砦の演習(2)
ウッドバウムは立ち上がると、支団長さんが出て行った扉を見て言う。
「騎士は大変だね。尊敬するけど、僕は人間になっても騎士にはなれそうもないな。誰とも戦いたくないからね」
「わたしも」
そこで改めて自分のいる机の上を見回すと、ピンクのリボンがついた籠が置いてあるのに気づいた。
ちょうど私が入るのによさそうな大きさで、底には綿を入れた布が張ってあり、ひらひらのフリルやレースで飾られている。
これはまさか、ハイリリスが言っていた例の籠なのでは?
ハイリリス用のを作った時に、私の分も一緒に作ってくれたんだろうか。
ちょっと装飾過剰な気もするけど、可愛いものは嫌いじゃない。隻眼の騎士の宿舎の部屋にも私用の籠があり、それは毛布を敷いてもらっただけというシンプルさが気に入ってるけど、こっちの籠も意外と寝心地はいいかもしれない。
中に入ってみようと、私はよいしょと右前足を持ち上げ、籠を跨い……また……跨げなかった。
籠はそれほど高さのあるものじゃないけど、私の足の短さでは片足ずつ入るのは無理だ。
ジャンプして入るしか残された道はないと、私は少し後ろに下がった。
一、二で助走をつけて、三でジャンプしようと頭の中で計算し、いざ足を踏み出す。
よし、行くぞ。せーの、
一、二の三っ!
タイミングは完璧だった。
しかし上手く入れたと思った瞬間、ピカピカに磨き上げられた机の上に乗っていた籠は、私が飛び込んだ勢いのまま机上をスーッと滑り、そのまま床へ真っ逆さまに落ちていった。
「きゃぅん!」
ごとんっ、と音が鳴って体を床にぶつける。籠は落下の途中でひっくり返っていたので、今は私の上に被さっている状態だ。
「え、えええッ……!? だ、大丈夫かい、ミルフィリアっ!」
まさかの結末に、一部始終を見ていたウッドバウムが慌てて駆け寄ってくる。
すごく痛い。けど、これくらい平気だ。と自分に言い聞かせた。私はお城の長い階段から落ちた事だってあるんだから。
あの経験が今、私を強くしてくれる!
ウッドバウムに近づこうと、私は籠を被ったまま立ち上がってガサガサと歩いた。体は完全に隠れているので、傍から見たら籠が生きて動いているみたいに見えるだろう。
「ミルフィリア、ちょっと待って……ほら」
ウッドバウムは人型になって籠を取ってくれた。でも、ちょうど私も手で籠を退けようと人型に変わったところだったので、ウッドバウムは中からキツネ耳の幼児が出てきた事に一瞬びっくりしたみたいだった。
「あれ? 人型になってる」
「うん」
「ティーナやレッカの部屋に泊まった時にも見たけど、そういえばもう人型に変われるんだね。こっちの姿でもやっぱり可愛いなぁ~!」
ウッドバウムは私を抱き上げると、ほっぺをぷにぷにと触ってきた。
「さっき、どこぶつけたの? 大丈夫?」
「だいじょーぶ。だってわたし、お城のかいだんから落っこちたこともあるし」
自分の武勇伝を語っていると、
「おや、始まったみたいだよ」
ウッドバウムは窓の外を見て言った。私の耳にもすぐに、自分や仲間を鼓舞するような騎士たちの雄叫びと、地面を蹴るたくさんの足音が聞こえてくる。
ウッドバウムの腕の中から上半身を乗り出し、窓を覗くと、下で騎士のみんなが戦っているのが見えた。
砦を囲む柵は高さがあり、登ろうとしても滑るので、隻眼の騎士が率いる攻撃チームは人間が土台となって仲間に柵を乗り越えてさせていた。勢いをつけて走ってくると、仲間を踏み台にして柵に飛びつき、よじ登って、内側に飛び降りるのだ。体が大きい人が多いのに、みんな結構身軽だ。
キックスは特に運動神経がいいからこういうの得意そうだけど、最初から内側にいたので、攻撃チームではなく防衛チームみたい。侵入してきた騎士たちを剣で迎え撃っている。
この窓からは見えない位置にいるのか、隻眼の騎士やティーナさん、レッカさんの姿は見当たらない。
「副長を止めろー!」
だけどどこからかそんな叫び声が聞こえてきたので、隻眼の騎士がいる何となくの方角は分かった。やっぱり無双しているのだろうか。
支団長室は静かだけど、その分周りの喧騒が大きく聞こえる。全員北の砦の騎士で、これは演習だって分かっていても手のひらに汗が滲んでくる。
「僕は見ているだけなのにドキドキしてしまうよ」
「わ、わたしも」
小心者二人、安全な支団長室でお互いを抱きしめながらそわそわと時間を過ごす。
やがて、どれくらい時間が経っただろうか、私の小さな手が緊張の汗でびちゃびちゃになったところで、部屋の前の廊下から支団長さんの声が聞こえてきた。
「早いな、グレイル」
そして間を置かずに、剣と剣がぶつかる音が響いてくる。
隻眼の騎士と支団長さんが戦っているのだ。訓練用の切れない剣を使っているはずだけど、音だけ聞いていると本気で戦っているみたいに迫力があった。
扉の前で待っていたいけど、行っちゃ駄目だと言われているので、はやる気持ちをどうにか抑える。
廊下での戦闘音はその間も続いていて、勝負は拮抗しているように思えた。
支団長さんは隻眼の騎士を目標にしていると言っていたから、二人を比べると隻眼の騎士の方が強いと思うんだけど、いい勝負をしているのかもしれない。剣がぶつかっている音はしばらく途切れなかった。
しかしやがて、決着は着いた。
どちらかの剣が折れたのだろう、一際高い金属音がして、廊下に剣が転がったようだった。
「馬鹿力が……」
聞こえてきたため息は支団長さんのものだ。という事は――
「せきがんのきし!」
静かに扉が開くと、隻眼の騎士は剣を鞘に収めてこちらへ歩いて来た。私はぶんぶんとしっぽを振って歓迎する。
「ミルフィリア、しっぽが取れちゃうよ」
ウッドバウムは私のしっぽの激しい動きを心配しながら、床に下ろしてくれた。
「せきがんのきしー!」
走りながら子ギツネに姿を変えて、しゃがんだ相手の胸に飛びつくと、わはー! と笑顔になる。
隻眼の騎士も私の大歓迎ぶりを笑いながら、
「迎えに来たぞ、ミル」
と言って私のおでこにキスをしたのだった。
あ、そこ、さっき支団長さんが……。
演習は無事に終わった。大きな怪我をした騎士もいないようで安心する。ウッドバウムはいつもの木陰に戻ると言うので、私も背中に乗って一緒について行った。
騎士のみんなは砦を回って、誰かが蹴り壊したらしい扉をはめ直したり、めくれた芝生を元に戻したりと、点検と修理を始めている。
と、人気のないところで、何やら揉めているティーナさんとレッカさんに出くわした。
「でも、心配で……」
「大丈夫だ、何も問題はない」
レッカさんの肩に乗っていた妖精が私に気づいてこっちへ飛んできたので、二人もふと顔を向ける。
「ティーナさん、レッカさん、どうかしたの?」
私はウッドバウムの首の後から顔を覗かせて尋ねた。
今度は一体何があったの?




