150:元恋人
「くれぐれもナギ様へよろしくお伝え下さい」
「お会いした際は必ず伝えます」
付属大学の学長と理事長との面接は、本当にただ世間話をしただけで終わった。
二人は終始艦治とまなみのご機嫌伺いをし、その背後にいるであろうナギの印象を良くするべく努めていた。
まなみの口数が少ない事を察すると、学長も理事長もまなみへ話を振る事すらしなくなってしまった。
ナギは外交大使ナギとしてこの理事長に多額の寄付を約束していたので、この四人が顔を合わせるだけで既成事実として成立しているのだった。
「山中さん、後ほどお願い致します。
それでは失礼致します」
艦治が博務に一言伝える事で、学長と理事長はこの後の博務との打ち合わせを早々に切り上げるだろう。
艦治が応接室の扉を開けると、そこには雅絵が待機していた。
「お疲れ様です。それでは参りましょう」
雅絵の案内で、艦治とまなみが大学構内を進んで行く。
しかし、案内というよりも、真っ直ぐ正面玄関へ向かっているような気がして、艦治が雅絵に声を掛ける。
「車に乗って待つつもり? ちょっとくらい構内を見て回りたいんだけど」
艦治の問い掛けに対し、雅絵は振り向かずに電脳通話で返事をする。
≪あまりオススメ致しません。すでに在学していた者や、最速で編入して来た者、外部から大学構内に入り込んでいる者を含め、多数の密偵がお二人を窺っております≫
≪えー、全然気付かなかった!≫
≪そっか、僕らが今日ここに来る事が漏れてたのか。別に隠すべき事でもないけど≫
≪私の方もあえて情報封鎖せずに動いておりました。どれだけの密偵が来るかの確認も兼ねておりましたので。
結果として、かなりの注目度である事が確認出来ましたので、これ以上の滞在は避けるべきかと思います≫
≪了解。じゃあ車で山中さんを待とうか≫
≪いえ、恐らく待つ必要はないかと≫
艦治は雅絵がそう言った意図をすぐには理解出来なかったが、正面玄関を出て、待機していたミニバンを見てようやく分かった。
「もう用事は終わったんですか?」
「ええ、元々大した話ではありませんから」
真っ直ぐ外に向かって歩いていた艦治達よりも早く、博務はミニバンの前で艦治達を待っていた。
四人で乗り込み、ミニバンが音もなく走り出す。
「それで、密偵とやらはどれくらいの数がいたの?」
艦治の質問に、雅絵が答える。
「五人や十人ではなかったですね。諸外国だけでなく国内企業からの指示を受けたただの学生も含めると、かなりの数になると思われます」
世界でも有名なこの大学に通っている学生は、その親や親類が大企業の関係者である事が非常に多い。
勤めている者だけでなく、株主であったり取引があったりと、関係者は多岐に上る。
「僕らが普通の学生生活を送るのは難しそうだね」
「クラス内の希望者全員を内部進学させる事も、あながち突飛な提案ではないと思われたのでは?」
「なるほどなぁ……」
博務は艦治が雅絵にタメ口で話し、雅絵もそれを受け入れている事を確認した。
雅絵が年下の男に対してそのような態度を許すなど、想像も出来ない事だった。
「さて、そろそろ人目を気にする必要はないと思われます」
「そっか、じゃあ行こうか。
山中さん。力を抜いて背もたれに寄り掛かって下さい」
艦治がそう声を掛けると、博務は問い返す事なく指示に従ってみせた。
背もたれが倒れるような感覚を覚えた次の瞬間、博務は見知らぬ応接室へと移動していた。
「……これは一体」
室内を見回す博務の対面のソファーに、艦治とまなみ、そして雅絵が座っていた。
「さて、ひーちゃん。あなたはここに招いて頂いた栄誉に応える必要がある」
雅絵がひーちゃんと口にした事で、艦治が目を丸くしているが、今は振れない方が良いだろうと博務は判断した。
「私は……。いや、俺は何をすれば良いんだ?」
「ごほんっ。
山中さんには我々の仲間に加わって頂きたい。この優秀な雅絵が推薦するので、非常に期待しているのですが、その前に」
咳払いをして気持ちを切り替えた艦治が、亜空間収納からタバコケースのような小さな金属の箱を取り出して、博務に見えるように蓋を開ける。
中にはクッションが敷かれており、赤いカプセルと青いカプセルが埋めるように保管されている。
金属の箱が蓋を開けたままの状態で博務の目の前に置かれた。
「この青いカプセルを口に含めば、話はそれで終わりです。
僕達に関する情報は全て忘れ、元恋人との関係もここで終わり。今まで通り文科省で働き続けて下さい」
艦治がアドリブを利かせると、博務の目が一瞬だけ雅絵に向けられた。
≪雅絵ちゃん脈ありなんじゃない?≫
≪強引に復縁を迫るつもりでしたが、お陰様で手間が省けそうです≫
「そしてこの赤いカプセルを口に含めば、僕達が抱えている真実を全てお話するつもりです。
あなたが知りたい事、何でも答えましょう。
ただし、相応の覚悟を持ってもらいます」
良いですか? と艦治が尋ねる前に、博務は目の前の赤いカプセルを指で摘まみ、大きく口を開けて舌の上に乗せた。
「口に含むと仰りましたが、このまま嚥下すれば良いのですか?」
艦治とまなみが雅絵に視線を向ける。
「咀嚼して。中の液体が口内に満遍なく広がるように」
雅絵の指示通り、博務が大きく顎を上下させ、カプセルを噛み砕いて舌で口内へと広げる。
「……結構辛いんですけど、こういうものなんですか?」
博務は辛さに強かった。




