ゆっくり、マイペースで
今日はいつもより早い時間に砦へ向かう事にした。が、昼の休憩時間まではまだ時間があるし、隻眼の騎士も仕事中で忙しいだろうから、ウッドバウムを目指して移動してみる事にする。
「あ、ミルフィリア」
ウッドバウムはいつもの木陰に座ってくつろいでいた。
「ウッドバーム……あれ? 葉っぱが」
私はウッドバウムの角を見て言った。そこに繁っていた赤い葉が、いつの間にかほとんど落ちてなくなっていたのだ。
「もう秋は終わりだからね」
「そっかぁ」
私は首を伸ばして空を見上げた。秋の終わりってどうしてこんなに寂しい気分になるんだろ。
だけど、雪の季節が迫ってきているかと思うと嬉しくもなる。山頂に降る雪はさらっとしているけど、この辺りに降る雪はもう少し水分が多くて、踏むと硬く固まるのが楽しい。
私が妄想で雪を楽しんでいると、ウッドバウムは神妙な顔をして話を変えた。
「ところでミルフィリア、この砦の支団長の事だけど」
「ん? しだんちょうさんがどうかした?」
「彼も何かの病なのかと思って」
「え、しだんちょうさんが!?」
私はピンと耳を立てた。そんな話聞いてない。
どうしてそう思ったのかと尋ねると、ウッドバウムは複雑な表情で説明する。
「実は今日の朝早く、目を覚ましたらここに彼がいて」
ウッドバウムは立ち上がると、蹄で自分の目の前の地面を叩いた。
「生気のない、とても憔悴した顔をしていたんだけど」
「ええ!? ほんとに?」
私は右へ行ったり左へ行ったり、そわそわと動き回った。
「その様子が尋常じゃなかったから、僕もどうしたんだろうと声をかけようとしたら――」
「したら?」
「突然抱きつかれて」
困ったようにウッドバウムが言う。
私はピタッと動きを止めた。
「だき?」
つかれた?
「そして、その後はふらふらと馬小屋の方へ向かっていったよ。あの人、一体どうしたのかな」
「……それ、びょーきじゃないよ」
心配そうに言うウッドバウムに、私は緩く首を振った。ある意味、病気だけど。
今日は演習で負けた支団長さんチームのみんなが、私に触れなくなってから五日目。つまり最終日で、支団長さんの憔悴っぷりも極まってきているのだろう。心配だ。
「だけど明日にはげんきになるから、だいじょうぶ」
「そうなの? それならいいけど。ちょっと怖かったから」
支団長さんはよっぽど鬼気迫った様子だったのかもしれない。
「おいで、ミルフィリア。一緒に散歩しよう」
気を取り直してウッドバウムが言う。私は喜んでお供をした。
ウッドバウムは散歩中に無駄なお喋りをしないし歩調もゆっくりなので、それに合わせていると歩きながら眠ってしまいそうになる。ウッドバウムの蹄が草を踏む音が、一定のテンポを保っていて心地いいのだ。
私は一度止まってぐっと伸びをすると、ウッドバウムを抜いて一人で駆け出した。そして少し距離が空いたら止まって振り返って待ち、追いつかれたらまた走るを繰り返した。前も同じような事をやったな。
そうすると砦の裏手へ来たところで、これまた前と同じように、そこにあった裏戸が勢いよく開いた。
「わっ! また!」
中から出てきたのもレッカさんだ。肩に妖精を乗せたまま冷や汗をびっしょりかいて、青い顔をしている。今回もスクワットを始めようとしたレッカさんに声をかけた。
「レッカさん、だいじょうぶ?」
「ミル様……!」
「ここでなにしてるの?」
この扉の奥の廊下は砦らしい狭い通路だ。砦の大きな騎士が二人並んで歩くのは微妙に厳しいという程度だが、上下左右を石で囲まれているため圧迫感がある。
「実は仕事の件でティーナを探していたんですが、探すついでに恐怖症克服の訓練もしようと、あえてこの廊下を通ってみたんです。そしたらやっぱり駄目で……」
通り抜ける事ができず、途中で扉から外に出てリタイアしてしまった、という事みたいだ。
ちなみに前回の時は、ティーナさんに「私、紙とペンを忘れてしまったので、レッカさんはこの先の裏口から先に外へ出ていてください」と言われてしまったので、この廊下を進まざるを得なかったらしい。
「ミル様、私は――」
レッカさんはしゃがんで私に触れようとしたけれど、ギリギリのところで我に返って手を引っ込めた。レッカさんも演習では支団長さんと同じ防衛チームだったのだ。
そういえば同じく防衛側だったキックスも支団長さんがあんな状態でも頑張っているからか、ちゃんと接触禁止を守っているし、他の騎士たちもそうだ。
みんな真面目で素晴らしいけど、ちょっと明日が怖くもある。絶対、春におつかいから帰ってきた時の二の舞いになるじゃないか。
私が明日の心配をしているうちに、レッカさんは立ち上がると、自分に失望している様子で言った。
「私は、自分が情けないです」
「あ、レッカさん!」
この場から立ち去ろうとするレッカさんを追ったが、やっぱり足が速くて追いつけなかった。
子ギツネ相手に全速力で走るのやめてよ!
翌日、私は砦で荒れていた。
今日は演習で負けた騎士たちにとって私が触り放題になる解禁日なので、行く先々で襲われるのだ。
感情がこもっているがゆえに撫で方も激しいので、予想していた通りに毛が乱れ、逆立ち、ボサボサになる。しっぽやお腹、耳や肉球も触ろうとしてくるし、でも拒否したら可哀想かもとも思ってしまって嫌だと言えない。
なので私はウッドバウムのいる木陰まで逃げてくると、ティーナさんにもらった潰れまんじゅう、もとい小鳥のぬいぐるみを持ってきて、それに溜まった鬱憤をぶつけていた。
ぬいぐるみに噛みつき、ぐるぐる唸りながら振り回すのだ。
そしてそれが終わると前足でぬいぐるみを固定して、ガジガジと小さな牙を突き立て、引っ張る。一旦離れると、ジャンプしながら飛びつき、また噛みついてブンブン振り回した。
「激しい遊びだね」
だけど元気でいいねと、ウッドバウムはにこにこしながら言った。
「あ、ミルフィリア、騎士が来たよ」
私が荒れている原因を知っているウッドバウムは、前を見てそう忠告してくれた。私は逃げ出す体勢を取りながらそちらの方向を確認する。
やって来たのは、支団長さんだった。他の騎士たちよりさらにお触りを拒否しにくい人が来てしまった。
私は逃げるのを諦めて、無言で迫ってくる支団長さんに大人しく抱き上げられた。
しかし支団長さんはこの場で私を撫でる事はせず、他の騎士たちの視線を気にして辺りを見回すと、ウッドバウムに「昨日と今朝は失礼しました」と謝ってから、早足で私を誘拐する。
……今朝もウッドバウムに抱きつきに来ていたのか。
砦の裏手まで来ると、そこでも周囲を確認して誰もいないと分かってから、
「ミル……!」
と、支団長さんは私を抱きしめた。
それからの事はもう、説明する必要もない。ひたすら撫でられて、時々毛皮に顔をうずめられたり、匂いを嗅がれたりするだけである。
どれくらいで終わるかなぁ。十分くらいで終わってくれると有り難いけど無理だろうなぁ。なんて考えながらひたすら待つ。
案の定、十分では終わらなかったので、私は顔を撫でてくる支団長さんの手をやんわりと噛んで、解放要求を出した。しかし支団長さんは甘噛みすらも嬉しいようで喜んで手を差し出してくるのでこの人はもう駄目だ。
永遠に終わらないかに思えたなでなで地獄だったが、意外な形で中断を余儀なくされた。
すぐ近くにあった裏戸が突然開いて、中からレッカさんが転がり出てきたのだ。
おそらくまた恐怖症克服の訓練をしていたのだろう、緊張からはぁはぁと息を乱しているレッカさんと、興奮で呼吸を荒らげていた支団長さんが、お互いの存在に気づいて一瞬空気が止まる。
レッカさんについていた妖精だけがふよふよと漂って動く中、レッカさんは支団長さんの格好にびっくりして目を丸くしていた。
支団長さんは地面に膝をついて上半身を丸め、私のお腹に顔をうずめようとしていたところだったのだ。
「……」
「……」
長い時間が過ぎたような気がするけど、実際にはほんの二、三秒の間の出来事だったのだろう。支団長さんはスッと顔を引き締めて氷の仮面を装着すると、上品な所作で立ち上がった。
乱れていた黒髪を耳にかけ、何事もなかったような顔をして冷静な瞳でレッカさんを見る。
「レッカか。どうした?」
レッカさんは困惑しながら答える。
「いや、それはこちらの台詞です」
砦のみんなは気づいていて知らないふりをしている支団長さんの本当の姿に、レッカさんはまだ気づいていなかったみたいで、結構な衝撃を受けている。
支団長さんはさすがに恥ずかしくなったのか、わずかに目をすがめて顔を逸らすと、レッカさんに「何でもない」と言い残し、足早にここから去っていってしまった。
仰向けに転がっている私を置いて。
「ミル様……」
どうしていいか分からなかったらしいレッカさんは、支団長さんの後ろ姿を見送った後、答えを求めて、地面に転がっている私を見た。
私はお腹を見せたまま答える。
「しだんちょうさんにも、ひみつの一面があるってことだよ」
「あのクロムウェル支団長が……」
「びっくりした?」
「はい、でも……少しホッとしました」
そこで唇をほころばせると、レッカさんは続けた。
「完璧に見えた支団長にも、ああいう親しみやすい一面があったんですね」
「そうだよ、にんげんだもん。かんぺきな人なんてどこにもいないよ、きっと」
レッカさんは私の言葉に頷き、すっきりした顔で言う。
「そうですね。私も今ので少し肩の力が抜けました」
「よかった。レッカさんはがんばりすぎだもん。ね、こっちに来て!」
起き上がると、私はレッカさんをウッドバウムのところへ連れて行った。木陰で座っているウッドバウムは、首や頭をぺたんと地面につけて、すやすやと眠っている。いつもはきちんと折りたたまれている四本の足も、リラックスしているせいか、今は崩れて体の下からはみ出ていた。
「ウッドバームをみて」
私は少し離れたところからウッドバウムを見つつ、レッカさんに言った。
「びょうきを治さなきゃいけないけど、すごくのんびりしてるでしょ。もちろんのんびり休むことが治すことに繋がるからいいんだけど、変にあせったりしてないよね?」
レッカさんに足りないのは、あのマイペースさだ。
ウッドバウムはこの砦に居候しているような形だけど、世話をしてくれる騎士たちに感謝しながらも、必要以上に遠慮する事はない。自分のペースで休んだり、一人で自由に散歩をしたりしている。
精霊だからか、周りの目をあまり気にしていないのだ。居候の身だから早く治らなくちゃとか、騎士たちに迷惑だから早く出ていなきゃとかいう、全く見当違いの心配はしていない。そんなところに余計な神経は使っていないのだ。
だから静養の成果も徐々に出てきていて、ごはんは一日二食から一食で平気になったし、艶がなくてボサボサだった毛並みにも美しさが戻ってきている。
力はまだ不安定なようだし、完治にはもう少し時間がかかるだろうけど、確実に回復してきているのだ。
「ウッドバームは自分のためにびょうきを治そうとしてる。レッカさんも自分のためにって考えてみたらどうかな」
仲間に仕事で迷惑をかけないように治さなきゃとか、ティーナさんやウッドバウム、私の期待に応えるために治さなきゃとか、レッカさんは周りを気にし過ぎている。
私はレッカさんを見上げて続けた。
「だいじょうぶだよ。どれだけ時間がかかったって、だれもあきれたりしないよ。ゆっくりやろうよ」
妖精が賛同するようにくるくる回る。レッカさんは眉を下げ、くしゃっと表情を緩ませると、泣きそうな顔で笑った。
「はい、そうします」
そして「もう接触禁止の五日は過ぎたので……」と言いながら、私の体を持ち上げてぎゅっと抱きしめた。お返しに耳の辺りを舐めるとくすぐったそうに笑いながら顔を離す。
「そういえば、さっきから気になっていたのですが、あれは……?」
レッカさんは私を抱いたまま、ウッドバウムの隣に落ちている潰れまんじゅうを指差した。
「あれ、ティーナさんにもらったの。レッカさんも知ってるでしょ? ティーナさんのベッドにいっぱいぬいぐるみが置いてあるの。ティーナさん、ぬいぐるみ作るのすきなんだよ」
「ああ、やっぱりティーナの」
レッカさんは複雑な表情をして潰れまんじゅうを眺め、そして言った。
「ティーナのあれも、意外な一面ですね。本人はあんなに可愛いのに、作り出すものは……」
それ以上は言うまいと、レッカさんはそこで言葉を切る。
「でも、それも彼女の魅力の一つかもしれませんね」
にっこり笑うレッカさんに、私も「うん!」と答えたのだった。




