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北の砦にて 新しい季節 ~転生して、もふもふ子ギツネな雪の精霊になりました~  作者: 三国司
第三部・あたらしいなかま

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ハミガキ

「わかった、あしたね! わたしもついて行く」


 片方の前足を上げて挙手をしたところで、砦の中からキックスが姿を現した。


「ティーナとレッカが二人して仕事サボってる」


 キックスは何故か左足は素足で、ブーツは手に持って歩いている。今の話を聞かれたかと一瞬ひやっとしたが、キックスは特に訝しがっている様子はなく、こう言った。


「四人で何話してたんだ? 最近仲いいよな」

「サボってないったら! 少し話をしてただけ。それに私たちは前から仲良しだもの」


 ティーナさんは私を抱き上げて言うと、キックスはからかうような口調で返した。


「へー、ティーナの長いお喋りに付き合ってあげるなんて、レッカもウッドバウムも優しいんだな」


 ……私は? 優しい人として、私の名前を言い忘れているようだけど? 

 ティーナさんの腕の中から前足を伸ばし、キックスをトントンと叩こうとする。


「もう! 長いお喋りなんてしていません!」


 べー、とティーナさんは舌を出した。可愛い。

 仲がいい二人の遠慮のないやり取りに笑いをこぼしつつ、レッカさんは尋ねる。


「それで? キックスはブーツをどうしたんだ? また馬糞を踏んだんじゃないだろうな」

「違うって」


 キックスは手に持ったブーツを掲げて説明する。


「見てこれ。靴底がめくれちゃってさ。新しいのどこにあるかレッカに聞きに来たんだ」


 確かに靴底は半分ほどベロンと剥がれていた。


「私に? 何故私に訊くんだ。キックスの方が詳しいだろう。私より長くここにいるんだから」

「いや、俺はそういうの知らない」


 レッカさんはため息をついて、だけど頼られて嬉しそうな声で答えた。


「備品室に置いてある。管理してるのはロドスさんだから、ちゃんと声をかけてから貰ってくるんだぞ」

「うぃー」


 キックスは変な返事をして、ひらひら手を振りながら離れていく。

 私はその後姿を目で追いながら、レッカさんとティーナさんが「困ったやつだ」「同感です」などと言い合っているのを聞いていた。

 しかしそこでふと目線を上げ、ハッとする。

 砦の二階の窓に隻眼の騎士がいて、こっちを見下ろしていたからだ。


 私と目が合うと、こちらへ軽く笑いかけてから奥へ消えていった。いつからあそこにいたのかな。

 私がもぞもぞ動くと、ティーナさんは地面に下ろしてくれた。


「どうしたの? ミルちゃん」

「ちょっと用事おもいだしたの! じゃあ、あしたね!」


 とみんなに声をかけてから、砦の中へ入る。階段を駆け上がって廊下を走るが、隻眼の騎士の姿はそこにはない。


「せきがんのきしー!」


 名前を呼んでも反応はなし。


「せきがんのきしー!」


 返ってくるのは、石の廊下に反響した自分の声だけ。

 仕方がないので作戦を変え、きゅんきゅんと高い声を上げる。寂しげに鳴き続けていると、十秒と経たずに隻眼の騎士は廊下の角から顔を出し、こちらへ戻ってきた。


「ミルには勝てないな」


 私を抱っこして、困ったように笑う。

 知ってるんだよ。レッカさんの弱点が暗闇や狭い場所だとしたら、隻眼の騎士の弱点はきっと私だ。鉄人にだって弱みはある。

 私は隻眼の騎士を真っ直ぐ見つめて尋ねた。


「せきがんのきし、どこまで気づいてるの? レッカさんのこと」

「……なんとなくは。前にも言ったが、注意して様子を見ていたからな」


 さすが隻眼の騎士。


「だが、段々と改善されていってるんだろう? いつ口を挟むべきかと見守っていたが、出番はなさそうだな」


 言いながら、隻眼の騎士は私を肩に乗せ、自分の執務室へ足を進めた。


「うん、今はじゅんちょうだよ」


 進行方向とは顔の向きが逆になっているので、首を曲げながら答える。


「そうか。明日も上手くいくといいな」

「うん」


 というか、明日の事もやっぱり把握されていたのね。

 話しながら歩いているうちに隻眼の騎士の執務室に着くと、私は一旦机の上に置かれた。隻眼の騎士は机の引き出しを開けて何やらごそごそしているので、私も首を伸ばして中を覗く。


「準備していたんだがどこへやったかな……ああ、あった」


 隻眼の騎士が探していたのは、小さい包みだった。それを机に置いて広げると、中には適当な大きさに切られた白いガーゼがいくつも重なっていた。

 私は首を傾げてそれを観察する。穴が空くほど見つめても匂いを嗅いでみても、やはりそれはなんの変哲もないただのガーゼだ。


「けがしたの?」


 ガーゼの大きさからいって傷は小さいだろうけど、心配になった。

 だけど隻眼の騎士は首を振る。


「いいや。これはミルに使うんだ」

「わたしに? でも、けがしてないよ」


 反対側にこてんと首を傾げると、隻眼の騎士は笑って答えた。


「歯を磨くのに使うんだ」

「は……みがき?」


 素直なしっぽが徐々に下がっていく。

 私の中の子ギツネは歯磨きを嫌なイベントと捉えたようで、それを回避するべく言い訳を考え出した。


「でも、わたし、キツネだよ」

「ミルは野生のキツネと違って甘いものも食べるから虫歯になるんじゃないかと、支団長が――というか支団長の父親であるカレイン公爵が言っていたらしい。手紙で」

「てがみ?」


 まさか前に私が支団長さんに運んだ手紙の事じゃないだろうな。

 自分にとって不都合な情報が書いてあるものを自ら届け、支団長さんに読むように勧めてしまったのか、私は。


「どうやら最近、貴族たちの間では、ペットにも歯磨きが必要だという認識になってきているようだ」

「で、でも、今まで歯みがきしてなかったけどつるつるだし、むし歯もぜんぜん、ぜんぜんないし」


 全然を二回入れて大丈夫だった事を強調する。

 しかし隻眼の騎士は無情だった。


「今までは大丈夫でも、これからも放っておいたら口の中が病気になるかもしれないぞ。そうすればウッドバウムみたいに休養するだけでは治らない。歯を抜かなきゃいけなくなるかもしれないな」


 それは……嫌だ。前世でも歯医者さんに行くのは怖かったのに、日本より医療レベルが低いこの世界で抜歯なんて、考えただけでしっぽが丸まっていく。


「ほら、大丈夫だ。歯を磨くだけなら何も痛くない」

「どうしてしだんちょうさんじゃなく、せきがんのきしがするの?」


 別に隻眼の騎士だから嫌っていう事ではなく、歯磨き情報を得たのは支団長さんなのに、どうして自分で私の歯磨きをしようと思わなかったんだろう。面倒だったのかな。

 だけど隻眼の騎士は私のその考えを否定するように苦笑いした。


「支団長はミルの虫歯を心配しているが、歯磨きをするとミルに嫌われるんじゃないかと、そっちも心配なようだ。それで俺に役目が回ってきた」


 支団長さんが隻眼の騎士に相談し、隻眼の騎士が歯磨き役を引き受けたという事か。


「今は犬用の小さい歯ブラシもあるらしいぞ。今日は間に合わなかったが、そのうちミル用のものを支団長が買ってくれるだろう」


 そんなもの特注しなくていいよ!

 隻眼の騎士は喋りながらも、椅子に座って着々と歯磨きの準備を進めていった。隻眼の騎士の方に私の後ろ足が来るようにして、自分の膝の上に私を仰向けに寝かせ、歯磨きしやすいようにセットする。

 やだな。痛くないって分かってるけど、何かやだな。


 ガーゼを巻きつけた隻眼の騎士の指が私の口へと伸びてきたので、前足で掴んで最後の抵抗を試みる。

 しかし隻眼の騎士は私の前足をやんわりと片手でどけて、困った顔をする。


「頑張れ、これが終わったらジャーキーだ」


 すぐにジャーキーで釣ろうとするんだから。

 口を割って指が入ってきたかと思うと、小さな牙をこすられる。ガーゼが口の中にあるのって気持ち悪い。もがもが言いながら、再び前足を駆使して抵抗を始める。


「ミル、足と、あと舌をそんなに動かさないでくれ」


 そんな事言われたって、口の中に何かが入ってきたら、それが食べ物じゃなくても自動的にペロペロ舐めてしまう設定になってるんだもん、私の口は。

 私の事を心配してくれたんだというのは分かっているけど、歯磨きの事をわざわざ手紙に書いて送ってきた支団長さんのお父さんに心の中で恨み言を言いながら、私は耐えた。歯磨きは別に痛くも苦しくもないんだけど、気持ちよくも楽しくもないからだ。


 だけど終わってからご褒美にジャーキーを一つもらうと、それだけで私は「やったー!」と喜んでしまったので、やっぱり隻眼の騎士が何でもジャーキーで釣ろうとするのは正しかったみたいだ。

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