114:父親と息子
六月三十日 日曜日
艦治は一人、自宅で夕食を摂っていた。
一人とは言うが、食卓には心乃春と心乃夏が座っており、テーブルの上の特別椅子には妖精ナギが座っている。
テスト勉強と称して皆で放課後に鳳翔に集まり、勉強半分遊び半分の毎日を送っていたのだが、さすがにテスト直前の土日くらいは各自で勉強すべきだと亘が言い出したので、昨日も今日もまなみとすら会っていない。
「あー一緒に食べたかったよぉ……」
「まなみも納得してたじゃん」
「そーだけどさーーー」
ご飯の時だけ、という事で、まなみが遠隔操作で心乃夏に入り、艦治との束の間の会話を楽しんでいる。
まなみも自宅では真剣にテスト勉強をしており、女子高時代に習っていなかった教科や範囲については司(ナギ)に教えてもらうなどして、何とか間に合わせている。
ひと月にも満たない期間で、習った事のない教科でそれなりの点数が取れるほどになれる吸収力がまなみにはあった。
「艦治様、そろそろ帰宅されます」
「うん、ありがとう。
まなみ、よろしくね」
「りょーかーい」
夕食前に艦治の父、治樹が帰宅するようだとナギが知らせた為、艦治は妹の治奈の件を話しておきたいと考えた。
まなみには心乃夏のフリをしてもらいながら、会話を見守ってもらう予定だ。
艦治が両親の所属する神州丸科学技術総合研究所の買取店と買取専属契約をした事、そしてそこで換金したお金を神総研の両親が関わっている研究に絞って寄付する事になった以降、両親はほぼ帰宅しなくなってしまった。
理由は艦治の妹である治奈の為だ。
治奈は五歳の時に、反神州丸派の男性が抗議活動帰りに運転していた車に轢かれ、心肺停止状態となってしまった。
治樹と治佳はすぐに神総研内にあった冷凍保存ポッドに治奈を安置し、蘇生させる準備が整うまで保存しておく事にした。
たまたま二人が神州丸内に存在する医療用ポッドの再現を目指す研究をしていたので、周りの協力を得る事が出来た。
しかし、九年経った今でも予算の関係や技術的な面でなかなか上手く研究が進んでいなかった。
娘を救うという使命、情熱、執念だけではそろそろ限界が見えていた頃、艦治が二人の研究に対する寄付を申し出たので、研究を急速に進める事が出来そうだと考え、ほとんど家に帰らなくなってしまったのだ。
元々両親と密に接していた訳ではない艦治だが、自分の行動がきっかけで二人にさらなる無理をさせてしまっているので、積極的に自分からコミュニケーションを取らなければならないと思い、こうして父親の帰宅を待っている。
「お帰り」
「おう、ただいま。またすぐに戻らないとダメなんだけどな」
「分かってるよ。
けど、ちょっとだけ話がしたくて」
治樹が帰宅し、すぐに心乃春がいつも治樹が座っている席にアイスコーヒーを置いた。
「……分かった」
少し考えた治樹だが、息子の言うままにテーブルに着いた。
「母さんの様子はどう?」
「うん、気合が入ってるよ。
息子が多大な寄付をしてくれているからな。それも一回で終わらなかった。一円たりとも余すことなく使わせてもらっている。ありがとう」
そこまで言ってから、治樹はアイスコーヒーを口に含んだ。
「……休むべきだとは分かっているが、正直に言って先は長い。
俺達が休めば休むほど、研究の成果が出るのが先送りされる。
それが、怖いんだよ」
治樹は心からの本音を艦治へ伝えた。
治樹は自分達が何の為に研究をしているのか、艦治が勘付いていると理解している。
だが、口に出してしまえば今までの努力や成果、時間が全て無駄だったかのように成果だけを与えられるような気がして、治樹も治佳も、艦治に打ち明ける事が出来ないでいる。
「母さんが気に病んでいるのは分かってるんだ。治奈に手を振り切られてしまったから、でしょ?
あの時もっと手を強く握っていれば、離さなければ、神州丸を見に行かなければ。
今さらたらればを言っても仕方ないし、それは母さんだけが思ってる事じゃない。
僕だって……」
「分かってる。お父さんもお母さんも分かってるんだ。これは自己満足的な贖罪なんだ。
こんな事をしても治奈は戻って来ない。喜んでもくれない。分かってる。
でも、やらないと気が狂いそうなんだ。誰かを頼って治奈が帰って来たとしても、力いっぱい抱き締めてやれるかどうか、分からないんだ……」
治樹は顔を伏せ、肩を震わせる。
自分達の研究成果が出るのは、不眠不休で急いだとしても数十年は掛かる。
なおかつ、研究成果を元に治療用ポッドの製作が始まったとしても、すぐに完成するような単純な問題でもない。
そもそも、心肺停止状態から蘇生させる事、そして冷凍睡眠状態にある人間を正常に解凍する技術については、治樹も治佳も専門外なのだ。
治樹は、自分達が生きている間に治奈を蘇生させる事が出来ないだろうと理解している。
それでも、艦治を頼って治奈を蘇生させるのが本当に正しいのか、分からないでいる。
治奈はすでに死んでおり、自分達の自己満足の為にこちらの世界へ無理やり呼び戻してしまう事になるのではないか。
そんな宗教的な葛藤さえも抱え、それらを考える暇がないように研究に没頭しているのだ。
「父さんは治奈と僕を轢いた男が今どうしてるか知ってる?」
努めて冷静であろうとしているかのような声色の息子の言葉を聞いた治樹は、一瞬で頭が真っ白になった。
「母さんは治奈の心臓が止まっている事を確認した後すぐに父さんを呼んで神総研に運んだ。僕の心臓は止まっていなかったから母さんは男に救急車を呼ぶよう伝えてその場を離れた。男が救急車を呼んで僕が搬送されたのを見送った後どうなったか父さんは知ってる?」
「……知らない。男は車を捨てて逃げた。車の名義は男のものではなく、反神州丸団体の名義だった。
付近に目撃者はなく、男は捕まらなかった」
事故当日、神州丸を見に家族で出掛けた先で、治奈が男が運転する車に轢かれた。
治奈の命を優先した治佳の行動により、男は逃げてしまった。
「僕は今まで何の疑問も抱かなかった。治奈が死んだと聞かされているのに何故か仏壇も墓もない事。治奈の命日がいつなのかも聞かされていない事。あの事故を境にどちらの実家からも距離を置いた事。自分を轢いた男について何も聞かされていない事」
何も疑問を抱いていなかった様々な謎について、艦治はナギを通じて得た情報を元に答えを知る事となった。
そして、そのうちの一つについては、すでに行動を起こした後だ。
「僕はその男が今どこで何をしているか知っているんだ」
「……どこにいるんだ?」
「神州丸にいるよ。インプラントを入れて仮想空間に閉じ込めた。何度も何度も自分が乗っている車に轢かれる夢を見せている。何度も何度も何度も何度も……」




