精霊の親子(2)
「父上もみんなも、ちょっとまってて!」
私が小さな吹雪に変わっていくと、父上とこの場に残される事になるウッドバウムや騎士たちは、
「ミ、ミルフィリア、待って……!」
「おい、お前のおやじ……お父様どうすんだ、これ!」
と口々に言いながら焦り始めた。
「すぐにもどってくるから!」
完全に消えてしまう前に早口でそう言うと、私は母上のところへ飛んだ。
一瞬の暗転の後、スノウレア山の住処へ到着する。しかしほら穴の中には、母上の他に一人お客さんが来ていた。
ダフィネさんだ。
「あら、おかえりなさい、ミルフィリア」
「早かったな。母のもとへおいで」
二人は人の姿で、寝床の枯れ草の上に座ってお酒を飲んでいる。お酒は母上が地元の人たちから貢がれたものだろう。
しかし美女二人がこんなほら穴の中で地べたに座ってお酒を飲んでいるなんて、奇妙な光景だ。精霊のママ会でもしてたのかな。
私は顔の赤い母上にとてとてと近づいた。
あれ? 母上ってば、私が人型になった時と同じように白い耳としっぽが出てる。
「母上、あのね」
「ミルフィリアも飲むか? 美味いぞ」
母上は私の頭をなでなでしながら杯を口元に寄せてきた。お酒の匂いはあんまり好きじゃないので、鼻にシワを寄せて顔をしかめる。
「酔ってるわね、スノウレア。ミルフィリアには早いわよ」
ダフィネさんが母上を諌めてくれたが、
「ミルフィリア、わらわの可愛い子~」
ぎゅうう、と抱きしめられて頬を擦りつけられる。どれだけ飲んだんだろう。酔っ払っているから耳としっぽが出ちゃってるみたいだ。
「ふ、二人でなにはなしてたの?」
陽気にしっぽを揺らす母上に締めつけられながら、ダフィネさんに尋ねる。
「大した事は話してないわ。我が子がいかに可愛いかという話を酒の肴に飲んでいただけ。そうしたらスノウレアはお酒が進み過ぎてしまったみたいね」
「ミルフィリア~。わらわの可愛い子~」
母上はべろんべろんになって、同じ言葉を繰り返していた。
「母上、くるじい……」
本人は無意識だろうけど、首に回った母上の腕が私を絞め殺しにかかっている。
しかし次の瞬間にはその腕は離れ、母上はダフィネさんに差し出すように私の体を持ち上げた。
「見よ、ダフィネ! わらわの子を! 可愛いじゃろう!」
「ええ、見てるわ。可愛いのも知ってる」
「もっとよく見よ。そなたが可愛いと思っている百倍は可愛いのじゃぞ」
母上がぐいぐい押すので、私の鼻とダフィネさんの鼻がくっついた。ダフィネさんは困り顔で顔をずらし、私の鼻先を撫でる。
「もう。スノウレアって酔うと面倒ね。そういえばミルフィリア、この前相談しに来た件はどうなったの?」
「どうしてわらわの子はこんなにも愛らしいのじゃ。食べてしまいたい……」
再びぎゅううと抱きしめられて、私は母上の腕に埋もれる。
「あ、それはもうかいけつしたの。ありがとう! 二人は仲よくしてる。でもいまはほかに困ったことがあって……うぐっ、ははうえ……」
「スノウレア、ミルフィリアが苦しそうよ」
「何!? どうしたのじゃミルフィリア!」
ガクガクと揺さぶられながら、もうどうしようかなこれと、私は遠い目で住処の天井を見つめた。
だけどここで諦めては北の砦が大変な事になるので、母上の事は諦めてダフィネさんに事情を話す。
「あのね、父上が今、北のとりでにいるの」
「あら、ウォートラストが住処の湖から出てくるなんて珍しいわね。何かあったの?」
「それが、父上はずっと北のとりでに住むつもりみたい」
ダフィネさんはそこで怪訝な顔をする。
「住処を砦に移すって事?」
「うん、わたしの近くにいたいんだって」
最近父上のところへ遊びに行けてなかった事や、父上はそれを寂しがってこちらへ来てしまった事などを簡単に説明すると、ダフィネさんは元々垂れ気味の眉をさらに垂らし、苦笑いする。
「困った精霊ね、ウォートラストは。私たちの誰より年上だというのに」
「ウォートラストめ。わらわからミルフィリアを奪おうとしておるな!」
「だ、だれもそんなこと言ってないよー!」
「そんな事は許さぬぞ!」
「まってよ、母上」
私が落ち着かせようとする間もなく、母上は移動術を使ってどこかへ飛ぼうとしていた。たぶん父上のところだ。
「わーん! ダフィネさんもきてー!」
父上と酔った母上の相手は私一人じゃ手に負えないよ! と助けを求めると、ダフィネさんは疲れたような顔をして、
「ええ、分かってるわ」
と、まだお酒の残っている杯を置いたのだった。
えっと、親子で迷惑をかけてごめんね。
北の砦へ戻ると、意外にも何人かの騎士たちは父上に近づいていて、何やら話をしている最中だった。
「それでですね、クガルグのやつは遊びに来るといつも娘さんにベタベタひっつきやがってですね」
「ミルにはまだ彼氏なんて早いと思うんですよね」
「そこんところ、お父様からもクガルグにビシっと言ってやってくださいよ」
眠そうな父上に、何を吹き込んでいるんだ!
きゃんきゃん吠えると、みんな私が帰って来た事に気づいたようだった。
据わった目をしてしっぽを好戦的に揺らす母上と、隣にいる褐色の美女にも。
「おお……美人が二人」
「目に焼きつけておかないと」
ティーナさんやレッカさん以外の女の人に飢えている騎士たちは、まばたきをやめて目を見開いている。
一方で支団長さんは二人が人の姿である事にがっかりしたようで、分かりやすく残念そうな顔をしていた。支団長さんはブレないな。
騎士たちが下がると、母上は私を抱っこしたまま、つかつかと父上のもとへ近づいていく。
「ウォートラスト! 貴様こんなところで何をしておる! この辺りはわらわの縄張りじゃぞ!」
「スノウレア、か……。酒臭い……」
父上は赤い舌を出して言った。
ヘビは舌で匂いを感知するらしい。
「わらわの質問に答えよ! わらわからミルフィリアを奪うつもりなのであろう!」
言いながら、吹雪を巻き起こして父上にぶつけている。
父上は顔を凍らせられながら、スヤァ……と安らかに目を閉じていった。
「わー、母上! 父上が冬眠しちゃう!」
やめてやめて!
「スノウレア、ちょっと落ち着いて。ウォートラストも少しは抵抗しなさいよ」
ダフィネさんに言われて、母上は目を据わらせたまま吹雪を止めた。父上はきゅんきゅん鳴く私の声に反応してまぶたを持ち上げる。鱗の上で凍りついていた雪がパリパリと落ちた。
ダフィネさんは腕を組んでいた姿勢から、片手を顎に当てて困った顔をする。
「全く、どうしようかしら。ウォートラストはもとの住処へ帰るつもりはないの?」
「……お前は、誰だ?」
父上はダフィネさんをじっと見てそんな事を言うので、
「ダフィネよ! 地の精霊の! 何度か会った事あるでしょう!」
これには温厚なダフィネさんも声を荒らげた。春にも会ってるもんね。父上ってば本当に周りの事に興味が無いんだから。
「そうか……」
単調な声で言う父上に、ダフィネさんは片手を自分のこめかみに当てた。
諦めないで! 頑張って!




