて」
「こんな時には頼ればいいのよ。待っていて、私が一度ハドバウムと話をしてくるわ」
さくさくとウッドバウムとの会話を終わらせると、ダフィネさんは地面に溶けるように消えていく。頼りになるなぁ。
「父上、もう目を開けてもだいじょうぶだよ。ウッドバームがお父さんのところへ行ったら、もう、ふこーへーじゃなくなるよね?」
「……そうだな。公平だ……。私も住処に、帰ろう……」
よかった。砦の騎士たちも後ろであからさまにホッとしている。
と、父上が急に人型に変化してこちらへ向かって来たので何かと思った瞬間、ぐらりと母上の体が揺れた。
「わっぷ……!」
母上の腕の中にいた私も地面に倒れるかと思ったが、父上に母上ごと支えられて無事だった。
「母上? ねちゃったの?」
赤い顔をして気持ちよさそうに眠っている。
「随分、飲んだようだ……」
父上も母上の顔に視線を落として言った。
ウッドバウムはそんな私たちを見て、軽く首をひねる。
「やっぱり不思議だね。精霊が三人で親子をしているなんて」
私は人型に変化すると、笑顔で父上の胸に顔を擦りつけ、こう返す。
「ウッドバームもお父さんのところに戻ったら、こうやって甘えるといいよ」
「は、恥ずかしいよ」
ウッドバウムは茶色い毛皮の下で顔を赤らめたが、少しやってみようかなと考えているようだった。
すると思ったより早くダフィネさんが戻ってきたようで、地面が盛り上がって人の形を成していく。それはあっという間に黒いドレスの美女に変わった。
「話をつけてきたわ。ウッドバウムはまだ移動術が使えないというなら、私がハドバウムのところへ連れて行くわ」
「父さんは何て言ってた? 一人前になったはずの子どもが帰ってくるなんて、って思ってないかな」
「大丈夫よ。会うのは久しぶりだと喜んでいたわ」
「本当?」
ウッドバウムは嬉しそうに破顔した。いくつになっても親という存在は特別なのかな。
蹄で土を踏み、体を反転させると、ウッドバウムはまず騎士たちに顔を向けた。
「短い間だったけど、お世話になったね、ありがとう。人間には少し失望していたけど、君たちに出会えて印象が変わったよ。人間は何かを壊す事もできるけど、治したり癒やしたりする事もできるんだって」
にっこり笑って言うウッドバウムに、レッカさんが小さく頷きを返していた。
レッカさんもこの北の砦で心を癒やす事ができたのかな。砦のみんなの見た目は『癒やし』とは程遠いけど、中身は優しいもんね。
この土地のものを食べたりしながら、清浄な土地でゆっくり休む事もウッドバウムにとっては大事だったんだろうけど、人間への負の感情を捨てる事も回復には重要だったのかもしれないと、今、穏やかに輝いているウッドバウムの瞳を見て思った。
人間に失望をしただけで恨んではいないと、ウッドバウムは自分でそう思っているようだが、心の底では自己中心的な人間に対する怒りみたいなものが、本人も気づかないうちに溜まっていたのかも。
いつだったか、ウッドバウムが作り出した妖精が騎士をポコポコ攻撃した事もあったしね。
そしてその負の感情が病の元になっていたのではないかと思う。
そう考えると、ウッドバウムがこの北の砦で人間と接し、人間への印象を変えられた事はいい事だったんだろう。
この清浄な土地だけでなく、騎士のみんなのおかげもあって、ウッドバウムは短期間で元気になったのだ。
ウッドバウムは笑顔のまま続ける。
「完全に回復したら、僕でよければいつでも力を貸してあげるよ。砦に緑が欲しいなと思ったら呼んでね」
「いや、緑はもう十分……」
キックスがぼそりと言い、騎士のみんなも素早く頷いている。
ウッドバウムは次に、私に近づいて顔を寄せてきた。
「ミルフィリアもありがとう。ミルフィリアが人間たちと仲良くやっているのを見ていると、僕も心が和んだよ。楽しかった」
そう言って、鼻先を私のおでこにくっつけてぐりぐりする。
「ああ、離れたら寂しくなるな。クガルグと一緒に僕のところにも遊びに来てね」
「うん! かならず行くよ」
「絶対だよ」
いつまでもぐりぐりしているウッドバウムを父上が視線で牽制する。クガルグにはわりと寛容なのにウッドバウムには厳しいのは、彼が大人の精霊だからだろうか。
まさかウッドバウムを「ぱぱ」と呼んで親子ごっこをしていた事はバレていないと思うけど。
ウッドバウムはすごすごと後退して人の姿に変わると、ダフィネさんの隣に立った。
人の姿でもくせ毛の髪には艶が出て、服も綺麗になっているし、精霊らしい迫力も少しは出てきたみたい。憔悴していた時と違って瞳に力があって、派手さはないけど整った容姿には、つい目を止めてしまうような魅力がある。
「ありがとう、またね」
ウッドバウムはダフィネさんと一緒に、地面へ吸い込まれるように消えていった。
「ばいばーい!」
母上と一緒に父上に支えられたまま、手を上げて一生懸命振る。
ウッドバウムとダフィネさんがいなくなると、私は父上を見上げて言った。
「じゃあ、これから父上のすみかに行こう! 三人で、みずうみのほとりでのんびりするの」
母上はすでにすやすやと寝息を立てているけど、まぁいいや。
「そうしよう……」
父上は嬉しそうに、ほんのちょこっとだけ唇の端を持ち上げる。
これが最大級の笑顔みたいだ。




