016:全権限移譲完了
艦治の両親、治樹と治佳は、良光の話を聞き、さめざめと涙を流した。
「良かった、本当に良かった……」
「ナギさん、ありがとうございます……」
二人が喜び、ナギに感謝している理由は、艦治の視力回復にある。
艦治の視力が著しく低下した原因は、妹の治奈が車道に飛び出した際にそれを止めようとした結果、二人とも車に轢かれてしまった事だった。
結果、治奈は亡くなり、艦治は全治三ヶ月の重症を負い、後遺症として視力が低下してしまったのだ。
「私があの子の手を離してしまった事が原因で、あんな事になってしまって……」
治佳はあの時、治奈に握っていた手を振り切られてしまったのをとても後悔していた。だからこそ、現在は家にもろくに帰らず自身の研究を進めていたのだ。
「研究が思うように進まないから、結構追い詰められてたんだよ……」
治樹と治佳は、現在は自動手術技術を開発する為の研究に携わっている。
脳のような繊細な器官を、人の手で手術するのは非常に難しく、限られた専門医と限られた症例のみしか施術される事がない。
事故の後遺症に悩まされている息子、艦治の視力を戻してやりたいという想いから、神州丸内部の医療設備のようなロボットによる自動手術技術の開発を進めていたのだ。
その事を知っていたから、艦治はグレる事なく真っ直ぐに育つ事が出来たのだ。
「息子の誕生日も祝えず、情けない両親だったが、これからは家で三人でご飯が食べれるな」
「直接言うのが遅くなっちゃったけど、お誕生日おめでとう」
二人は艦治の誕生日当日も働きづめではあったが、ちゃんと通話でお祝いの言葉を伝えてはいた。
「父さん、母さん、ありがとう。
それでさ、どうやら僕は神州丸の艦長になったらしいんだ。これからどうしたら良いと思う?」
艦治の言葉を聞いても、二人は動揺を見せなかった。
「どうするもこうするも、お前の好きにすれば良いさ」
「そうよ。私達はあなたが元気でいてくれたらそれで良いのよ!」
治樹と治佳が立ち上がり、艦治を抱き締める。
良光は目元を光らせながら、テオを胸元に抱き上げた。
「……ん? 全権限移譲承諾?」
両親に抱き締められたまま、艦治は視界に現れたメッセージに対し、半ば無意識的に承諾をしてしまう。
「…………ちょっ!?」
それから半拍ほど遅れて、良光が艦治の漏らした独り言の意味に気付く。
しかし、ナギの口から発せられた言葉は、それ以上の意味を持ったものだった。
「現時点を持って、人工天体『鳳翔』の全権限を正式に井尻艦治様へと移譲させて頂きました」
ナギはそう言って、深々と艦治へと頭を下げる。家事ヒューマノイドも同じように頭を下げているが、当の艦治は目を白黒させている。
「……やられた! 今までは艦治の事を艦長と呼称してただけで、実際の艦長権限までは持たされてなかったんだ!!
今さっき電脳OS経由で権限移譲の手続きが行われたんだろう!?」
良光の言葉を聞いて、ようやく自分が自ら艦長権限移譲の承諾をした事を理解する艦治。
「でも、今ナギさんはホウショウ? って言ったよね? 神州丸じゃなかったみたいだけど」
艦治はすでに神州丸の艦長になっていると思っていたので、大きく取り乱す事はなかったが、認識の齟齬について確認しようとする。
「今電脳ネットで調べたんだが、神州丸ってのは第二次世界大戦中に活躍した上陸用舟艇母船、つまり陸に上がる用の船なんだ。
宇宙船『神州丸』は、地球に上陸する為の宇宙船で、つまり母艦は別にあるって事だ」
「それがホウショウ、って事……?」
「鳳翔も第二次世界大戦中の空母で、航空母艦として設計されて完成した世界初の新造空母らしい。
つまり、人工天体『鳳翔』とやらは、宇宙船『神州丸』よりも、さらにデカイはずだ。もしかすると、神州丸を丸々受け入れる事が出来るかも知れない」
艦治と良光が、ナギへと視線を向ける。ナギは満面の笑みで答える。
「人工天体『鳳翔』は、ガニメデとほぼ同じ大きさです」
「ガニメデ……? 木星の衛星だったっけ?」
艦治は頭に『?』を浮かべ、良光が中空に目線を走らせる。
「……艦治、良く聞け」
良光が、未だ両親に抱き締められたままの艦治へと向き直る。艦治は唾を飲み込み、頷く。
「ガニメデは月より1.5倍デカイ」
「ハッハッハッ! すごいな艦治!
父さんはガニメデよりも月に行ってみたいぞ!!」
「日本人宇宙飛行士は月と行ったり来たりしてるみたいだから、私達が泊まるところもあるわよね?」
突然はっちゃけ出す両親。肩の荷が下りたのがよほど嬉しいようだ。
月より大きな宇宙船、いや人工天体を手にした事よりも、両親がはしゃいでいる方が、艦治にとっては気掛かりになりつつある。
「気付けたはずなのに……、やられた……」
そんな両親とは違い、良光は一人頭を抱えている。
「何で良光は落ち込んでんのさ?」
「だって! 途中までは見抜けてたのに! 艦治本人は気付いてねぇけど俺は分かってるぜって思ってたのに!!」
艦治の身に起こる異変を一番近くで楽しんでいた良光だが、最後の最後で予想以上の展開を見せられたのがよほど悔しいようだ。
友達である自分がとてつもなく大きなものを手に入れた事を悔しがっているのではなく、ただ予想が外れてたという理由で悔しがっている良光に対し、艦治は心の底から安心する。
「何だよそれ……。
ふふふっ、ははっ、あっはっはっはっ!!」
再び両親と抱き合う艦治の元に、ナギ大と小が近付いて来た。
「あの、艦長。私もその輪に入れて頂けませんか?」
どことなく寂し気なその表情を見せられて、艦治がナギに同情を寄せる。
三ノ宮伊之介を失った後、遥か長い時間を掛けて、この地球にやって来たのだ。
艦治はさぞ、寂しい思いをしたのだろうと察した。
「……良いですよ」
ナギ大は、艦治と治樹と治佳によって抱き締められ、ナギ小は艦治の顔に張り付く。
「「ありがとうございます」」
「治奈が元気だったなら、これくらいなのかなぁ」
「そうねぇ……」
治樹と治佳は感慨深そうにナギの髪の毛を撫でる。
「艦長、お兄ちゃんと呼んで良いですか?」
「さすがにそれはダメですよ。僕の妹はたった一人、治奈だけですから」
「では、せめて私の事はナギと呼び捨てにして下さい。敬語も使わないで頂きたいのです」
一国の外交大使を呼び捨てになど、と思うが、両親から送られる目線を受けて、艦治は頷く事にした。
「分かったよ、ナギ」
花が咲いたような笑顔を浮かべ、ナギが喜びを見せる。
「これからよろしくお願い致します、艦長」




