第四十一話:ハッカーとホワイトボード (The Hacker and the Whiteboard)
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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PEOCは、深夜のオフィスと化していた。
ドーナツの甘い匂いと、焦げ付くようなコーヒーの香り、そして、サーバーの放熱と男たちの熱気が、司令室の空気を満たしている。
主役は、レオ・シュタイナーだった。
彼は、まるでピアノを弾くかのように、キーボードの上で指を踊らせていた。その目に映っているのは、もはやPEOCの現実ではない。何億、何兆というデータが渦巻く、電子の奔流だ。
メインスクリーンには、彼が見ているサイバー空間の戦場が、抽象的なグラフィックで映し出されていた。青い光の奔流(レオの侵入経路)が、赤い幾何学的な壁(ライブラリアンの防御壁)に挑みかかり、火花を散らしている。
「……見つけた」
レオが、呻くように呟いた。
「奴らのサーバーは、物理的にここにあるわけじゃない。世界中の何千というサーバーに、データを分散させている。だが、その全てを統括する『心臓部』……マザーサーバーが、あるはずだ」
「それは、どこにあるんだ!」ミリー議長が、身を乗り出す。
「今、探してんだよ、黙ってろ」
レオは、一蹴した。
彼の指の動きが、さらに加速する。
スクリーン上では、青い光が、赤い壁の迷宮を、信じがたい速度で突き進んでいく。時折、赤い光の矢(迎撃プログラム)が飛んでくるが、青い光は、それをひらりひらりとかわし、さらに奥深くへと潜っていく。
俺は、その光景を、固唾を飲んで見守っていた。
かつて、俺の会社で、伝説のプログラマーと呼ばれた、田中さんの姿を思い出していた。彼は、いつも、締切前夜になると、こうして、誰も理解できない言語で、機械と対話していた。そして、朝になると、全てのバグを修正し、奇跡を起こしていた。
そうだ。俺にできることは、一つしかない。
現場の担当者が、最高のパフォーマンスを発揮できるよう、環境を整えることだ。
「……アシュリー」
俺は、静かに指示を出した。
「室温は、最適か? 湿度は? 彼が、瞬きをしていないようだが、目薬は用意したかね?」
「は、はい、閣下。ただちに」
「それから、ハリソン君。彼の契約書だが、成功報酬の項目は、もっと手厚くできないか? インセンティブは、重要だぞ」
「か、閣下、今は、それどころでは……」
俺の、完璧な「労務管理」は、誰にも理解されていなかった。
「……ちっ、気づかれたか」
レオが、舌打ちをした。
スクリーン上で、赤い壁が、その形を変え、青い光を飲み込もうと、迫ってきていた。ライブラリアンが、反撃に転じたのだ。
「まずいぞ、レオ君!」ミリーが叫ぶ。「壁が、閉じていく!」
「うるさい!」レオは、叫び返した。「あと……30秒あれば、心臓部に、届く……!」
だが、赤い壁は、非情に、その包囲網を狭めていく。
20秒。10秒。もう、ダメか。
俺は、見ていられなかった。
優秀な部下が、プロジェクトの失敗で、追い詰められている。
こういう時、上司として、何ができる?
そうだ。「視点を、変えさせる」んだ。
俺は、ホワイトボードの前に立つと、マーカーを手に取った。
そして、そこに、レオにも見えるように、大きな文字で、一つの質問を書いた。
【もし、あなたが「お客様」の立場なら、一番、隠したい情報は何ですか?】
それは、マーケティングの基本だった。
敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。お客様のニーズを、徹底的に考える。
レオの目が、一瞬だけ、そのホワイトボードの文字を捉えた。
そして、彼の動きが、一瞬だけ、止まった。
「……隠したい、情報……?」
彼は、呟いた。
「……そうか。心臓部じゃない……。一番、ヤバい情報は、普通、心臓部(サーバー室)には、置かねえ……」
会社で、一番ヤバい裏帳簿が、金庫ではなく、経理部長の机の、一番下の引き出しに隠されているように。
「……一番、見つかりにくくて、一番、どうでもいい場所……。バックアップ用の、ゴミ箱の中か……!」
レオの指が、再び、爆発的な速度で動き出した。
青い光は、目前の赤い壁から、くるりと反転すると、迷宮の、全く別のルートへと、突き進んでいった。誰もが見落としていた、データの墓場へと。
そして。
【ACCESS GRANTED】
スクリーンの中央に、緑色の文字が、輝いた。
レオは、椅子に、深く、もたれかかった。その額には、玉のような汗が光っていた。
「……どうだ」ミリーが、震える声で尋ねる。「奴らの、正体は……」
「いや……」レオは、首を横に振った。「そこまでは、届かなかった。だが……一つだけ、ファイルを、抜き出すことには、成功した」
彼は、エンターキーを、叩いた。
メインスクリーンに、そのファイルの中身が、映し出される。
それは、一枚の、設計図だった。
何かの、巨大な機械。そして、その横には、一つの、スケジュール表が。
【プロジェクト名: “TOWER OF BABEL”】
【実行日(X-DAY): 72時間後】
【実行場所(TARGET): 全世界、低軌道通信衛星網】
「……バベルの、塔……?」
アシュリーが、呟いた。
「ああ」レオは、言った。「こいつらは、チェスの次に、神様ごっこを、始めるつもりらしい」
PEOCの、短い勝利の歓喜は、一瞬で消え去った。
そして、その場を、新たな、そして、遥かに巨大な、絶望が、支配し始めた。
俺は、もう、何がどうなっても、驚かなかった。
ただ、思った。
(……72時間後。つまり、三日後か。週明け、月曜の朝一に、また、デカい会議が始まるんだな……)
サラリーマンの憂鬱は、世界の終わりよりも、重い。
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最新話は本日の20時10分更新予定です。




