第二十一話:予算という名の聖戦
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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沖縄から帰国して数週間。俺の人生は、嘘のような平穏に包まれていた。
中東では、奇跡的な停戦が続いている。「お辞儀外交」と「運動会」という二つの衝撃波は、あまりに強力すぎて、アリエル首相もハリーリ指導者も、次の一手をどう打てばいいか分からず、互いに様子見を決め込んでいるらしい。
俺は、オーバル・オフィスで、日本のカップラーメンを啜っていた。アシュリーに「国家機密レベルで入手してくれ」と頼んだ、シーフードヌードルだ。これだよ、これ。このチープで、化学調味料たっぷりの味が、俺の魂を癒してくれる。
世界平和なんて、案外チョロいもんじゃないか。誠意をもって、腹を割って話せば(そして一緒に汗を流せば)、分かり合えるんだ。俺は、この調子で任期を全うし、歴史に名を残す名大統領として、いつか日本に帰れるかもしれない。そんな淡い期待を抱き始めていた。
「……閣下。お美しい顔でカップ麺を啜っておられるところ、大変申し訳ありませんが」
首席補佐官ハリソンの、疲れ果てた声が、俺を現実に引き戻した。
「次の『戦争』が、始まります」
「戦争?」俺は、麺を吹き出しそうになった。「どこでだ? まさか、中国か? ロシアか?」
「いいえ」ハリソンは、首を横に振った。「ここです。ワシントンです」
彼が机に広げたのは、分厚い書類の束。来年度の連邦予算案だった。
「来月までに、議会で予算案を通過させなければ、政府機関が閉鎖されます。しかし、現状、与党・共和党と、野党・民主党の案は、医療、環境、国防……その全てにおいて、絶望的なまでに乖離しています。妥協の気配は、ありません」
俺は、書類を眺めた。複雑な数字の羅列。俺が会社員時代、経理部に突き返され続けた、悪夢の稟議書を思い出す。
「なるほど」俺は、分かったような顔で頷いた。「つまり、営業部と開発部が、来年の予算の奪い合いで、醜い派閥争いを繰り広げている、と。そういうことだな、ハリソン君」
「はあ……まあ、解釈としては、はい」
「任せろ」俺は、胸を叩いた。「こういう社内の泥仕合は、俺の得意分野だ」
ハリソンと、隣にいたミリー議長が、期待の目で俺を見ている。彼らは、俺が中東和平で見せたような、神がかった奇策を期待しているのだろう。
だが、俺がこれからやるのは、奇策でも何でもない。日本の会社組織において、何十年も前から伝わる、伝統的で、最も効果的な解決策だ。
「ハリソン、すぐに手配しろ」
「はっ、何なりと」
「ウェストバージニアあたりに、景色のいい、高級な山岳リゾートホテルはないか? 温泉が出れば、最高だ」
「……は?」
「共和党と民主党の、上下両院のトップ議員を、全員そこに集める。日程は、今週末の金曜から日曜までの、二泊三日だ」
ハリソンの顔が、みるみる青ざめていく。
「か、閣下、それは……何をなさるおつもりで? そこで、予算交渉を?」
「交渉ではない」俺は、きっぱりと言った。「これは、『合宿研修』だ」
「がっしゅく……けんしゅう?」
「そうだ。目的は、部門間の相互理解と、チーム意識の醸成だ。一日目は、お互いの立場を理解するためのワークショップ。夜は、もちろん懇親会だ。酒を酌み交わし、腹を割って話す。いわゆる『ノミニケーション』だ。二日目は、午前中にゴルフ。午後は、チームに分かれて、自然の中でオリエンテーリングでもやろう。夜は、キャンプファイヤーだ。火を囲んで、自社の……いや、この国の未来について、語り合うのさ」
俺は、完璧なプランに、我ながら惚れ惚れしていた。そうだ、これだよ。予算の数字ばかり睨んでいても、対立は深まるだけだ。必要なのは、心の交流なんだ。
だが、ハリソンは、もはや立っているのもやっと、という様子で、壁に手をついていた。
「……お待ちください、閣下。民主党のシューマー上院院内総務と、共和党のマコーネル院内総務に……オリエンテーリングをしろ、と? キャンプファイヤーで、手を取り合って歌え、と?」
「歌もいいな! アシュリー、何かアメリカで定番のキャンプソングを調べておいてくれ!」
アシュリーは、真顔で、しかし指先は震えながら、メモを取った。
『To Doリスト:1. キャンプソング『オクラホマ・ミキサー』の政治的公平性について、国務省に確認』
ミリー議長が、腕を組んで唸った。
「……なるほど。またしても、我々の想像を超えてきたか。これは、一種の『兵糧攻め』だ。敵対する指揮官たちを、外界から遮断された極限状況に隔離し、酒と娯楽によって彼らの理性を麻痺させ、心身ともに疲弊したところで、一気に合意形成に持ち込む……。恐ろしい作戦だ」
違う。これはただの、会社の慰安旅行だ。
俺は、カップラーメンの最後の一滴を飲み干すと、満足げに言った。
「よし、決定だ。プロジェクト名は、『オペレーション・リトリート』。全員、準備にかかれ!」
その日の午後。
アメリカの与野党のトップたちの元に、ホワイトハウスから、大統領命令として、一通の招待状が届いた。
「週末、山で合宿するから、着替えとゴルフクラブ持って、全員集合」
ワシントンD.C.は、中東とはまた違う種類の、静かなパニックに包まれようとしていた。
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最新話は本日の21時に更新予定です。




