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のぞみと会う日がやってきた。
「昨日伝えた通り、これから新しい園のママと会うから、聡太のことお願いね」
「はいはい。……いいよなぁ、パートは気楽で。全然一週間の疲れが抜けないよ」
Tシャツ短パン姿で寝ぐせ頭をかく健一郎が言った。
二人分の昼食を冷蔵庫にしまって家を出る。待ち合わせのカフェの前に着くと、わたしは大きく深呼吸をした。
中に入ると、角の窓際の席にのぞみを見つけた。
のぞみは三人の子持ちで、園にいるのは末っ子だ。天然パーマの髪を鍵編みのカーディガンの胸元まで伸ばし、肩を丸めるようにしてスマホを操作している。
「亀久保さん。ごめんなさい、待ちましたよね」
「あっ、いえ……。わたしが早く着いちゃっただけだから、気にしないで」
「今日も暑いですね。ここ、家から十五分くらいなんですけど、あっという間に汗だくで」
「そうですね」
沈黙が流れる。
のぞみは人付き合いが薄く、社交的な方ではないと聞いている。
不倫相手がこの女だという可能性が高い以上、わたしとしても雑談をする心の余裕はない。単刀直入に切り込むことにした。
「わたしが亀久保さんと会いたかった理由、わかりますか?」
のぞみは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「えっと……。いえ、ごめんなさい、検討つかないわ」
「あの件です」
「あの件?」
しらばっくれるつもりなのか。
ほんわかした雰囲気で頭の回転があまり早くなさそうなのぞみに、少しづつ苛立ちが募り始める。
「わたし、知ってるんですよ。その件についてどうしても話が聞きたくて、今日時間を作ってもらったんです」
「えっ……。まさかあれのこと? おかしいな、近くではやらないようにしてたんだけど……」
ぶつぶつと呟き始めるのぞみ。
辛抱強く待っていると、のぞみは鞄の中から何かを取り出した。
「ごめんなさい、ようやくわかったわ。どなたかからこの話を聞いたのね」
彼女がわたしの目の前に並べたのは、化粧品のパンフレットだった。
「あの……これ、よかったら試してみてくれないかな。私も最初は半信半疑だったんだけど、使ってみたら肌がすごく調子よくなって……。高嶋さんは十分きれいな肌だけど、やっぱり加齢だけはどうにもならないから。ちょっと高いなって思うかもしれないけど、美容皮膚科に行くよりずっとお得なのよ」
「……んっ?」
「あっ……これ、強引に売りたいとかじゃなくて、純粋に知ってほしいだけなの。もし少しでも興味があったらと思って、本当にいいものだからお友達に紹介してるのよ。ちょうど今キャンペーンをやっていて、気軽に試すチャンスだと――」
「…………馬鹿にしているの?」
「えっ?」
怒りで全身が震える。
わたしはテーブルに広がる資料を思いきり払った。
「ふざけないでよっっ!」
「たっ、高嶋さん? ごっ、ごめんなさ――」
「こんなんじゃなくて! 他に言うことがあるんじゃないって言っているんです。もう全部知ってるのよ、GW最終日のこと。これ以上わたしを馬鹿にしてしらを切るつもりなら、旦那さんにも全部バラしてやるわ!」
唖然とするのぞみの顔から血の気が引いていく。
丸い顔がクシャリと歪んで、のぞみはハンカチで目元を押さえた。
「言います、全部言いますから。夫にだけは言わないで」
「早く」
「借金のことでしょう。高嶋さんが知ってるってことは、噂になっているの? もう終わりだわ」
「…………借金」
「二百万円、消費者金融から借りてることでしょう。建物に入るところを見られてしまったのかしら」
まったく予想はずれな答えに、すぐには言葉が出てこなかった。
「……二百万円も何に使ったんですか」
「推しに課金したんです」
「推し?」
「上の子たちが中学と高校に入って、ようやく自分の時間が増えてきたの。たまたま動画サイトでみつけたアイドルの卵を見ていたら、若いのにすごく頑張っていて、応援してあげたくなっちゃって。わたしには夢なんてなかったから……」
「つまり投げ銭ってことですか?」
「投げ銭とか、グッズとか、ライブのチケット。GW最終日は推しの誕生日だったから、イベントに出かけたの」
のぞみは推しだというメンズアイドルのSNS画面をこちらに向ける。
飾りつけのされた会場で、ケーキを持った青年を囲んでファンが集っている写真がアップされていた。
写りこんでいる時計は十五時で、会場は渋谷だという。不倫が行われたラブホテルからは相当の距離がある。
(亀久保のぞみにもアリバイがある……? どういうこと……?)
「このイベントには、最初から最後までいましたか?」
「この写真を撮ったところで帰りました。義母のところに陽翔を迎えに行って、夕飯の支度をしなきゃいけなかったから」
手元のスマホで素早く検索する。
のぞみの言っている通りGW最終日にイベントは開催されているし、写真を撮ってからラブホテルに移動することは時間的に不可能だ。
――亀久保のぞみは夫と不倫をしていない。
大きなため息が漏れた。
「大きな声を出したりしてごめんなさい。わたし、勘違いをしていたみたい。旦那さんや他の人に言ったりしません」
「よ、よかった。ありがとうございます……」
のぞみは大げさなくらい安心していた。本来はとても気の小さい人のようだ。
「あの。余計なお世話かもしれないけれど、こういう商売でお金を稼ぐのは、あまり良くないんじゃないかと思うんです」
わたしの言葉に彼女は俯いた。
「自分でもそう思います。でも、ずっと主婦だったから、いまさらお金を稼げるスキルなんてないんです。ネットで求人を探していたら、いい商品を友だちに紹介するだけの仕事っていうのを見つけて、それならできるかなって……。でも始めてみたら、話すのが苦手で全然売れないし……」
「主婦にスキルがないなんて考えは古いです。家事代行サービスとか、ベビーシッターなら、亀久保さんの経験を活かせるんじゃないですか?」
のぞみははっとした表情で顔を上げる。
「家事と育児ならできるかも。あ……けど、そういうのって資格が必要なんじゃないかしら」
「資格があれば多少時給がよくなるみたいですけど、無資格でも登録できますよ。自社で研修制度がある会社もあります」
「詳しいのね、高嶋さん」
「前職はおもちゃ会社に勤めてたんです。保育とか教育関係の知り合いが多いので、ちょっと知ってるんですよ」
わたしはぱっと思いつく家事代行サービス、ベビーシッターサービスの社名をメモに書いて渡した。
「子供さんを三人も育てるなんて、それだけですごいスキルです。ご縁があるといいですね」
「ありがとう、高嶋さん」
カフェを出てのぞみと分かれる。
ここを出る時はスッキリした気持ちになっていると思っていたのに、何一つ解決していない。
(”Kちゃん”の三人は全員アリバイがあった。いったいどういうこと?)
イニシャルかと読んでいたが、違ったということか。
調査は振り出しに戻ってしまった。
とりあえずスーパーに寄って買い物をして帰ろうと思ったとき、視界の隅にある人物が見えた。
(―――健一郎?)
夫の健一郎だった。
後ろ姿だが、朝ついたままの寝癖といつも着ているシャツ、体型ですぐにわかった。
しかし、隣にいるのは聡太ではない。
女だった。
(誰……?)
健一郎は時折横を向くが、女の方はずっと前を向いているので顔がわからない。
とっさにスマホを取り出して動画を回す。
二人はやがて、ラブホテルに入っていった。




