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夫と自分以外の女がラブホテルに入っていった。
動画の録画を終了すると、腕がだらりと下がった。
突然の出来事に頭が真っ白になっていた。
(女の顔まではわからなかった……。このまま出てくるのを待とうか。いやでも、いま聡太はどうなっているの?)
健一郎に世話を頼んでいたはずなのに。
すごく嫌な予感がして、急いで家に戻った。
「聡太ーっ。ただいま! ママだよー!」
声をかけながら玄関に入るが返事がない。
リビングに入ると、開いているはずのない窓が開いていて、カーテンが風に揺れていた。
「――! 嘘でしょ」
窓の外はベランダだ。飛びつくように駆け寄ると、まさに聡太がベランダを乗り越えようとしているところだった。
「聡太っ!」
駆け寄って身体を抱きかかえる。
間一髪で間に合った。
心臓が胸から飛び出しそうなくらいバクバクしている。そんなわたしの状況も知らずに聡太はきょとんとした顔だ。
「ママだ。おかえり!」
「聡太、ベランダに出ちゃいけないって言ったでしょ。どうしたの」
「パパをさがしにいくとこだったの」
「パパ? そうよパパよ。どうしてパパがいないの?」
「にじかんくらいおるすばんっていわれた。すきなだけテレビみていいっていわれたから、だいじょうぶっていった」
聡太の口から出てきた言葉が、にわかには信じられなかった。
数時間の子守さえできず女とラブホテルに行った。
健一郎は、ここまでダメな男だったのか。
「こまーしゃるをはやおくりしてほしいの。だからおそとにでた」
「……そうだったの」
我が家はマンションの二階だ。
あと五秒帰宅が遅れていたら、聡太は死んでしまっていたかもしれない。
(…………もう許さない)
震える指で、わたしはある人に電話をかけた。
◇
家のドアを開けた香澄は、凛とした眉をつり上げる。
「どうしたの、いきなり。ちょうど空いてたからいいけど、暇じゃないのよ」
「ごめん九条さん。ちょっと緊急事態」
「あっ、そうたくんだ! あそぼう!」
香澄のうしろから可愛い笑顔で出てきたのは英恵ちゃんだ。照れる聡太の手を引っ張って中に連れて行った。
「まあいいわ。上がって」
「本当にありがとう」
見事な景色が広がるリビング。双眼鏡を取り出して外を観察し始めたわたしを見て香澄が訝しむ。
「変な人ね。何してるのよ」
わたしは聡太が別の部屋で遊んでいるのを確認して、小声で打ち明けた。
「実は夫が不倫してて。相手の女を突き止めたいから、ホテルから出てくるところを見たいの」
「――!」
香澄の大きな目が見開いた。
「自分でも青天の霹靂だったわ。亭主関白なところはあるけど、気が小さいから浮気とか不倫とは無縁だと思ってた。二人は飲み会の場で偶然知り合ったみたい」
「男の飲み会なんてコンパみたいなものじゃないの」
「そうね……。それで、聡太を連れた状態で尾行できないでしょう。ここなら見えるかもって気づいて、お邪魔させてもらったの」
「そうだったの。……聞いた手前でなんだけど、私が知ってよかったの? 言いたくなければ誤魔化しても良かったわよ」
「九条さんは、他の人に漏らしたりしないでしょ?」
「すいぶんな信頼ね。庶民に慕われても嬉しくないわよ」
ぷいっと横を向いた香澄の耳は赤くなっていた。
――香澄の家で粘ること数時間。
ラブホテルの入口から夫と女が姿を表した。
「――!」
「出てきたのね。知ってる女?」
異変を察して香澄が近くにやってくる。
「――!! あれは……」
まさかの事態に言葉を失った。
夫と仲睦まじく腕を組む女。いままで何度も顔を合わせていたが、まったく予想もしていなかった人物だった。
無言で香澄に双眼鏡を渡す。
女を見た香澄も、同じように言葉を失っていた。
「……すごいことになったわね。どうするの高嶋さん」
「健一郎は聡太の父親としてふさわしくない。不倫女の正体も心底裏切られた気分だわ。もちろん責任を取ってもらう」
「そう……。こればかりは同情するわ。私にできることがあったら言ってよね」
気の毒そうな言葉にいつものトゲはなく、すっと胸に染みていった。
「ありがとう。……わたしは大丈夫。とっておきの復讐を思いついたわ」
悔しさと怒り、例えようもない憎しみの高揚感。
不倫したことを必ず後悔させてやると決意して、わたしは口角を持ち上げた。
次が最終話となります




