017:新しい家族
「皆様に受け入れて頂いたところで、この身体は神州丸へと帰還させようと思います。
そろそろ各国の間諜が動き出しそうな気配がありますので」
ナギ大が艦治達から身体を離し、そう切り出した。
「そうなの? 何だか寂しいわねぇ」
そう言って治佳がナギの手を握る。すっかり絆されてしまっているようだ。
「そうは言っても、ナギには大事な仕事があるからなぁ」
治樹もいつの間にか呼び捨てだ。
「また遊びに来させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「「もちろん!!」」
そんなやり取りを、良光は醒めた表情で眺めている。
≪良光様も、よろしくお願い致しますね≫
そんな良光へ、テオを経由してナギが話し掛ける。
≪……大事な友人とその家族なんで。くれぐれも悲しませるような事はしないでほしいっス≫
≪もちろんですとも。もし良光様が何か私に思う事がございましたら、いつでも仰って下さい。
それと、良光様も私の事はナギとお呼び頂ければと思います≫
≪りょ~≫
良光とナギがそんな会話をしている間に、リビング内は二体の家事ヒューマノイドに関しての話題へと移っていた。
「そりゃあご飯作ってくれたり洗濯してくれたりしてくれるのはすごく助かるけど、良いのかなぁ……」
艦治はナギそっくりの仲居さんを自宅に常駐させたいという申し出を受けて、困った顔をしている。
「本来であればご家族で鳳翔、または神州丸へ移住して頂きたいところですが、急には無理だと思います。
ですから、せめて身の回りのお世話をさせて下さい」
艦治は腕を組んで考え込むが、治樹と治佳はまんざらでもなさそうにしている。
「まぁ、良いんじゃないか? 父さんも母さんもこれからはちゃんと家に帰るようにするとはいえ、仕事を辞める訳ではないんだし。
家事をお願い出来るのなら、甘えても良いんじゃないか?」
「そうねぇ、外の警備の人はちょっと大袈裟に感じるけど、家の中ならそう気にしなくても良いでしょうし。
そう言えば、お二人のお名前は?」
「特に決まっておりません」
「まぁ! それじゃあ名前を考えなくちゃいけないわねぇ」
治佳はもう家事ヒューマノイドを受け入れる気でいる。
「お名前を頂けれるのでしたら、個別に記憶情報を蓄積させるように致します」
治佳が名前を付けると言い出さなければ、ナギは家事ヒューマノイドをナギと同一の存在として井尻家に常駐させるつもりでいたようだ。
家事ヒューマノイドと話した事とナギと話した事とがごちゃ混ぜになり、井尻家はさぞかし混乱していた事だろう。
「うーん、心乃春ちゃんと心乃夏ちゃんはどうかしら。そっくりだから双子っぽい名前が良いと思うの」
「はい。私は今日から心乃春です」
「はい。私は今日から心乃夏です」
「きゃー!! なんて可愛いんでしょう!!
私の事はお母さんと呼んでちょうだい!」
たまらず治佳が二人を抱き締める。治樹が羨ましそうにしているが、自分の事を父さんと呼べ、とは言い出せないようだ。
「「「お父さん、お母さん、艦長。よろしくお願い致します」」」
途端に治樹の顔がぱーっと笑顔になった。
「さすがに家で艦長呼びは落ち着かないから名前で呼んでほしいんだけど」
「「それでは艦治様でよろしいでしょうか?」」
「様、様はなぁー、さんでもそう変わらないか? いや、でも……。
あれ? 良光、どうしたの?」
良光は立ち上がり、鞄を背負って帰り支度をしていた。
「家族団欒の邪魔になりそうだから帰るわ。また連絡してくれ」
「えっ!? そんな事……」
「いいからいいから。せっかくおじさんとおばさんが家にいるんだから、甘えさせてもらえよ。
それに、もう俺の用事は終わったし。用があればいつでも電脳通話で喋れるし」
じゃ、とリビングを出て行く良光。
「ありがとう、良光君。また遊びに来てくれ」
「いつも艦治をありがとうね!」
治樹と治佳が声を掛けると、笑顔を見せて手を振り帰って行った。
「あら、良光君もインプラント入れたんだから、連絡先を交換しておけば良かったわ」
治佳がこぼした独り言を聞いて、艦治が母親と友達が電脳通話しているのを想像し、何か嫌だなぁと思った。
「まぁまた遊びに来た時に交換すれば良いだろ。
それより、心乃春と心乃夏の見分けが付かないのは問題じゃないか?
それぞれ着てもらう服の色を分けるとか、髪型を変えてもらうとかしないとだな」
再び井尻家の話題が家事ヒューマノイドへと戻った。
「顔を見てもらって、左目の下にホクロがあるのが心乃春で、右目の下にホクロがあるのが心乃夏です」
ナギの説明を受けて、艦治達がまじまじと心乃春と心乃夏の顔を見比べる。
「ホントだ……。えっ、いつから!?」
「治樹様が見分けが付かないのは問題と仰ったので、至急対応させて頂きました」
「それは手間を取らせてしまって、申し訳ないなぁ」
ナギに対してペコペコと頭を下げる治樹。
「え、さっき抱き締めてたのに?」
「それとこれとは別だろ!? 大使だぞ?」
ナギと呼び捨てにしてみたものの、相手が神州丸の外交大使であるという事実がまだ、治樹の心の中で整理が着いていないようである。
「それを言ったらナギちゃんは艦治の補佐なのよ?
息子にもペコペコするつもり?」
「いや、それは……」
などなど、もうしばらく井尻家とナギとの交流を深めた後、ようやくナギが神州丸へと帰る事となった。
外に出ると誰に見られるか分からないので、三人は玄関でナギを見送る事にした。
「私がお力になれる事でしたら何なりと仰って下さい。艦治様へお伝え頂くか、心乃春と心乃夏に申し伝えて頂ければご対応させて頂きますので」
「ありがとう、もうここは実家だと思って良いからね」
「また来てね!」
治樹と治佳と抱き締め合った後、ナギが艦治へと向き直る。
「艦治様の口座へ当面の資金を振り込んでおきました。後ほどご確認下さい。
もし心乃春達に必要なものがありましたら、そちらからお使い頂ければと思います。
それでは、失礼致します」
ナギが三人へ別れを告げ、井尻家を後にした。
「行っちゃったわねぇー」
「ナギは行っちゃったけど、心乃春と心乃夏がいてくれるじゃないか」
「そうね、そうよね。
あぁ、そう言えば艦治。ナギちゃんが当面の資金を振り込んだって言ってたけど、いくら貰ったの?」
母親としては、息子のお小遣いを把握しておきたいものである。
「えーっと、どうやって見るんだったっけ。ちょっと待ってね」
艦治は電脳OSを操作し、電脳ネット経由で自分の銀行口座残高を確認する。
「ん……? いちじゅうひゃくせんまんじゅうまんひゃくまん、違う違う。いちじゅうひゃくせんまん…………」
艦治は視界に表示されている数字の羅列を数えては首を傾げ、また数えては首を傾げてを繰り返している。
「何だ? そんなに振り込まれてたのか?」
「百万円はちょっと多い気がするけど、心乃春ちゃんと心乃夏ちゃんのお着換えとかに使わせてもらるのはありがたいわねぇ」
治佳は電脳ネットにアクセスし、視界に洋服を表示させて二人にあてがって何を買うか選び始めた。
「母さん、玄関じゃなくてリビングでしたら?
それに艦治、いつまで数字を眺めてるんだ? ゆっくり数えれば分かるだろ?」
「いや、でも桁が多過ぎて……」
「桁が多い? 七桁じゃないのか?」
「もっと、あるんだよね……」
「もっと? もっととは?」
困った顔を見せる艦治を、治樹と治佳は不思議そうに眺めている。
「艦治様、一千億円です」
今まで艦治の肩に乗って大人しくしていた支援妖精の方のナギが教える。
「いっせんおく?」
「はい。少なかったですか? もっと振り込みましょうか?」
この後、井尻家総出でナギに一般家庭の常識を叩き込んだのだった。




