真夜中の部屋(2)
私はベッドに飛び乗ると、レッカさんの顔を覗き込んだ。暗くてよく見えないけど、前足で頬に触れると肉球にレッカさんの汗がついた。これはさっき腕立て伏せをしていたせいかな。それとも冷や汗?
私は様子のおかしいレッカさんを見つめながら、少し考えた。こんなに体を固くして緊張しているのは、蝋燭の灯りを消したせい?
「暗いところ、にがてなの?」
そっと声をかけると、レッカさんは目を見開いてこっちを見た。
「何故……分かったんですか?」
震える声で訊かれたので言い難いけど、私はこう答える。
「えっと、だれでも分かるとおもうよ」
するとレッカさんは恐怖の感情を顔に出して頭を起こし、私の前足を掴んだ。
「お願いです、誰にも言わないでください。暗闇が怖いなんて……こんな子どもみたいな事、みんなに知られるのは恥ずかしいんです。ティーナだって憧れの騎士がこんなだと分かったら、きっと失望する」
「そんなことないよ」
私だって暗いところは怖いよ、と言おうとしたけれど、子ギツネの私と一緒にしたらレッカさんはより恥ずかしいと思うかもと考えてやめた。人を励ますのは難しい。
「ミル様、お願いです」
「だいじょうぶ、言わないよ。レッカさんが言ってほしくないなら言わない」
私はレッカさんの頬を舐めて安心させた。レッカさんが一人部屋を望んだのは、誰かと同室だと部屋を明るくさせたまま寝る事ができないからだったのかな。
「ありがとうございます」
そう言うと、レッカさんはおもむろにベッドの上で腹筋を始めた。
何故、今!?
「なんで、ふっきん……?」
「体を鍛えていると、精神統一できる気がするんです。暗闇への恐怖がやわらぐというか」
高速で腹筋しながら言うので、ベッドがギシギシ鳴り始めた。
「ティーナさんがおきちゃうよ」
「それは困ります」
けれど筋トレをやめたら、レッカさんはまた震え出す。
「まって、ようせいを作ってあげる。ろうそくの光より明るいかも」
くしゃみが出そうにないので、まずは人型に変化する。
レッカさんを安心させてあげたいと思いながら小さな手のひらを見つめて集中すると、白い光がゆっくりと浮かび上がってきた。いつもの妖精より大きい。
しかもその妖精は忙しなくあちこちを飛び回る事もなく、レッカさんの隣でふわふわ浮かびながら彼女の顔を照らしている。
この落ち着いた穏やかな子は本当に私の妖精なのか、ちょっと不安になる。
「ミル様、これは……」
「わたしのようせいだよ、たぶん」
優秀過ぎるけど。
だけどおそらく、作り出す時に私がレッカさんの事を想ったから、いつもとは違う妖精が生まれてきたのかもしれない。
私はこの妖精に、レッカさんを安心させてという使命を与えていたのだ。
王都におつかいに行く時に母上が道案内の妖精を作ってくれたように、妖精には役割を持たせる事ができるのだと思い出した。
レッカさんは心囚われたように白い光を見つめて、そっと手を伸ばす。
すると妖精はくすぐったそうに一度震えた。
「綺麗です。こんな綺麗な光、見た事がありません」
レッカさんは暗闇への恐怖をつかの間忘れたようだった。
「ようせいがそばにいるから、きっと眠れるよ。わたしもそばにいるし」
ベッドの奥で人型のまま横になり、ポンポンと隣を叩いた。さぁ、寝よう。
レッカさんは少し笑って言われるままに寝転がる。
そうして、髪から肌から衣装まで真っ白な私を見つめ、静かに言った。
「ミル様も、まるで闇の中で淡く輝いているようです。精霊様にこんな事を言うのは失礼かもしれませんが、今の私にとっては天使のように見えます」
キツネ耳の付け根の辺りに手を置かれたので、私は頭を撫でてくれるつもりなんだなと期待して目をつぶる。人型の時でも撫でられるのは大好きだ。
けれどそれきりレッカさんの手は止まってしまったので、私は閉じたばかりのまぶたを持ち上げた。
「……ねてる」
レッカさんは妖精の光を受けながら、安心したようにすやすやと眠っていたのだ。なでなでしてもらえなかった事にはがっかりしてしまったが、ちゃんと眠れたのならよかった。
「朝までここにいてね」
声を潜めて妖精にお願いすると、妖精は分かったと言うように一度点滅した。
頭に置かれたままのレッカさんの手を掴んで動かし、セルフなでなでしていると、二段ベッドの上からだらりと長い髪が落ちてきた。
「ミルちゃん……」
「ひっ……!」
ティーナさんがベッドの二段目から顔だけ出して、一段目にいる私たちを見ていたのだが、生首みたいでびっくりした。
私はレッカさんがぐっすり眠っているのを確認して、そろりとベッドを下りた。ティーナさんも梯子を使って下へ降りてくる。
「ごめんね、ようせい眩しい?」
「いいえ、大丈夫よ。ぼうっと明るいだけだから」
「ティーナさん……。今のはなし、きいてた?」
私が尋ねると、ティーナさんは小さく頷いた。
「ええ……」
「ショックなの?」
ティーナさんが複雑そうな表情をしていたから、思わず訊いてしまった。憧れの人の弱い部分は知りたくなかったのだろうかと思ったのだ。
しかしティーナさんは私の質問にすぐに首を振り、はっきり言った。
「いいえ、そんな事ないわ。レッカさんに憧れる気持ちは変わらない。ただ、私に何かできる事はないかと考えていたの」
「そっか、ならよかった」
と私は安心して言った。そして続ける。
「レッカさんはどうして暗いのがこわいんだろう? 何かきっかけがあったのかな?」
「分からないわ」
真っ暗闇を怖がる人は多いと思うけど、レッカさんの反応は普通よりも酷い。暗闇に何かトラウマがあるのだろうと予想できた。
「でも、レッカさんは私にこの事を知られたくないみたいだったわね。このまま気づいていない振りをした方がいいのかしら? 聞き質したりしない方がいいわよね?」
ティーナさんはしゃがんで私の手を取った。どうするのがレッカさんにとって一番いいのかと考えて、少し混乱しているみたい。
「知らないふりをした方がいいかも。きいても、すなおに話さない気がする」
私は眠っているレッカさんへちらっと視線を向けてから続けた。
「わたしがようせいを毎晩つくるから、夜はちゃんとねむれるようになると思うし。そしたら少しずつ暗いのがこわくなくなっていくかも。しばらくようすを見てみるっていうのは?」
「賛成ー」
私の言葉に小声で答えたのは、ティーナさんではなかった。
「ウッドバーム、おきてたの?」
「うん、たぶんティーナと同じくらいに起きて、レッカの話も聞いちゃった」
後ろめたそうに言う。同じ部屋にいたんだから、聞こうとしなくても聞こえてしまうのは仕方がない。
「誰かに打ち明ける事でレッカが楽になるならいいけれど、今のところ、ミルフィリア以外には知られたくないみたいだし。僕は今まで通り普通にしているよ」
「そうですね、力になりたいし、気になるけど……私も少し様子を見てみる事にします」
妖精の青白い光がぼんやりとレッカさんを包んでいる様子を、私たち三人は静かに見守ったのだった。




