第五十一話:ご要望(The Request)
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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門をくぐった先は、静寂に包まれていた。
都心の喧騒が、嘘のようだ。砂利を踏みしめる、俺の革靴の音だけが、やけに大きく響く。
進むべき道は、示されていた。まるで、高級な日本庭園のように、等間隔に置かれたフットライトが、闇の中に、一条の光の道筋を作っていた。
(……なるほど。顧客への動線確保は、しっかりしているな)
俺は、クライアント企業の、見えない配慮に、少しだけ、感心していた。
光の道は、やがて、一本の、巨大なクスノキの前で、途絶えた。
行き止まりか?
俺が、戸惑っていると、クスノキの根元が、音もなく、横にスライドした。隠し扉だ。その向こうには、冷たい人工的な光に照らされた、地下へと続く、長い階段があった。
階段を、一歩、また一歩と、下りていく。
その先は、俺が想像していた、薄暗い悪の秘密基地とは、全く違う空間だった。
そこは、図書館だった。
壁一面に、天井まで届く、巨大な本棚。そこには、革張りの古書から、最新の学術書まで、人類のあらゆる「知」が、整然と、並べられていた。空気は、ひんやりと乾燥し、古い紙の匂いと、サーバーの冷却ファンの、かすかな音だけが、漂っている。
そして、その中央。
巨大な一枚板のテーブルの向こうに、一人の女性が、静かに座っていた。
年の頃は、俺と同じくらいだろうか。黒い、シンプルなドレスに身を包み、銀縁の眼鏡をかけた、理知的な顔立ちの女性。彼女は、紅茶を飲みながら、静かに、本を読んでいた。
彼女が、顔を上げた。
その目は、人間を、まるで興味深い数式か何かのように見つめる、研究者の目だった。
「……ようこそ、ミスター・プレジデント」
彼女の声は、冷たくも、暖かくもない、完璧にフラットな音色だった。
「私が、あなた方が『ライブラリアン』と呼ぶ組織の、代表です」
俺は、営業マンの顔で、答えた。
「……どうも。この度は、お時間をいただき、ありがとうございます。アメリカ合衆国にて、代表取締役社長を務めております、ドランプです」
俺は、深々とお辞儀をした。
女性は、眉一つ動かさなかった。
「……座ってください。お茶でも、いかがですかな?」
「いえ、お構いなく」
俺は、テーブルの前に立つと、懐から、桐の箱を取り出した。
「本日は、まず、先日のシステム障害の件で、多大なるご迷惑をおかけした、お詫びを、と……。こちら、つまらないものですが」
俺が、羊羹を差し出すと、彼女は、初めて、かすかに、眉をひそめた。
「……礼儀は、結構」
彼女は、本を閉じると、立ち上がった。
「単刀直入に、本題に入ろう。なぜ、我々が、あのようなことをしたか、あなたには、理解できますかな?」
彼女は、語り始めた。
それは、まるで、大学教授の、講義のようだった。
人類の、愚かな歴史。戦争、差別、環境破壊。そして、インターネットの出現によって、加速した、憎悪と、偽情報の、拡散。
「……人類は、自らの『情報』の重さに、耐えきれず、自滅しようとしている。我々は、それを、ただ、見ていることができなかった。我々の『バベルの塔』計画は、破壊ではない。救済だ。一度、全ての情報をリセットし、人類を、その愚かな歴史から、解放するための……」
彼女は、俺を、まっすぐに見つめた。
「……あなたという、例外を除いては」
「俺?」
「そうだ。あなたは、我々の予測を超えた。あなたの行動は、非論理的で、非効率で、矛盾に満ちている。だが、結果として、あなたは、我々が、何十年もかけて導き出した、人類の『最適解』を、ことごとく、覆してきた。……あなた、という『バグ』の存在を、我々は、理解する必要がある」
彼女は、両手を広げた。
「だから、あなたを、ここに、呼んだのです。我々の、完璧な論理の世界に」
長い、長い、演説だった。
俺は、その間、ずっと、日本の会社で叩き込まれた、ある教えを、思い出していた。
『クライアントの話は、たとえ長くても、遮るな。相手が、満足するまで、喋らせろ。それが、信頼関係の、第一歩だ』と。
俺は、彼女が、話し終わるのを、ただ、待った。
そして、彼女が、大きく、息をついた、その瞬間。
俺は、口を開いた。
それは、彼女の、壮大な、人類救済計画に対する、俺からの、唯一にして、最大の、質問だった。
「……あの、すみません」
俺は、少しだけ、首を傾げて、尋ねた。
「……で、結局、御社の、『ご要望』は、何なんでしょうか?」
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最新話は明日の7時10分更新予定です。




