第四十二話:仕様変更とプロジェクト憲章 (Change Request and Project Charter)
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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『実行日(X-DAY): 72時間後』
その文字が、PEOCのメインスクリーンに、死刑執行のカウントダウンのように、冷たく表示されていた。
バベルの塔。全世界の通信衛星網への、同時攻撃。
それが成功すれば、世界中のインターネット、金融システム、そして軍事通信は、完全に沈黙する。文明の、終わりだ。
「……全空軍宇宙軍団は、戦闘態勢レベル1に移行!」ミリー議長が、再び戦場に戻った獣のように、吼えた。「衛星防衛システム『ガーディアン』を起動! 敵の攻撃に備えろ!」
「ですが、議長!」サイバー軍の司令官が、絶望的な声で叫ぶ。「敵は、物理的な攻撃を仕掛けてくるとは限りません! ウイルスによる、内部からの破壊であれば、我々の防衛網は…!」
「では、どうしろと言うんだ!」
議論は、再び、パニックの淵をさまよっていた。
俺は、その光景を、冷めた目で見ていた。そして、サラリーマンとしての、純粋な怒りが、腹の底から湧き上がってくるのを感じていた。
俺は、ゆっくりと、ホワイトボードの前に立った。
そして、そこに書かれていた「お客様」という文字を、乱暴に消した。
「……ふざけるな」
俺の、地の底から響くような声に、PEOCの全員が、動きを止めた。
「……ふざけるなよ、ライブラリアンとかいう、どこの馬の骨とも知れんやつは」
俺は、マーカーを握りしめ、ホワイトボードを睨みつけた。
「……72時間後だと? 三日後じゃないか。しかも、月曜の朝一だ。週末に、こんな、クソみたいな『仕様変更』を、一方的に投げてきやがって……!」
それは、大統領の言葉ではなかった。
金曜の夜、退社直前に、クライアントから「ごめん、やっぱ全部変えて。月曜の朝までによろしく」という一本の電話を受けた、全てのサラリーマンの、魂の叫びだった。
「閣下……?」ハリソンが、戸惑いの声を上げる。
「プロジェクトを、なんだと思っているんだ!」俺の怒りは、止まらない。「計画性も、事前の通達も、何もない! こんなやり方で、まともなプロダクトがローンチできるわけがないだろうが! プロジェクト憲章はどうした! 要求定義書はどこにあるんだ!」
俺は、ホワイトボードに、巨大な樹形図を描き始めた。
一番上には、「プロジェクト:世界崩壊の阻止」。
そこから、無数の枝を伸ばしていく。
「いいか、諸君! このプロジェクトを成功させるには、まず、WBS(作業分解構成図)を作成する! 課題を、細分化するんだ!」
俺は、枝の先に、タスクを書き込んでいく。
「『敵の特定』『攻撃手段の分析』『防御策の立案』『被害想定』……。そして、それぞれのタスクに、担当部署と、締め切り(デッドライン)を設定する! 見える化だ! 全員で、進捗を共有するんだ!」
PEOCの最高頭脳たちは、ホワイトボードに描かれていく、あまりに緻密で、あまりにシステマティックな樹形図に、ただ、圧倒されていた。
「……すごい」サイバー軍の司令官が、呟いた。「これは……。敵の、あらゆる攻撃の可能性を、網羅的に、構造化している……。まるで、神の視点だ」
「いや、それだけではない」ミリー議長が、声を震わせた。「このタスクの配置……。それぞれの関連性と、依存関係が、完璧に計算されている。これは……これは、壮大な、殲滅作戦の、工程表だ!」
違う。これはただの、プロジェクト管理の、基本中の基本だ。
俺は、最後に、ホワイトボードの一番下に、大きな四角を描いた。
そして、そこに、力強く、こう書き込んだ。
【プロジェクトマネージャー(PM)】
「……そして」俺は、振り返った。「この、人類の存亡をかけた、クソみたいな短期決戦プロジェクトの、責任者を、今、ここで、任命する」
全員が、息を飲む。
ミリー議長か。CIA長官か。あるいは、ハリソン首席補佐官か。
俺は、部屋の隅で、呆然と立ち尽くしている、一人の女性を、指さした。
「……アシュリー・ブラウン補佐官」
「……は、はい!?」
「君を、このプロジェクトの、プロジェクトマネージャーに任命する」
「…………えええええええええっ!?」
アシュリーの悲鳴と、他の全員の驚愕の声が、PEOCに響き渡った。
「な、なぜ、私なのですか、閣下!?」アシュリーが、狼狽する。「私には、軍事作戦の指揮経験など…!」
「経験など、関係ない」
俺は、きっぱりと言った。
「君は、俺が頼んだ『とらや』の羊羹を、完璧に手配してくれた。綱引きの国際ルールも、一晩で調べてきた。そして、何より……」
俺は、彼女の目を、まっすぐに見て、言った。
「……君の作る資料は、いつだって、一番、誤字脱字が少ないからだ」
それが、俺が、プロジェクトの責任者を選ぶ、唯一にして、最大の、基準だった。
細部に、神は宿るのだ。
アシュリーは、その場で、崩れ落ちそうになるのを、必死でこらえていた。
ミリー議長は、天を仰ぎ、何かを悟ったように、深く、深く、頷いた。
「……なるほど。軍人でも、スパイでもない。全く新しい視点を持つ者を、あえて、トップに据える、と……。閣下、あなたの、お考えの深さには、もはや、言葉もありません……」
こうして、世界の運命は、一人の、資料作りが得意な、生真面目な女性補佐官の、細い両肩に、託された。
彼女の最初の仕事は、俺がホワイトボードに殴り書きしたWBSを、エクセルに清書し、関係各所に、メールで展開することだった。
プロジェクトは、動き始めた。残業という名の、地獄と共に。
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最新話は明日の7時10分更新予定です。




