表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第3章:シャンタイアクティ少女行(в СянтайАкти)
46/165

046_ある晴れた日、または完全な瞬間(Однажды солнечный день или прекрасный момент)

「待て!」


 右手に剣を構えたまま、オリガは扉の向こう側へ突入する。オリガから半歩遅れ、ニフシェも扉をくぐる。


 ここは、チャラティパッド=ハデシュにある、植物園の一角である。広いドーム状の建物の中には、南大陸では見られない針葉樹や、温帯でしか芽吹かない植物が、美しさを競い合っていた。


「どこ行った……?!」


 中央で立ち止まると、オリガは周囲を見回す。中央からは、四本の道が伸びている。ニフシェたちが入った一本を除いて、残りは三本。二人が追いかける”標的”は、そのどれかを通り、別の区画へと逃げたようだった。


 チャラティパッド=ハデシュは、カシュム土侯国の古都に当たる。ここに、北大陸からの工作員が潜入し、土地の有力者と秘密裏に接触している情報が入ってきたのが、一週間ほど前になる。


 オリガとニフシェ、それから気鋭の使徒騎士たちが、この地に入り、調査を続けていた。工作員の正体を掴みかけた矢先、工作員から二人に仕掛けてきたのである。かくして、二人は工作員を追い、この植物園までたどり着いた。


「何か分からないか?」


 後ろからやって来たニフシェに、オリガは尋ねる。オリガが「何か」と尋ねるのは、ニフシェの聴力を当てにしているときだった。”麒麟(ジラファ)”の魔法使いであるニフシェは、どれほどわずかな音であっても聞き漏らさない。


「分からない」


 ニフシェは首を振った。ニフシェに聞こえるのは、小さな虫の羽音と、ドーム内の温度を一定に保つために循環するファンの音、それから、目の前にいる相棒(パルトニュール)の、荒い息づかいだけだった。


「お前が何も聞こえない、ってことは、ここにはいない、ってことだ。そうだろ」


 オリガの言い方は、まるでみずからに言い聞かせているかのようだった。


「まっすぐ行こう」


 ニフシェが口を開きかけた矢先、オリガが振り向きざまに言った。腕を伸ばすと、オリガはベンチの傍らにあった台座を指さす。台座にはめられた黄銅の板には、見取り図が彫られている。


「左も右も、別の建屋に続いてる。それだと、外に出られない。後発の部隊があたしらを追いかけてるのなら、”標的”はそいつらと鉢合わせる」


 図版を指でなぞりながら、オリガは説明する。


「あたしがアイツだったら、どうするか? 迷わず、外に出ようとする。いくらアイツが強いと言っても、複数人を同時にかいくぐったりはできない。であれば、隠れたりはしないで、まっすぐ出口に向かうはず。行こう!」


 そう言うと、オリガは正面の道をかけ出そうとする。しかし、ニフシェは後を追わなかった。


「ニフシェ?」


 ニフシェの方を振り向くと、オリガがいら立たしげに言った。


「何やってんだよ」

「オリガ、追いかけるべきじゃないよ」

「は?」


 オリガは声を上げた。その声は大きく、怒気を(はら)んでいた。


「追いかけない?」

「待った方がいい――」

「今、あたしらは“標的”を見失っている」


 ニフシェの言葉をさえぎり、オリガは畳みかける。


「見失っている以上、探さなければいけない。探して、再び追いかけなければいけない。そういう状況であるにもかかわらず、お前は、『追いかけない』と言ってる。そういうことだよな?」

「そう」

「あっはっは!」


 オリガは笑った。


「ここで逃したら、また消息が掴めなくなる。調査が振出しに戻る」

「分かってるさ、だからこそ、だよ」

「見ただろ、お前だって――」


 自分自身の右の二の腕を、オリガはたたく。逃走劇が始まる直前、オリガの一閃により、”標的”は腕を負傷していた。


「アイツは、逃げ一択しかないはずなんだ。ビビんなよ、あたしらはアイツなんかより強い」

「走っている途中で気付いたんだ、オリガ」


 顔を覆っている“相棒(パルトニュール)”を前にして、ニフシェは言った。


「彼女の足音は、一定じゃなかった。歩幅が乱れていたし、かかとを床に擦り付ける音もあった。でも、怪我のせいじゃない。わざわざ、後ろを振り向いていたんだと思う。本気で逃げるつもりなら、全速力で走るなら、そんなことはしない」

「何でそんなことを――」

「待ってるんだよ、アイツは」

「何を?」

「ボクたちが、ちゃんと追いかけてきているかどうかを」

「何のために?」

「奥に引きずり込むために、あるいは、ボクたちの注意を……もっと別のところに反らしたいんだと思う」


 オリガは押し黙ってしまった。


「それに、オリガ、思い出して。アイツの潜伏している屋敷に忍び込んだとき、最初に仕掛けてきたのは、アイツからだった」

「ああ、そうだな」


 オリガは鼻を鳴らした。


「それがどうしたってんだ。返り討ちにしてやっただろ」

「それが問題なんだよ。あの仕掛け方は稚拙だった。これまでとは比べ物にならないくらい――」

「わざとやってる、って言いたいのか」

「そう」

「あれがアイツの実力だよ」


 違う――。そう言いかけたニフシェだったが、結局口には出さなかった。どういうわけかニフシェは、オリガが次に何を言うのか、すべて分かっていた。


――アイツは逃げていた。


 次にオリガは、そのように言う。


「アイツは逃げていた」


 オリガは言った。


「普通に逃げていた。それを、あたしたちは普通に逃した。だから、普通に探し出して、普通に捕まえる。普通だろ? 難しいことなんかないんだよ」

「オリガ、もしそんなに簡単なら――」


 会話を切り上げ、通路へ駆け出そうとしていたオリガのことを、ニフシェは呼び止める。呼び止めながら、ニフシェは、次に自分が何を言おうとしているのかを、すべて分かっていた。


「もしそんなに簡単なら、テレザは死ななかったはずだ」


 テレザ――その名前に、オリガが肩を震わせる。そんなオリガの反応は予想以上であったために、ニフシェも唾を呑み込んだ。


 テレザは騎士であり、オリガが可愛がっていた後輩だった。一か月前に、北大陸からの工作員と交戦し、テレザは命を落としている。


「キミがアイツを憎んでいるのは分かる」


 オリガの両肩に手を掛けると、ニフシェは言った。


「だけど、アイツはそれにつけ込んでる。ボクたちから逃げているのには、必ず理由がある。キミが本当にアイツを捕まえたいのなら、今は辛抱のときなんだよ」

「――求めよ、さらば与えられん」

「え?」


 唐突な聖句(アグラファ)に、ニフシェはうろたえる。その聖句は、ニフシェが聞いたこともないものだった。


「『マタイによる福音書』、北大陸の偽書さ。キミの姉さんから教わった」


 うつむき加減だったオリガが、顔を上げた。


 オリガは笑っていた。


「お前には、何でもお見通しってわけだな。ハハハ」


 ニフシェから離れると、オリガは展示されているホオズキの前まで歩き、手すりに寄りかかる。オリガは、一切の興味を失ってしまったかのような態度だったが、やり場のない怒りのはけ口を、どこかに求めようとしていることが、ニフシェには分かった。


 オリガは、ニフシェが自分の意見に賛同しないことが悔しいだけではない、後輩の死をニフシェに指摘されたこと、そのこと自体が、踏んではならないオリガの影だったのだ。


 そのときがくる――ニフシェは、そんな覚悟を持っていた。オリガは、この後、


――なあ、ニフシェ、あたしが、キミのこと嫌いだって知ってたかい?


 と、ニフシェに尋ねる。オリガとニフシェとは、相棒(パルトニュール)として、これまで上手くやって来たし、上手くやって来ていると、周囲も考えている。


 しかし、それは偽りにすぎない。オリガは、ニフシェのことを嫌っている。オリガが自分を嫌っていることを、ニフシェも知っている。とは言うものの、正面から「嫌いだ」と言われたときに、どのように返事をすればいいのか、ニフシェは分からなかった。だからこの後、ニフシェは、


――知ってるさ


 と答えてしまう。その瞬間、踏んではならなかったオリガの影を、ニフシェは完全に踏み抜いてしまう。オリガがニフシェを憎んでいるのは、ニフシェが貴族で、裕福で、教養があり、魔法の才能があるから、というだけではない。それらと比較して何も持っていない自分と、そのように比較してしまう自分の性根を、オリガは憎んでいる。


 それでも、これまで二人が破綻なくやりおおせてきたのは、「ニフシェを嫌っている」ということを、オリガがニフシェに対して隠しおおせているからだった。少なくとも、オリガは隠しおおせているつもりになっている。そのささやかな隠し事のお蔭で、オリガは精神的に、ニフシェに優位に立てている。「嫌いだ」の一言で、自分はニフシェを、いつでも好きなように傷つけることができる――オリガはそう考えている。


 これらのことを、ニフシェはなぜか知っていた。そのことを内心で不思議に思いながらも、ニフシェはこれから起きることを、自分自身で制御できなかった。


「なあ、ニフシェ、」


 手すりに背を預けた姿勢で、オリガが言った。ニフシェの目の前で、一度観た映画のような鮮やかさで、未来が展開していく。


「あたしが、キミのこと嫌いだって知ってたかい?」


 ニフシェは、すぐには答えなかった。


「知ってるさ」


 ドーム内の空調がうなり、オリガの背後にあったホオズキの枝葉が、静かに揺れた。


「知ってる?」

「知ってる」


 目の前で青ざめていくオリガを見るうちに、ニフシェは後ろめたい気持ちになった。初めに仕掛けてきたのはオリガだが、それでも、これほどまでに残酷なことだとは、ニフシェは考えなかった。


「何だよ、それ」


 失笑気味に言うと、オリガは自分の手元に視線を落とす。それは、厳しく叱られた後の、子供のような仕草だった。


「ずっと知ってたのか? それでいて……仲良しを演じていて……あたしのこと……ずっと馬鹿にして……」

「オリガ、違う」

「馬鹿みたいじゃないか……!」


 手すりから離れ、ニフシェからも遠ざかると、オリガは言った。


「全部、馬鹿みたいじゃないか……!」


 そう言うと、オリガはただひとりで通路を歩き、奥の扉を開け放とうとする。――ニフシェの直観が、怖ろしいことを告げる。このように完全な瞬間を、“敵”はずっと待ちわびていたのだ。


「待って――」


 声を上げ、ニフシェはオリガに追いすがろうとする。だが、オリガはもう、扉の把手に手を掛け、扉を開け放っているところだった。


 扉の反対側には、“敵”が立っている。笑う鬼の仮面を被った“敵”は、オリガの眉間に向かって、まっすぐ銃を抜き放っている。


 止める(いとま)はなかった。


 銃声と共に、ニフシェの視界が光に包まれる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ