精霊の親子(1)
騎士のみんなが斧で扉を破壊しようしているが、蔓が太くてなかなか大変なようだ。そこで、外からキックスがこう呼びかけてきた。
「ウッドバウム! お前が出したもんなんだから、お前の力でこの木というか蔓というか、消せないのかよ」
ウッドバウムは少し首を傾げて考えてから言う。
「どうだろう、できるかな。やってみるよ」
集中すると、ズザザザと蔓が動く音がした。
成功したかな? と思ったけど違ったようだ。
「待て。やめてくれ。増えていってる」
キックスが慌てて言った。
それでも腕力と体力だけはある北の砦の騎士たちなので、それほど待たずに蔓ごと扉は壊され、私たち四人は脱出する事ができた。
ウッドバウムが先頭で外へ出ると、私もレッカさんに抱かれたままそれに続いた。
レッカさんは暗所恐怖症や閉所恐怖症の症状は見せずに普段通り落ち着いているが、私やティーナさんはネズミに遭遇した恐怖もあって、まだ顔がこわばっている。
「ミル、大丈夫か?」
隻眼の騎士に尋ねられ、「うん」と弱々しく答える。後ろの方には支団長さんがいるのも見えた。ハラハラと心配そうな顔でこっちを見ている。
キックスは半泣きの私の頭をぐしゃぐしゃ撫でた後、目を赤くしているティーナさんにたじろいでいた。
「なんだよ、ティーナまで涙目で」
「だって、中にネズミがいたんだもの」
「こわかった……」
思い出して震えながら二人で言うと、キックスはこう返してきた。
「二人だけで閉じ込められたんじゃなくてよかったな。頼りになるレッカが一緒に中にいて」
キックスにとっては何気ない一言だったんだろうけど、それはレッカさんにとっては自信になる言葉だったようだ。ティーナさんや私、ウッドバウムに向けて、ひそかに、けれど嬉しそうに笑う。
「あ、妖精様が……」
そして妖精も、もうレッカさんは大丈夫だと思ったのか、太陽の光に溶けて消えていったのだった。
これで一件落着と思った私だったが、そこでふと水の気配を感じて振り返った。
あれ? この感じはまさか? いや、でも……。
頭の中で考えつつ、レッカさんに地面へ下ろしてもらうと、急いで走り出す。
「ミル?」
「ミル様、どこへ?」
私が向かったのは、砦にある池だった。
魚が泳いでいるような風情のあるものではなく、除雪した雪を溶かすための人工的な四角い池だ。そして私にとっては、野犬に追いかけられてやむなく真冬にダイブしたトラウマ池でもある。
ここを目指して来たというよりは、水の気配を追ってきたらここに着いたのだが、予想していた通り、池は普段のひっそりとした佇まいではなくなっていた。
それほど広くはない池の中に、薄い水色の大蛇がみっしりと詰まっていたのだから。
「父上!」
父上の大きくて長い体は池には半分も収まっておらず、上半身ははみ出ている。そして元々池に溜まっていた水は溢れ、周りの地面は水浸しになっていた。
私を追ってやって来たウッドバウムや砦のみんなも、巨大なヘビを目に映して驚愕している。隻眼の騎士や支団長さん、キックスやティーナさんも、大蛇姿の父上を見るのは初めてだったはず。
みんなは一瞬、巨大なヘビを前に本能的に斧を構えたので、私は慌てて説明しながら駆け回った。
「わたしの父上だよ、ころさないで! 大きいけど、こわくないよ!」
動きもゆっくりだから危険じゃないよ。
「ミルの? という事は水の精霊か」
「でけー」
みんなが斧を下ろしたのを見て、私は改めて父上に向き直る。
「父上、どうしたの?」
ぴちゃぴちゃと音を鳴らしながら水溜りの中を進み、半開きだけどそれでも大きい父上の目を見上げて尋ねた。
父上はチロッと二股の舌を出し――私にとってはチロッとどころの大きさではないけれど――淡々と話す。
「私も今日から……ここに住もうかと……思ってな」
「え?」
思わず声を上げたが、私よりも騎士たちの方が「えぇー!?」と叫びたい気分だろう。みんな父上に遠慮して黙っているけど、顔が引きつっている。
父上は人間を襲ったりしないし、基本死んだように眠って動かないけど、こんな巨大なヘビがずっと砦にいたら大変だ。精霊だからというより普通に邪魔だもん。鹿であるウッドバウムが庭の端にいるのとはわけが違う。
私はなんとか説得を試みようとした。後ろからも『お父様には丁重にお帰りいただきなさい』という騎士たちからの圧力を感じる。
「父上、父上がここにすむのはムリだよ」
「…………」
私がじっと見つめると、父上は聞こえなかったふりをして、ゆっくりとまぶたを閉じた。
「寝ちゃだめ!」
片手を持ち上げてバシバシ叩く。体の大きい父上にはこれくらいしないと気づいてもらえない。
「父上だってこんなせまいところはいやでしょ? もとの広い湖にもどろうよ」
私がそう言うと、父上は片方の目を開いて、私の後ろにいたウッドバウムをじろりと見た。目の動きまでゆっくりだ。
ウッドバウムは父上が怖いのか、草食動物らしく「ひぃ」と肩を震わせる。
「何故、木の精霊がここにいるのに……私は、いてはいけない……」
「だってそれは、えっと、ウッドバームはびょうきだから」
私がそう答えても、父上は納得してくれなかったみたいだ。不満そうな声で続ける。
「……ミルフィリアは、毎日、私のところへ、遊びに来る……そういう約束なのに…………来ない。だから私が、来た……」
えー、そんな約束してたっけ、と冷や汗をかく。確かに今までは基本的に毎日父上のところへ遊びに行っていて、それが習慣になっていたけど。
だけど最近は、レッカさんやウッドバウムの様子を見るために砦にいる時間が増えたので、父上のところへはなかなか行けなかったのも確かだ。
前に父上のところへ遊びに行った時にも肉球を揉まれながら視線で訴えられたけど、どうしてもレッカさんたちの事を優先してしまって、その後もやっぱり行けなかった日が多かった。
だから父上は寂しかったのかも。
「ミルフィリア……」
父上は口の中から、コロンと何かを落とした。
水溜りの中に落ちて濡れてしまったそれに鼻を寄せ、匂いを嗅ぐ。いや、匂いを嗅ぐまでもなく何なのかは分かっていたけど。
「鹿のつの?」
雄鹿の角は毎年生え変わるものらしく、繁殖期を過ぎて役目を終えた角がたまに森の中に落っこちている時があるのだ。私も前にスノウレア山で拾った事があるが、父上も自分の住処近くの森で拾ってきたんだろう。
だけどウッドバウムは父上が鹿を食べて角だけ消化されなかったんだと勘違いして、「ひぃぃ!」と後退していった。
「前に……鹿の角を見つけたんだと……嬉しそうに、話していただろう」
「じゃあこれ、わたしに?」
父上は頷く代わりに一度まばたきをした。
「ありがとう……」
私は何を貰ったら喜ぶだろうと考えて、父上が鹿の角やドングリを一生懸命探している姿を思い浮かべてちょっとしんみりした。
毎日遊びに行かなくて、悪い事した気分。
「父上、これからはなるべく毎日あそびにいくからね。つのとかどんぐりとかくれなくても、わたしは父上に会いたいから父上のところにいくよ」
見上げてそう言うと、いつもは感情が読めない父上の瞳が感動したように少し揺らいだ。
「だからね、いつもの住処にもどって。きょうも後であそびにいくから。ね?」
私が懇願すると、父上はゆっくりと口を持ち上げて答える。
「……嫌だ……」
父上! ここは「分かった」って言うところなの!
「父親でもない木の精霊が……ここに……ミルフィリアの住処近くに、いるのに……父親である私が、遠く離れたところで暮らさねばならないのは……不公平だし……おかしい」
私はムムムと眉根を寄せた。これは困ったぞ。
父上は意外と頑固なようだ。私だけじゃ説得できないかも。
かと言って、ちらっと後ろを見てみても、ウッドバウムは父上が襲ってきやしないかと怯えているし、騎士たちは『こっちに振るなよ』という目で私を見ているし、隻眼の騎士や支団長さんも父上には強く言えないだろう。
……よし。母上を呼ぼう。




